燃ゆる女の肖像のレビュー・感想・評価
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描くこと、振り返ること=想い起こすこと
セリーヌ・シアマ監督作品。
18世紀後半のフランス。女性画家のマリアンヌは、伯爵令嬢のエロイーズの肖像画を依頼される。肖像画を描くのはエロイーズが結婚をするからである。姉の自死が運命づけるエロイーズの未来。二人は「肖像画」を描くことで接近していく。
本作では「描くこと」と「振り返ること=想い起こすこと」が象徴的に描かれている。
描くことは本作のマリアンヌの職業であることは言わずもがなである。ただし描くこと、特に肖像画であれば、対象≒他者をみつめ、「線」を引かなければ不可能なのである。〈私〉が〈他者〉をみつめることで、好意を寄せたり、理解をすること。そのことが「描くこと」に表象されているのである。しかしそれは「死」も意味してしまう。描いてしまうことは、他者や好意を過去に追いやる。それは決して現在に継起しない死するモノである。そしてこのことは「振り返ること=想い起こすこと」とも関係する。「振り返ること=想い起こすこと」は、オルフェウスが冥府から妻のエウリュディケーを連れ戻す際に不安で振り返り、死んでしまったことに言及され、意味づけされる。つまり「振り返ること=想い起こすこと」は、現在に他者が存在しないことが不安であるためにされることである。振り返った途端、他者は過去になり、死へと向かう。このように「描くこと」と「振り返ること=想い起こすこと」は死に近接する事象である。
しかし私はこの事象のラディカルな価値を本作では示していると思うのである。
他者としての女をみつめることや描くことは、18世紀のフランスでも現在の日本ー西欧化される世界ーでは男の領分にされている。さらに女、特にヌードを描くことは宗教的な大義名分や芸術の崇高さによって正当化されてきたが、そこには性的な搾取が多分に含まれてきた。
そんな社会の中で、本作の「描くこと」はラディカルである。女のマリアンヌが女のエロイーズを描き、またマリアンヌの肖像画をエロイーズに渡す相互性、マリエンヌのヌード描写をヘテロセクシュアルな恋愛の文脈から逸脱させることは上述の常識とは違うのである。
常識は社会規範や法によって形作られる。本作は法=社会規範=常識を逸脱させながら彼女らを描いていくのである。
「法」の逸脱は、ソフィの中絶でも象徴的である。中絶が違法とされた時代、中絶を遂行することは彼女らが文字通り死を賭けた行為であった。それは同性愛も然りである。しかしこの死を賭けた行為は、マリエンヌやソフィ、エロイーズにとって、セクシュアリティや階級を超えて、女の連帯を可能にさせるのである。
彼女らは「法」に立ち向かい、逸脱しようともエロイーズの肖像画は完成し、エロイーズは結婚してしまう。
エロイーズは悲劇的な結末を迎えたが、最愛の人に肖像画を描いてもらったから幸せだった。
そんなことを私は言えないし、言ってはいけないと思う。男によって構成させる「法」は依然として存在しているからだ。この「法」が変わらない限り彼女の死を美化させてはいけないのである。「法」は変革可能である。それは中絶が容認されたように、同性愛が社会的承認を受けるように。しかしそれは今なお政治闘争のさなかにある。それなら私たちは、対象≒他者をみつめ、他者や「法」を描き続けなければならないのではないだろうか。そのためには「描くこと」や「振り返ること=想い起こすこと」が必要だ。それは死に近接している。しかしそれは死するモノを現在に回帰させ、未来を想像/創造することも可能にするのではないだろうか。それが「描くこと」と「振り返ること=想い起こすこと」のラディカルな価値ではないだろうか。
