この星は、私の星じゃないのレビュー・感想・評価
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「何よりも大切なのは自分を解放すること」
1970年代日本のウーマンリブ運動の牽引者であり、今年の8月7日に亡くなった田中美津の近年を描くドキュメンタリー作品。ただ、本作は2019年の作品で、追悼上映という形で公開されていた。
久高島の海岸で、私ももうすぐニライカナイに行くのね、と呟く場面から映画は始まる。(撮影当時に死期が迫っていた訳ではないだろうが、この時点で観ると感慨深いものがある。)
鍼灸師を生業として、シングルマザーとして一人息子を育て、積極的に高江や辺野古で平和運動に参加する。マイクを握って話すことばの力強さとは裏腹に、ウーマンリブのカリスマとして扱われることは嫌がるという姿勢は彼女の2005年の自著『かけがえのない、大したことのない私』というタイトルにも端的に表れている。
本作のタイトルは、幼少期の体験から自己否定して潰れてしまいそうな自分を守るために自分に言い聞かせてきたことばが元になっている。そして、そこからさまざまな経験を経て、やがて自己肯定へと考え方が変容していく。
作中のインタビューで彼女の語ることばの中で特に印象的だったのが(正確な文言ではないが)「『平等』の定義とは一人ひとりが自分を大切にできるということ」というもの。そして、その延長線上にある「女性の解放は大切だけど、何よりも大切なのは自分を解放すること」という考え。
大上段に構えて社会がどうかを語ったり、他人を憐れんだりする前に、何より自分自身を大切にすることを一人ひとりが実践できれば、きっと周りの人々のに対しても優しくできて、誰もが暮らしやすい世の中になるはず。
他人を変えることは難しくても自分を変えることはできるかも知れない。それをするかしないかは自分次第だ。
これを書いている段階で選挙の結果はまだ判明していないが、果たして一人一人の国民は自分を大切にさせてくれるような社会を築く代表者を選択しているのだろうか?
性別や国籍、人種などを超えて、多様性が求められるいまだからこそ、田中美津という人物の声に耳を傾けることの重要性を改めて感じる。
田中美津さんの今
田中美津という人
独演会
「ウーマンリブ」のことを知らないこともあって、観に行ったのだが、その目論見は外れた。
本作は、一言で言えば、田中美津という個人の“独演会”であり、その生き様、人生観、思想を描写する作品である。ベテラン鍼灸師としての姿も映される。
アクティビストであることは間違いないが、組織に属して活動をする人ではないようだ。あくまで「大したことのない」、しかしながら「かけがえのない私」を基準に考え、行動する。
現在の「沖縄」に対する思いや活動は、かつての抑圧された「女」に対するものと重なるからなのか。ただ、「女」は田中にとって“自分”なのに対して、「沖縄」は“他者”であり、その違いが問題となるシーンも出てくる。
10/26の終映後は、田中美津ご本人と、上野千鶴子氏が登壇してトークを繰り広げて面白かった。
(正確な引用ではないので申し訳ないが、)上野氏のコメントで、自分が“我が意を得たり”と思ったのは、
(a) “田中美津”が歴史を作ったと同時に、“田中美津”も歴史によって作られたはずなのに、「ウーマンリブ」運動に関わったその他の“群像”が描かれていない。
(b) “田中美津”自身が語っているだけであって、他者が語る“田中美津”があってしかるべき。(上野氏は、自分にも語らせろと言っていた(笑))
ということ。
つまり本作品は、田中美津という人物に共鳴できる観客を対象としたもので(おそらく監督が、その筆頭なのだろう)、必ずしも、70年代の「ウーマンリブ」運動を知りたい人のための映画ではない。
ただ、田中氏は、本作は“切り取られた自分であって、必ずしも本当の自分ではない”が、“良くできている映画”だし、“歴史の有名人は大げさに描かれ、晩年は謎なことが多いが、自分はそうならなくて良かった”といった趣旨のことを言っていた。
歴史は“群像”が作るとはいえ、その中心にいた“一個人”は、どういう人物だったのか、というところまで掘り下げて知りたい人には、貴重な映像だ。
(上野氏は、田中氏が亡くなる前に、映画制作が間に合って良かったと言っていた(笑))
ちなみに、「ウーマンリブ」とフェミニズムの違いは、「ウーマンリブ」は敢然と闘い、かつ、楽しい、ということらしい・・・。
田中美津 心と身体のメッセージ
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