犬王のレビュー・感想・評価
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アニメでしかできない世界
この世界の描写は素晴らしいと思った
特に冒頭から都で流行るまでが最高である
流行りだしてからはあまりにもロック調で、ボヘミアン・ラプソディが大好きな私でも辛かった・・・
また、主役級の声優の技量が低いのも気になった、人選が残念
なお、劇場で観る価値のある映画であることは事実
室町時代の知識も少しは増えたかな?
お前たちの物語を一人残らず聞いてやる。
室町時代の実在した能楽師犬王の物語、それだけの前知識。声も誰なのかさえも調べずに。
端っから、キャラクターデザインのしなやかさな体躯に魅了され、気分を掻き立ててくる音楽に乗せられ、この声は!と小躍りし、ほう、義満か、観世かと時代を確認し、憑き物が剝がれていくように美しなっていく犬王を追いかけていった。まるで、熱狂する群衆たちと同様に魅せられていた。
見事だった。将軍までも魅了した、謡いと舞い。さしずめ、盲目のロックスターと異形のダンサーをフロントに押し出したパフォーマンス集団。大がかりな舞台装置にも圧倒され、コール&レスポンスでトランス状態に陥る観衆たち。スクリーンからあふれてくる音楽は派手な現代のものであっても、犬王たちのパフォーマンスを目の当たりにした人たちが感じた衝撃を例えれば、まさにこのくらいの圧倒的な強度をもった刺激を受けたんだろうと想像できる。そりゃ熱狂するわ。
そして、なぜこれほど受け入れられた犬王が後世に名を残さなかったのか、それもわかる。施政者としては困るのだ、無秩序が。そして抑えきれぬほどに民衆が暴走することが。だから、並び立っていた南北朝の統一にあわせて、各地に散らばっていた平家の琵琶語りも統一させたのだ。その象徴としての幕府のお触れ。「覚一本」がそういう時代背景のもとに成立したのか、と目からうろこだった。ちょっとそのあたりの真偽を調べてみたくなった。ついでの、原作のに古川日出男の原作も読みたくなった(といってすぐにポチる)。
こうしてレビューを書いている自分のすぐそばにも、いまだ600年も成仏しきれぬ犬王と友魚の魂が彷徨っているような気がしないでもない。
さほどハマらなかったものの、
正直、物語や音楽がすごく好み、ということはなかったんだけど、森山未來とアヴちゃんの歌唱と美しく独特な映像に飲み込まれ、最後まで楽しめた。星空が…!!美しくって…!!あーんなに美しい星空をアニメで観たの初めてかもしれない。
町衆とともに歌えや踊れや楽しめや!
キャスティングが何より素晴らしい。女王蜂アヴちゃんの中性的な声と、カリスマ性と表現力がなければこんなに躍動感のある室町ロック・オペラは生まれていない。
そして、コンテンポラリーダンスの名手森山未來のリズム感の良さと演技力が光る。
2人の声優の相乗効果に胸が高鳴る。
美とグロテスクが入り混じるスペクタクルなアニメーションは、よくぞこんなものを作ってくれたと感謝しかない。
歌の歌詞が字幕で出たら更に良いのになと思ったし、特別音響やIMAX、ドルビーアトモスでライブシーンを楽しみたいと感じた。
でっかいクジラはじめ、3箇所くらいクスッと笑ってしまったのは、あまりにQUEENのロック・オペラを狙いに行ってるから。
まあそんなところもわかりやすいから、誰もが自然と室町時代の民衆になり切って身体がリズムを刻めるのかもしれない。
日本のアニメは本当にすごいなとまた背筋が伸びた。
実写化不可能なアニメーションの世界観を存分に楽しみ浸るにもってこいだ。
余談としては、実写映画化はして欲しくないのだが、舞台化はして欲しいと思った。
既に劇団新感線の舞台にも出演している森山未來が舞台で演じる姿が浮かんだからだ。
アヴちゃんが舞台で妖艶に歌い踊る姿も想像してしまった。
時代物とロックミュージカルの融合のお得意ないのうえひでのりさん、何とかしてください!