「燃ゆる女の肖像」。それはマリアンヌがエロイーズをみつめ愛が発現した瞬間だ。と同時に女は燃えている。今も燃えている。「燃ゆる女の肖像」をみつめる私たちは、何を描き、振り返り、想い起こすのだろうか。本作もまた私たちをみつめている。
感想
この映画は最高で素晴らしかった
シンプルで美しい映像
理解を深めると完璧だったことに気づいた
でも最初はただ彼女たちをみて感じた
それで充分
しばらくしてから検索してみると理解が深まり解像度が上がった
監督や役者のインタビューを少しと海外のファンのコメントは興味深く 漁るのが楽しい
特別好きな作品になった
⚫︎見て所々感じたこと
エロイーズが振り向いた時、思っていたより大人っぽいと思った
儚いお嬢さんだと思っていたのだ
私の先入観とそれくらい前情報なしで見た
静かに進む物語 でも彼女たちの視線が魅力的で引き寄せられる
静かに怒っていたエロイーズ
海に入ったあとの彼女は子供に見えた
表情に幼い感じが少し出て
彼女らしさがだんだん見えてくる
なぜ散歩の友が来たのかわかって怒りとかがっかりの感情が見えてくる
カードゲームしてるとこ みんなかわいい
目で好意がわかる
途中、顔がよく映り、しゃべらなくても気持ちが伝わる
彼女たちが仲良くなっていくのがうれしい
ちょっと面白さもある
エロイーズのキリッとした表情で幼さがあるのが魅力に感じた
ちょっとユーモア担当
面白いと感じるとこについて話してる人見ないけど…
映像がすてき 色とかなんか色々演出とか美しい
この映画には男性がほぼ出てこない
でも彼女たちの人生に影響を与える支配力を持ってるのは男性だ
絵を取りにきた男達によって
ここにある平等も自由も終わったのがわかる
対等だった彼女たちは外では違う
当時の常識やルールが彼女たちをしばる
最後のシーンは圧巻
ふしぎな作品
うーん。この展開で好きになる気持ちがわからない。それが女であっても男であっても
別れた後彼女に2度あった。のところがすごく良かった。
絵の中の彼女は幸せそうとも不幸せそうともわからない顔で、左側には娘であろう女の子がいて右手には28ページを開いてる本を持っている。ぞくっとした
そして2度目はあの曲ヴィバルディ夏
オーケストラで聞いて感動している表情の彼女。胸に沁みてきた
色彩構成の緻密な作品
色の構成がどのシーンも美しい。
美しいだけでなく、作品に込められた意図を感じる配色で、絵画的な見どころのある作品だった。
屋敷主の母が本土へ発ち、屋敷に残された3人の女性たちの生活シーンが好きだった。
深刻な事態を抱えながらも和気あいあいと過ごす彼女たちの暮らしに、リアルな女性たちの空気感が漂っていた。
構成の緻密さを感じる反面、前半の画家であることを隠すシーンに無理を感じて、個人的には完成度がアンバランスに思えた。
描いていた肖像画は油絵具だが、油絵具の匂いはかなり強い。
そのため、あの部屋は匂いで充満するし、手や服にも匂いが付く。
カーテンでは防ぎようのないきつい匂い、お嬢様が部屋に入った時点で既に発覚するのではないかと。
画家と深刻そうに明かすシーンに「いやいや、あの状況なら既に気づかれてるでしょ」、信頼を失ったというような反応に「いやいや、匂いで絶対気づいてたやん!!」とツッコミを入れずにはいられなかった…。
細かな設定にツッコミを入れすぎてしまったせいで深刻に見れず、あまり没入はできなかったが、全体的におもしろい作品だった。
映画ならではの独特な世界
いろいろな意味で「美しい」印象が強く残る映画だった。
冒頭すぐから引き込まれる。衣装の鮮やかさ、女優さんの、凛とした美しさ。火が効果的で、光と影の世界にひきこまれるうちに心理的に外界から遮断されていく。登場人物も極端に少ない。ここでは、マリアンヌとエロイーズの母親との会話などによる最低限のあらすじ情報が与えられるだけで、他の雑多なものが一切排除される。
