この星は、私の星じゃないのレビュー・感想・評価
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田中美津という人
ウーマンリブの映画ではなく、ウーマンリブを闘ってきた田中美津さんの、昔と今の話の映画だった。
トークイベントで田中さんが話されていたが、久高島のシーンで、シャーマンのような女性に魂の話をされて、それを黙って聞いていたが、それは納得していたわけでも、感銘を受けていたわけでもなく、反論し難い内容だから黙っていただけだそうだ。それと、うなだれているシーンは、スピリチュアルな世界にいっているわけではなく、ただ単に疲れて寝ていただけ、とのこと。
思ったことを口に出さずにはいられない、すごく現実的、そしてかけがえのない人。
独演会
「ウーマンリブ」のことを知らないこともあって、観に行ったのだが、その目論見は外れた。
本作は、一言で言えば、田中美津という個人の“独演会”であり、その生き様、人生観、思想を描写する作品である。ベテラン鍼灸師としての姿も映される。
アクティビストであることは間違いないが、組織に属して活動をする人ではないようだ。あくまで「大したことのない」、しかしながら「かけがえのない私」を基準に考え、行動する。
現在の「沖縄」に対する思いや活動は、かつての抑圧された「女」に対するものと重なるからなのか。ただ、「女」は田中にとって“自分”なのに対して、「沖縄」は“他者”であり、その違いが問題となるシーンも出てくる。
10/26の終映後は、田中美津ご本人と、上野千鶴子氏が登壇してトークを繰り広げて面白かった。
(正確な引用ではないので申し訳ないが、)上野氏のコメントで、自分が“我が意を得たり”と思ったのは、
(a) “田中美津”が歴史を作ったと同時に、“田中美津”も歴史によって作られたはずなのに、「ウーマンリブ」運動に関わったその他の“群像”が描かれていない。
(b) “田中美津”自身が語っているだけであって、他者が語る“田中美津”があってしかるべき。(上野氏は、自分にも語らせろと言っていた(笑))
ということ。
つまり本作品は、田中美津という人物に共鳴できる観客を対象としたもので(おそらく監督が、その筆頭なのだろう)、必ずしも、70年代の「ウーマンリブ」運動を知りたい人のための映画ではない。
ただ、田中氏は、本作は“切り取られた自分であって、必ずしも本当の自分ではない”が、“良くできている映画”だし、“歴史の有名人は大げさに描かれ、晩年は謎なことが多いが、自分はそうならなくて良かった”といった趣旨のことを言っていた。
歴史は“群像”が作るとはいえ、その中心にいた“一個人”は、どういう人物だったのか、というところまで掘り下げて知りたい人には、貴重な映像だ。
(上野氏は、田中氏が亡くなる前に、映画制作が間に合って良かったと言っていた(笑))
ちなみに、「ウーマンリブ」とフェミニズムの違いは、「ウーマンリブ」は敢然と闘い、かつ、楽しい、ということらしい・・・。
田中美津 心と身体のメッセージ
70年代日本のウーマンリブが、女性解放のみならず個々人の解放という先進的なメッセージを掲げていたことに感銘。運動を率いていた田中美津さんと監督の間で交わされるごく自然な対話から、田中さんの心と身体をかけて思索し行動したことが、当時の運動に大きな影響を与えたことが印象的でした。
田中美津さんをこの映画を機に知りました。しゃきしゃきと、ご自身の言葉でこの時代に記録を残されることに、個々の尊厳とパワーに対する勇気が促される思いがします。
一人の女性の記録としても、日本の現代史としても、興味深い作品でした。
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