と思いつつエンドロールを 眺めて映画館を後にしました。
期待はずれの胸焼映画
個人的に能、猿楽を扱うと言うことで楽しみにし期待していたが、あまりのコンビニ弁当的な安っぽさに胸焼映画と認定してしまった。恐らく演出の問題だろうが、斬新=西洋風、ロックと言えばビートルズorクイーン。その上、ジャパニーズなら清志郎。でしょ。と言う発想が伝わってくるところがチープかつ無学無教養感満載でイケテネー。とセンスの違いを感じた次第。折角、猿楽能楽のトップ世阿弥、観阿弥に応ずる近江猿楽を取り上げたのにこれじゃぁ、所詮は犬王だね。で可哀想である。一点僅か評価するならば、猿楽、能楽と平家を結びつけたところだろうか。配信で十分だよ◎ハイ!シーンw
芸術と残された想いを
かなり歪な作品。だが、どうしても面白い。
劇中の音楽だけではなく、カット割りセリフにリズムがあるので身体的な気持ちよさが続く。
ストレンジャーたちへの共感と世界からの呪い、という湯浅政明テーマとも一致していてストーリーと映像のシンクロ率もかなり高い。
中盤のミュージカルシーンの尺の長さがどうしてもこの映画の歪さを際立たせる。
このシーンがもっと圧倒的であったならと思ってしまうが。
しかしイマジネーションの繋がりが溢れて溢れてアニメーションの動きになっていくシーンの数々には打ちひしがれたぞ。
凄かった
この映画は是非劇場で見て欲しい。
映像と音楽でグイグイ引っ張られる感覚が楽しい。
ストーリーもシンプルで頭を使わなくて良いのが素晴らしい。
一つ惜しいと感じるのは、出来れば使う楽器も当時実現可能な範囲でロックを表現して欲しかった。
アニメならではのファンタジー時代劇
この頃の能楽師と言うと観阿弥、世阿弥が有名だが、この犬王に関しては資料がほとんど残っていないらしい。そこは想像を交えながら創り上げていったということだ。
原作は「平家物語」の現代語全訳を手がけた古川日出男による小説「平家物語 犬王の巻」(未読)。それを「夜は短し歩けよ乙女」、「夜明け告げるルーのうた」、「きみと、波にのれたら」の湯浅政明が監督した作品である。
湯浅監督と言えば、独特の世界観を持った鬼才で、今回もその資質は画面全体から感じられた。デフォルメされた表現、ダイナミックな演出、ヴィヴィッドな色彩感覚。物語自体のテイストは夫々違うが、どの作品を観ても湯浅作品だと一目で分かる。
尚、本作を製作したスタジオ、サイエンスSARUは湯浅監督が創業した会社である。同社は同じ古川原作の「平家物語」のテレビアニメ版も製作しており、昨年FODで先行配信され、今年の初頭からテレビ放映された。自分はそちらのテレビシリーズも観ていた。物語の時代設定は異なるものの、両作品が同一の世界観にあることが良く分かる。本作単体でも十分に楽しめるが、観ておくとより深くこの世界観を楽しむことが出来るのではないだろうか。
見所は何と言っても、犬王と友魚が奏でる歌とダンスのシーンである。もはやロックコンサートと言わんばかりの盛り上がり方で、その熱気は時代劇であることを忘れさせるほどだ。アニメーションでしか表現しえない斬新なステージパフォーマンスは、単純に観ていて気持ちがいい。エレキギターの音がするのはおかしい、他の楽器メンバーはどこから集まったのか、大掛かりなステージ照明はどうやって調達しているのか。そうした突っ込みは、ここまで振り切った演出を見せつけられると、もはや野暮に思えてしまう。それくらいこのライブシーンは面白く観れた。
ただし、演奏される音楽のバリエーションについてはもう少し増やして欲しいと思った。最初の数分は確かに圧倒されるのだが、延々と同じリズムと音階で歌われてしまうと途中で飽きてしまう。
湯浅監督は過去にもミュージカル的な演出を自作の中で度々取り入れてきた。おそらく、こういうのが相当好きなのだろう。しかし、今回は1シーンだけ実験的にやるわけではない。尺から言えば全体のおよそ1/4ほどが歌とダンスのシーンだ。それだけ長時間の”間”を持たせるためには、やはり音楽自体にもう少し変化が欲しい。