閉鎖的で圧迫感はある一方で、2人の女性(厳密には小間使い含め+αで2.3人くらい?)の存在感が浮き彫りにされてくる。ちょっとした目の動きやからだの緊張感から伝わる存在感の強さ。
いつの間にか二人が惹かれ合うのは当然のことのように感じられ、言葉を介さずに、絵を描き描かれることで魂が触れ合い、ひかれあっていく様は、美しい、とさえ思わせてくれる。
。そもそも人と人が惹かれ合うということは、こういうようなものなのだろう、と考えらさせられる。
映画ならではの方法を駆使して独特な世界を感覚的に見せてくれたと思う。
説明的ではない
説明は多くないしゆったりしてるんですけど、凄い示唆的というか、まったく隙がない。
ラストの28pの書物のサインは切なかったですね。
ただ新しい、これは見たことがないな、という体験はここにはなかったような。キャロル、アデル、あるいはブロークバック〜にはないものを考えました。時代背景そのものではなく。
美しすぎる映像、音楽、女たち
画家のマリアンヌも、不幸な面持ちのエロイーズも、お屋敷で働くソフィも、伯爵夫人のお母様も、みな非の打ち所がない完璧な美しさ。それぞれに当時の慣習常識により女であることだけで不自由である。画家は自由に旅したりできるのかと思うが父親の名前で作者を発表する。エロイーズは母親が決めた結婚、自らの肖像画を送り相手が気に入れば誰かもわからない相手と結婚する、ソフィは事情はわからないが様々な方法で堕胎を試みざるを得ない。冥府からの妻の生き返りをかけた地上への道で約束を守れず妻を振り返るオルフェ。
絵が完成し別れの時、振り返らないマリアンヌ、振り返って!と叫ぶエロイーズ。マリアンヌが振り返ることでエロイーズは自らを奈落の底へ、この島で束の間の愛と生命、活力溢れる時をマリアンヌと過ごした自分をほうむったのだろうか。
今、それではどれほどの自由を女は手にしているだろうか。
村の祭りで手に入れた、飛べる草
村の祭りで、地が揺れるような女たちの歌声、があっとうてきにすごい。
さまざまな問題提起もあり、しかし完璧に単純に映画として素晴らしい
美しい 深い、
何度も浸りたい世界観
予想以上に良かった!一貫して淡々と流れる物語で、盛り上がりの部分さえゆったりとしていました。
18世紀後半が舞台ですが、宮殿や晩餐会など煌びやかな物は一切なく、衣装や建物がとても地味なのであまり時代物とは感じませんでした。でもこの地味でくすんだ色味がたまらなく良かった…。たまの差し色が映えてとても美しい。
内容で特に良かったのは令嬢エロイーズがどんどん美しく見えてくるところ!もったいつけた後に初めて顔が映った時、正直がっかりしました。カトリーヌドヌーブのような妖艶で華やかな人を期待していたので、ごつくて老けてるなぁと。上品だけれど全く笑わないしそっけないし何の魅力もない、と思っていたのですが、画家のマリアンヌ(エマ・ワトソンに激似)との交流を経てどんどん綺麗に見えてくる。多分、エロイーズに日に日に惹かれていくマリアンヌの目を通してそう映っていたのだと思います。ラストシーンの涙するエロイーズは最高に美しかった!
驚くこともあって、アデル ブルーは熱い色 の時もそうでしたがフランス映画って唐突なシーンが普通なのでしょうか?唐突にヌード、唐突に歌、唐突にモザイク、唐突にキス。エロイーズとマリアンヌが惹かれ合う過程が分からなかったので、突如キスシーンでびっくりしました。また、言葉少なにじーっと見つめるところは、フランス文化に慣れ親しめば理解できるのでしょうか…。ものすごく目で語るシーンが多かったように思います。
LGBT映画というよりヒューマンドラマに感じました。女性同士の恋愛です!ではなく2人の人間の一生忘れられない愛の話。
冒頭に書いた通り雰囲気が抜群に好きですし、ストーリーも良かったので間違いなくもう一度観たい映画。しばらく世界観に浸りたいので、演者さんたちの他の出演作は見れない!
ブラヴォー!!!
18世紀ブルターニュ。
望まない結婚をさせられる貴族の娘と、その肖像画を描くよう依頼された女性画家。
被写体と画家、見つめ合う内に愛が芽生える。
ストーリーの大まかな骨組みとしては決して目新しくないけど、当時の画材や技巧で描かれる絵画一つとってもそこに専門家の目があることが分かる。
そうやって当時の生活を丁寧に描くことで、恋愛対象は男の私ですら深く入り込みラスト「振り向け」と強く願った。
オルペウスの物語が後半で母と子の肖像画で回収され、拙いピアノのヴィヴァルディが最後にオーケストラとなって感情の高鳴りとリンクする。など、しっかりとした骨組み。
なんという素晴らしい脚本!映像だけでなく、スートーリーも完璧に整っていて美しい。
会話でなんでも説明してしまう作品が多い中、
久々に観客を信じる「映画」に出会った。
嬉しい。
当時の女性が生計を立てる職業の一つが肖像画描き。
けど美術史には名前がほぼ登場しない(映画の中では父親の名で描いてる)。
18世紀ヨーロッパ。孤島のガールズラブ。
そこには自立した強く美しい肖像画家の女性と、孤島に幽閉される貴族の娘の、ひと夏の
ハーレクイン・ロマンスがあります。
真の芸術とは、こんな甘っちょろい映画を指さないと思うのが自論です。
2020年(フランス)監督・脚本:セリーヌ・シアマ
カンヌ国際映画祭で脚本賞とクィアパルム賞をW受賞。
(クィアパルム賞とはLGBTやクィアをテーマとした映画に贈られる賞)
18世紀のフランスのブルターニュにある小島。
貴族の娘エロイーズを嫁に出そうと、母親はミラノの見合い相手に肖像画を
渡す必要があった。
選ばれた女性画家のマリアンヌは、小さな手漕ぎの船に乗り孤島を訪れる。
望まぬ結婚を控えるエロイーズはナーバスで、以前男の肖像画家に、一度も顔を見せなかった過去がある。
素性を隠したマリアンヌは、エロイーズを観察して肖像画を完成させるが・・・
エロイーズに「この絵は嫌い、私ではない」と拒絶されてしまう。
激怒したマリアンヌは肖像の顔を黒く汚してしまう。
《肖像画の描き直し》
エロイーズの母親は自分の5日間の留守の間に、肖像画の描き直しを命じるのだった。
ここからはエロイーズとマリアンヌが急接近します。
音楽や文学に飢えているエロイーズに、マリアンヌは頼もしい自立した教師。
マリアンヌがチェンバロで奏でるヴィヴァルデイ協奏曲第2番ト短調「夏」
この一瞬のメロディが美しい!!
マリアンヌはエロイーズにとっては、パリの都から来た美術・音楽・文学の師!!
この時代の女の芸術への渇望が痛いようです。
母親の不在の開放感に、心も身体もひとつになるエロイーズとマリアンヌ。
この描写が百合(ガールズラブ)なんですねー。
「一夏のアバンチュール」
女性映画の王道です。
ブルターニュの孤島の貴族?
貧乏貴族?
よそ行きのドレスは緑が、たった一枚。
父親不在・・・(ここも、いかにもの、女性映画)
ほぼ4人の出演者の映画です。
ラストの方で、島民たちの焚き火のシーンがあるのと、
ラストのラストでミラノのオペラ座が写るシーン以外は、
エロイーズの母親、お手伝いのソフィ、そしてマリアンヌとエロイーズの4人の登場人物。
舞台劇みたいです。
撮影もブルターニュの孤島を使い、絵画のようなショットが散見されます。
肖像画も美しいのですが、マリアンヌの絵をレンブラントやフェルメールの肖像画と較べるのは酷というもの。
マリアンヌがチェンバロで奏でたヴィヴァルディの「夏」がフルオーケストラで盛り上げる
ラストは、ちょっとほだされます。
主役のマリアンヌのノエミ・メルランとエロイーズのアデル・エネルが、毅然としてとても美しい。
(アデル・エネルはセリーヌ監督の元パートナーだったとか)
美しい映画です。
しかし、大の大人が観るような本物の芸術作品とは到底思えません。
多感な若い女性には、結構愛される映画なのかもしれませんね。
是非