物語は中々面白く追いかけていくことが出来た。異形の犬王にかけられた呪い、友魚の運命を紐解いていくシンプルな構成は大変観やすい。彼らの音楽が朝廷の怒りを買うというのも、ある種本作をロック映画と捉えれば実に分かりやすい構図である。
アメリカン・ニュー・シネマよろしく凄惨な結末が待ち受けているが、ラストでその悲劇を少しだけ和らげてくれるのもロマンチズムの境地という感じがしてよかった。犬王と友魚の友情を永遠のものとすることで、まるでお伽噺のような不滅性が感じられた。
作画は所々に実験的な手法を取り入れながら、湯浅監督らしいデフォルメされた世界観を魅力的に構築している。特に、中盤のくじらの歌のシーンは圧巻の作画である。
惜しむらくは、クライマックスのライブシーンはもう少し爆発力が欲しかったか…。湯浅作品のクライマックスはダイナミックな祝祭感で盛り上げるられることが多いが、今回は過去作と比べると幾分大人しく感じられてしまった。むしろ中盤のクジラの歌のシーンの方が熱度が高いくらいで、ここから更に吹っ切れた音と映像のコンビネーションを見せて欲しかった。
キャストに関しては素晴らしいと思った。犬王を演じたのはロックバンド女王蜂のヴォーカル、アヴちゃん。本業が歌手なのでその実力は存分に発揮されていたと思う。友魚を演じた森山未來の表現力豊かな歌唱も良かった。
もう豪華コラボはいい、という気が。
まったくのれなかったこの豪華コラボ。
古川日出男の原作、野木亜紀子の脚本、湯浅政明のアニメ、松本大洋のキャラクターデザイン、音楽を大友良英、アヴちゃん&森山未來、、なんだか『バブル』もそうだったけど、豪華スタッフ並べればいいってもんじゃない感満載だった。
最後の最後で、ああ、いい話じゃないか、と思ったりはしたけど、いかんせん序盤からの掴みが悪過ぎる。よくわからないけどテレビドラマの脚本家がアニメの脚本をやるメリットってあったのか?ってくらい掴み悪い。というか、そもそもドラマ的要素は薄いし、かといって縦横無尽の描写って訳でもなく、なんか各パートがおっかなびっくり力を出せてない感じ。特にかなりの時間を割いて描かれるライブシーンは、音楽も描写も古くさい。悪くいうとダサい。湯浅アニメでダサさを感じるなんてなんだろう。クライマックスの竜に至っては「稲村ジェーン」を思い出した。
室町時代の芸能を現代(と言ってもひと昔前)風にっていったいいつの時代のアイデアなのかだけど、音楽が良くない。「花束みたいな恋をした」も良くなかったけど、好みもあるかもしれないけどあまり乗れない歌と踊りの繰り返しが延々続くところで心がアウトした。ひょっとして楽曲が斬新ならここで掴めていたのかもしれない、というところがこの豪華コラボの居心地の悪さなのかもしれない。これだけ音楽勝負の作品で、それは致命傷かと。
マスクの美人効果は由々しきこと
目の見えない男と奇形な男の、主にライブパフォーマンスのアニメ。
ただし時代は江戸より前で、話は暗鬱か。
色々と展開がカオス、何らかのメッセージ性があるのだろうがどうでもよい。
良い点
・序盤までは良い
・声
・派手めなライブ
悪い点
・妖怪級すぎて気持ちが悪い
・顔のモブ化
・パパがなおざり
・期待を下回る
楽しもうとする想像力と積極性が必要?
ただ受動的にフラットに観てるだけだと、2人の物語としてはちょっと描写不足で、その割に長尺のライブシーンに飽きるような気はした。観る人の想像力で、こんなに斬新な表現を目の当たりにしたらどう感じるだろうかと、描かれている観客たちに積極的に感情移入する必要があると思う。当時の人々には「犬王」はこう見えていたかもしれない、というロマン。劇中の演出を現実として捉えると、スタッフの技術力と凄い!!!
語り継ぐ者達を、語り継ぎたかった物語
能のこともあまりわからず、ほぼ前知識なしでの鑑賞だったが率直に言うとかなり楽しめた!