「ピアノレッスン」や
「ブロークバック・マウンテン」の火傷するようなラブストーリーを
ご覧ください。
丁寧に描かれた前半からの終盤の畳み掛けが見事
映画ファンの人からかなり高い評価を受けている本作。観たいと思ってたんですけど公開当時は地元の映画館で上映していなかったため観ることができず、最近立ち寄ったTSUTAYAのレンタルの棚で見掛けたので鑑賞いたしました。
敢えて情報を入れないようにしていたので、予告編やあらすじも知らない状態での鑑賞です。
結論ですが、いやー、面白かった。
日頃から「何でもかんでも登場人物に台詞で状況説明させるな」って思っていたんですけど、本作は非常に台詞が少なく、演技や演出で状況説明する映画でした。こんなに台詞も少なく、カットの切り替わりも少なく、役者の演技を堪能できる映画は久々に見た気がします。しかしそれ故に映画を観て登場人物の心情などを理解するのに集中力が必要で、観終わった後はドッと疲れが出てきました。体力に余裕がある時に観る映画です。
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画家であるマリアンヌ(ノエミ・メルラン)は、ある貴婦人から娘のエロイーズ(アデル・エネル)のお見合いのために肖像画を描いてほしいと依頼を受け、孤島の豪邸に招かれる。結婚を嫌がるエロイーズは肖像画を描かれるのを嫌っていたため、マリアンヌは自分が画家であることを隠して彼女に近づいていく。次第に親しくなっていった二人の間には特別な感情が芽生えていき……。
・・・・・・・・
最初は画家としての身分を隠し、外出する際の付き添いとしてエロイーズと共に行動するマリアンヌ。エロイーズの顔の造形を記憶し、それを基にして肖像画を描いていく。
とにかく前半は大きな盛り上がりもなく、静かに淡々と物語が進んでいく印象。登場人物が非常に少なく、また台詞も最小限しかない印象です。それ故に正直分かりにくいところも多くて、私は鑑賞し終わった今でも本作を理解できたとは思えません。
後半にかけて物語が盛り上がっていき、終盤は前半の静かな雰囲気から一変していきます。前半と後半との対比が素晴らしかった。終盤の畳みかけは、多分前半の淡々とした雰囲気に付いてこれなかった人でも息を飲むような素晴らしい展開でした。
特にラストシーンの、マリアンヌの回想シーン。絵画展覧会でエロイーズの絵を見掛けた時の描写と、演奏会(?)の観劇に行った際にエロイーズを見掛けた時の描写。あそこは本当に素晴らしかった。「エロイーズはこちらを見なかった(気付かなかった)」とマリアンヌは回想していましたが、実はエロイーズはマリアンヌの存在に気が付いていて、でもマリアンヌの方を見なかった。ヴィヴァルディの『夏』が鳴り響く中、どんどんとアップになっていくエロイーズのシーンは鳥肌ものですね。
レビューって、レビューに引きずられませんか?w
こういう映画のみなさんのレビューを見ると、ほんとかなあ?
なんて感じてしまう。初めにカンヌ!という先入観がある上、
高評価がズラリ。それに引きずられて星5つなんてことになるんじゃないかな。
私は、見てる映画の本数は人には負けないと思うのですが、
感性(言葉が古いけどw)がお子ちゃまなので、こういうスローで
静かで、ストーリーがほとんど展開しない映画は、眠くなるんですよね。
延々と絵を描いて、そのうち恋心が生まれて、結局は破局というそれだけやん。
この長さは辛いです。最後の最後の方だけ、グッとくるとこがありましたよね。
肖像画の本と、お嬢様の涙。その2点だけが良かった。あと、映像の美しさ。
これは、素晴らしい。
カンヌって、こういう映画、好きですね。
結ばれる事のなかった人たちの為にも…燃ゆる愛の肖像
今世界中で掲げられているSDGsの中に“ジェンダー平等”とあるが、決してタイムリーに狙った作品などではない。