琵琶をギターに、歌う魂はロック。
メロディーや舞踊にパターンがあったらもっと面白くなった気もするが、舞台演出などが壮大で見ごたえがある。発声OKの応援上映だったらもっと楽しかっただろうな。
<ストーリーについて>※以下ガッツリネタバレです※
犬王と友有(あえて友有とします)ステージに引き込まれながらも、この物語が描きたいものはなんだろう上映中考えていた。
そして最後のシーンで、この物語は「犬王と友有がいた」ことを語り継ぐための物語ではないだろうかと思い至った。
すぐれた才を持ちながら、歴史にその名をほとんど残さなかった犬王。
そして「なかったことに」されて、成仏できずに琵琶を演奏し続ける友有。
まるで、滅んでしまった平家の亡霊のようではないだろうか。
能と音楽を通して、二人は平家の亡霊が「この世にいたこと」を伝え続けた。
そんなふうに犬王と友有がやってきたことが、まさにこの映画を(もちろん原作小説も)通して600年後の現代に蘇ったようであった。
「自分たちがこの世にいたことを誰かが知るだけで報われる」
「我々の物語を消させはせぬ」
私達がこの映画で彼らがいたことを知ったことで、彼らは報われたのであろうか。
それなりに満足感は得られます
なんとなく時代背景に合わない音楽が流れる予告に興味をひかれて鑑賞してきました。率直な感想としては、よくわからなかったけれど、新しい何かを観たという満足感は得られました。
ストーリーは、南北朝時代に壇ノ浦の海底から引き上げた三種の神器の呪いで父と視力を失った琵琶法師と、猿楽師の家に生まれた異形の子・犬王が、全く新しい平家物語を歌い、京の町を席巻するが、やがて幕府の禁止するところとなり、二人の運命は大きく引き裂かれていくというもの。
中盤までは、まったくストーリーなんか薄くてないような感じで、ライブパフォーマンス中心に描かれます。当時こんな斬新なステージが披露されていたら、人々はあっけに取られながらもこんな感じで魅了されていくのかなと、民衆と同じような気持ちで見入ってしまいました。
しかし、終盤になり、犬王の出生の秘密が明らかになってくるあたりから、物語は一気に加速します。序盤の伏線をしっかり回収し、なるほどという感じでした。後で知ったのですが、能楽師・犬王は実在したらしいです。本作のどのあたりは史実に基づいているのか、また当時はどんな様子だったのかも気になります。
全体的にストーリーを味わうというより、その斬新なライブパフォーマンスや演出が印象的な作品でしたが、気になることもそれなりにありました。まずは、セリフと歌詞が明瞭ではなかったことです。声優を起用しているわけではないので、ある程度はしかたないのですが、ウリのはずのライブシーン等で聞き取れないところが多かったのは、とても残念です。そして、それが思った以上に長いのも少々退屈でした。あと、わりとグロ描写があったのですが、その必要性をあまり感じませんでした。観客の中には小さい子を連れたお母さんもいて、他人事ながらなんだか心配になってしまいました。
女王蜂アヴちゃん
湯浅監督作はだいたい見てるんだけど、作画の面白さはこの人ならではのもの。でも本作の時代劇ロックミュージカルはいまいち乗れず。つまらなくはないんだけど、演出が単純でインパクトに欠ける。
そんな中でも発見だったのが犬王を演じた女王蜂アヴちゃん。歌も声の演技もうまい。才能を感じた。ご本人のルックス見たらかなり個性強い。今後何かの形で有名になる気がする。
時代を馬鹿にしては駄目だ。
つまらん。
見せ場と触込みの音楽舞踏シーンの何たる扁平。
西洋音階と電気器材の無い室町時代ならこの程度でもそこそこヒットしたのに、という見方か。
時代を馬鹿にしては駄目だ。
今更宇崎竜童とMジャクソンもどきて。
クレしんヒロシみさえの伸びやかに度肝抜く歌唱舞踏シーンを想う。
どろろ+バケモノの子+平家物語+能楽
伝統芸能を現代的にアレンジしたところは、いいと思う。発生当時は新しかったわけだし、庶民に人気があるものは、必ずしも後世まで残ると限らない。だから、大胆に脚色して構わないんじゃないか。照明とか、幕とか、舞台道具とかのアイデアもおもしろい。本物の舞台でも見たいくらい。
だけど、脚本が野木さんの割に、難しくないかな。もっと伏線回収のカタルシスが味わえると期待してたのに、あまりスッキリしない。友情の終わりも、なんか美しくない。犬王も、犬王の父も、友魚も、最終的に自分の欲望を通すだけというのが、なんかなー。犬王の父は、自分が望む舞をできるように、魔の面と取引したんだっけ? 結局、願いは叶わなかったの? 犬王の方が努力をしたから、父から奪っていったのか? 友魚は平家の語りを創造することに、こだわりを持っていたっけ? 目が見えないのに、ビジュアル面を演出するのは、誰のプランなの? ライブシーンが長すぎて、せりふでそのへん言ってたとしても、思い出せない。んー、原作を読んだ方がいいのかもしれない。
ダンスの表現はきれいだった。ストリート、バレエ、エアリアル、誰かの動きを写したのかもしれないが、躍動感がとても出ていた。犬王、これだけ多彩な身体表現ができるだけあって、筋肉モリモリのナイスボディ! ただ、顔はあまり好みではなかった。残念。義満に恫喝されたとはいえ、友魚の命乞いとか、こっそり会いに行くとか、そういうのはできないんかい! 冷たい奴!