燃ゆるような激しさと内に秘めた繊細さ、悲しくも美しい、愛の物語。
18世紀のフランス。
画家のマリアンヌはブルターニュ地方の孤島の屋敷に住む貴婦人から依頼を受ける。それは、結婚を控える娘エロイーズの肖像画を描くのだが…、
エロイーズにとって望まぬ結婚。これまで依頼を受けた画家たちは満足いく肖像画を描き上げられなかった。
そこでマリアンヌは正体を偽り、散歩のお供や話相手として近付き、画を描く機会を伺う…。
肖像画は微笑みとか、そんな“顔”が多い。しかし、お嬢様は笑わぬ。微笑み一つすら見せぬ。これで結婚用の肖像画など描き上げられるのか、予想以上の難依頼。
マリアンヌ自身も画家としての自分に葛藤があるのか、エロイーズほどではないが、あまり笑顔を見せない。何処か似た者同士。
エロイーズが心を塞ぐのには理由が。姉が居たが、亡くなり、その姉の結婚話が繰り上がって自分に。あの時代、親が決めた事には逆らえない。
だからせめてでも、島で自由奔放に振る舞う。それがまた何処か哀しく映る。
海辺を散歩したり、他愛ない話をしたり、少しずつ距離を縮めていく2人。
マリアンヌは画を完成させ、正体を明かし、画を見せるのだが…、
エロイーズは“私の本質を捉えてない”と一蹴し、マリアンヌは画を潰してしまうが、エロイーズは自らモデルになると申し出、マリアンヌは書き直す事に。
マリアンヌが島に滞在出来るのは後数日。
婦人が諸用で屋敷を外し、残ったのはマリアンヌとエロイーズと女中。
トランプで遊んだり、お酒を呑んだり、妊娠していた女中の中絶に立ち会ったり…。
絵画作業も続く。画家とモデルとして、キャンパスを挟んで見つめ合い、音楽や文学など話をしながら親密な関係を深めていく。
ある夜、島の女たちが集い、歌う祭り。
それに魅せられた2人は焚き火の中、官能的な視線を交わし、洞窟の中で初めて一夜を共に過ごす。まるで、初めて会った時から愛し合う事が決まっていたかのように。
笑わぬ2人が笑顔を見せ合うように。
書き直した肖像画も完成まで一筆。が、それは、2人の別れを意味していた…。
時は18世紀。今と違ってLGBTに理解など無かった時代。
決して結ばれる事の無い女性2人の情愛を、監督セリーヌ・シアマと主演のノエミ・メルラン&アデル・エネルが思い入れたっぷりに体現。
前述したが、静かながら、内に秘めた想いは、燃ゆる炎の如く激しく。
まるで絵画のような映像! 美しい島の風景、香り立つ官能の匂い、赤や緑など色を強調した衣装、島の女たちの歌は力強く印象残り、ヴィヴァルディのクラシック名曲が2人の愛の感情を高め、マリアンヌが時折幻想で見る白いローブ姿のエロイーズは神々しくも。
全てが緻密に作られ、監督セリーヌ・シアマの類い稀な才覚を感じた。
本作は単なる芸術作品ではない気がした。
セリーヌ・シアマが世界中の女性や愛へ想いを込めて。
ラスト、マリアンヌは2度エロイーズと“再会”する。最初の“再会”は意表を突く形だが、“28ページ”が2人の愛を繋ぐ。
そして、最後の“再会”。切ない。あの時代、ああする事しか出来なかった。
エロイーズ役のアデル・エネルと監督のセリーヌ・シアマは元パートナー。そう思うとエロイーズを捉えた視線(=映像)、あのラストなど意味深で感慨深いが、何も個人的感情だけではないだろう。
今は全ての女性たちが自由に愛を謳える。
振り返って。
結ばれなかった人たちの為にも。
女性が感情を出せない時代の
女性が感情を表に出せない時代の恋愛物語です。
全編にわたって「静」が強めで進行します。
なので、映像を含め起伏を好む方にはかなり苦痛な時間になるんじゃないかと思います。
個人的に後半に向かってもっと激しい感情の揺さぶりが描かれるのかと期待したのですが、思いの外あっさり終わった感があります。最後にそれぞれの感情のすれ違いを描いて終わるのですが、その点は気に入りました。
18世紀のフランス、ブルターニュの孤島。 画家のマリアンヌ(ノエミ...