湯浅監督の作品は、2つしか見てないんだけど、両方ともライブシーンがあった。この方は、音楽とダンスをアニメで表現することに、こだわりがあるのかな。それはいいけど、もう少し物語にも重点を置いて欲しい。登場人物の描写をしっかりすれば、観てる側が感情移入できる。それがあって、ライブシーンがより活きるのではと思う。
来場者プレゼントのポストカードもらった。
圧倒的体験!映画館必須! でも人を選ぶやろな…
ぶっ飛んだ映像、演出をしっかりとストーリーに乗せて成立させるって言う湯浅監督の真骨頂が発揮されてて満足度が高い!アニメの可能性を広げてる!これは映画館で見るべき映画
あそこまでぶっ飛んだ演出だと完全にファンタジーだけになって何でもありで白けちゃいそうなところを平家物語や藤若、舞台の裏方、政治とか現実を絡めてしっかりと引き留めるところはさすが ホントにうまい
怨みや渇望、理解といった人の想いもしっかり乗っていてストーリーとしても面白かった
ただクイーンオマージュっていうのがチョット古めかしい感じが…わかりやすさを求めたんだろうけどここでなんか新しいのをドーンでも際立ったかな
いやー面白かった、もう一回観に行こうかな
ここはライブ会場か
画の強さと音楽に圧倒されるんだけど、
ちゃんと物語があって…名前をつける事でこの世に存在した犬王と名前を変える事で自分らしい在り方を見つけた友有……
大変えもいものがあった……
いつの時代も新しい芸術は打たれる釘なんだなって思ってしまうな……
また、圧倒されすぎて放心状態だったのでもっかい見たい
考えるな感じろ
考えるな感じろ映画では、ない
芸を極めていくごとに異形が解消されていくという設定に一瞬どうなんだ、それは…と思ったけれど、貴族との宴会シーンで仮面の中は美しいのか醜いのかと聞かれた犬王の「俺の仮面の中は美しい。しかしその仮面の中もまた仮面だがな。」「どういうことだ?」「すべては作り物だという事だ」といったセリフがアンサーとなっていると思う。あと「平家らは俺を呪っているわけではないと思う。ここにいると歌って欲しいのだ」というセリフ(うろ覚えだが…)。
作中では何度も目の見えない友魚が見ている世界、またその顔を隠すために仮面を付けた犬王の仮面越しの視点が描かれる。歴史と同様に「美しさ(または、異形)」の定義もまた、社会によって(強者によって)作られる。だからこその「異形」目線での歴史の語り直しの物語。犬王の「異形」に見える部分は、強者によって語られてこなかった名もなき者達の物語。
しかし犬王が自分の物語を捨てた後「犬王はその後も重用されるが歴史に残ることは無かった。一方で世阿弥は自作の謡曲を作り続け後世まで…」のような文章をわざわざ文面で出した意図は汲めない。少し説教じみすぎているように感じた。ほらね、だから自分の物語を捨ててはいけませんよと言うような。または別の意図があるのだろうか…。素朴なことだが、友魚と対照的に、犬王が自分の、そして語られてこなかった者達の物語をあっさり捨てたこともよく分からなかった。もはや犬王は「異形」ではなくなり、体制に取り込まれてしまったということなのか。しかし勝者によって語られなかった物語を異形目線で語り直すということ自体は体制と距離を置く行為であるし、作中でもそのように描かれていたと思うが。
それと、犬王達がブレイクしはじめた当初の街の庶民たちのセリフがどう見ても批評の言葉(≠庶民の言葉)だったのが気になった。批評=現代(未来)からの目線だと仮定すると色々考えられそう。
考えるな感じろ映画だとか言われているけれども、メッセージ性自体はてんこ盛りだと思った。しかしこの作品が、どこまで行っても逃れられない人間の身体そのものというテーマに向き合っていることは確か。私たちを縛る不自由な身体。考えるな感じろ映画だという評価はそういうところから出てくるのだろうか。
とにかく、アヴちゃんの声が本当に良かった。上手すぎる。
全281件中、161~180件目を表示