18世紀のフランス、ブルターニュの孤島。
画家のマリアンヌ(ノエミ・メルラン)は、孤島の領主である伯爵夫人(ヴァレリア・ゴリノ)から娘エロイーズ(アデル・エネル)の肖像を描く依頼を受ける。
自殺した姉に代わって、ミラノのさるお方のもとに嫁ぐことになったエロイーズ。
前任の男性画家には最後まで顔を見せることがなかったことから、伯爵夫人は、マリアンヌをエロイーズの散歩友だちと偽って、散歩途中の観察に基づいて肖像画を描くことを提案する・・・
というところからはじまる物語で、三人に加え、若いメイドのソフィー(ルアナ・バイラミ)を加えた四人で展開される。
18世紀の女性たちの抑圧された愛と葛藤を描いた物語は古典文学の趣があるが、セリーヌ・シアマ監督によるオリジナル脚本。
カンヌ映画祭で脚本賞を獲得したのも、そのあたりにあるのでしょう。
個人的には、物語よりも演出的に驚かされたところが多々ありました。
最初の散歩で断崖に立つふたりを横から捉えたショット。
並んだふたりは互いに相手の顔を見ようと顔を振り向けるが、互いに視線を交わすことがない。
マリアンヌが描くエロイーズの最初の肖像のシーン。
なにかしらいつも抑圧され、憮然としていることの多いエロイーズでありながら、描かれた肖像は健康的で若さに溢れるもの。
エロイーズ(=健康的な、の意)の名前そのものから、「規律、しきたり、概念・・・ そういうものが肖像画には求められる」と職業画家として語るマリアンヌに対して、「この肖像は、わたしに似ていない。あなたにも似ていない」と言い放つエロイーズ。
こころを見透かされたマリアンヌは、肖像の顔の部分を布で拭き消してしまう。
この消された肖像のショット。
島の祭の夜。炎を前に歳老いた女たちが歌う島の歌。
炎を挟んで互いを意識するマリアンヌとエロイーズ。
炎に近づきすぎたエロイーズは、ドレスの裾に炎が移っていることに気づかず、立ち去ろうとするが、そのとき、炎に気づき昏倒してしまう。
昏倒したエロイーズに手を指し伸ばすマリアンヌ。
その手が・・・岩場でのふたりの手につながるジャンプカット(ここがいちばん映画的で驚かされました)。
エロイーズと深い仲になったマリアンヌ。
ミラノに嫁ぐエロイーズは、マリアンヌにとっては、失うことが約束されている存在。
幾度もみるエロイーズの幻影。
その姿は、冥界に残されたオルフェウスの妻エウリュディケーのよう。
マリアンヌが島を去る際に一声かけるエロイーズ(その姿は映らない)。
振り返るマリアンヌ。
繰り返されるオルフェウスの物語・・・
そして、ミラノの劇場の二階桟敷席。
向かい側の桟敷席からエロイーズを見出したマリアンヌ。
マリアンヌはエロイーズを見つめているが、エロイーズは決して振り返らない・・・
その長い長いワンショット。
どこかしらにまだるっこしさも感じる映画なのですが、取り上げたような傑出したシーンがあり、「傑作」といって差し支えない映画でしょう。
また、撮影の美しさも相まって「秀作」「良作」ともいえる映画でしょう。
モデルと芸術家の関係には
普遍的なものがあるのだろうな、って思った。
異性間でも同性間でも。
芸術家は、モデルのその輪郭を、その衣服を、その肌を自分の手で、目でなぞり、うつしとっていく。
カンバスに、紙に、石に、木に、金属に、フィルムに。
モデルも、見えない手で自分の体をなぞられているかのように感じるだろう。
すごいスリリングだと思う。
踏み出すか否かは、紙一重だろう
いや
踏み出さずとも
見えない手は結ばれているんだ
モチーフになっているギリシャ神話のオルフェウス
マリアンヌは振り返り
エロイーズは振り返らなかった
しかし、愛していることに違いはない
よかった
女性同士の恋愛は、オレには現実感がなくて絵空事のようにも感じる。もし絵描きが男でそういう関係になったら脂っこくて見てられないかもしれない。絵を隠しながら制作していくのはハラハラした。最初の絵もいきなりボツにするんじゃなくて、一回はお母さんに見せればいいのにと思う。メイドが妊娠したのに中絶していて、悲しい気持ちになる。
ラストシーンに鳥肌
すごく評判が良かったので鑑賞。途中までは「たしかに綺麗だけど、個人的にはそんなにハマらないかな…」という感じ。でもラストシーンかっこよかったなあ…!
言葉もなく、視線を交わすこともなく、でも溢れ出てくる感情が伝わってきて。彼女の人生の中に、心の片隅に、常に画家の存在があったことがわかる。切なくて美しいラストだった。
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