99歳 母と暮らせばのレビュー・感想・評価
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見終わったあと、不思議な感覚を覚えた。
なんという温かさとユーモアに満ちていることか。ヒューマニティーあふれる一編の「物語」を見たような、感動と充実感に満たされた。
が、この映画は「介護」、それも老々介護の現実を描いたドキュメンタリー作品だ。
”主人公”は二人。認知症が見られる99歳母、谷光千江子さんと、72歳谷光章さん。千江子さんの次男である。
高等女学校時代は走り高跳びの選手としてならし、陽気で、活発で、お茶目な千江子さん。22歳で見合い結婚。3人の子供を育て、今、白寿を迎えている。
そして、その母を介護する息子が、この映画の監督でもある章さん。長年、ニュース映画の制作に携わり、ドキュメンタリー作品も出がける、話題の映像作家だ。
認知症が進む母に寄り添い、老後を穏やかに過ごしてもらいたいと、2年前、章さんは藤沢の自宅に移り住んだ。閑静な住宅街に、大正時代の面影を残している自宅、庭の草花や木々の緑が美しい。
映画は、2017年元旦。美しい初日の出の江の島海岸から始まり、千江子さん白寿のお祝いに家族が集う。
得意のハーモニカで、懐メロの「二人は若い」を巧みに吹く母。楽しそうな笑顔。傍らで、章さんが口ずさむ。
母には記憶障害、物盗られ妄想、昼夜逆転、幻覚、下の失敗などの症状がある。とかく介護というと、つらく、過酷な状況ばかりを想像する。
しかし、二人の関係性の中で描かれる介護の現実は、全くそれらを覆してくれるものだ。
ある日のシーン。腰の骨に異常を来しているため、「腰が痛い。揉んで」とせがむ母。
章さんが腰をさすりながら、「3000円もらおうか」。
母「10円!」。
「10円かいな。このしぶちん」。
「もらおうと言うほうがあつかましい」。
このやりとりが、まるで漫才のようなおもしろさで、観客の笑いを誘う。
また、あるときは、背中が痛いと訴える。
「背中さすって……」。章さんがやさしく背中をさする。
「げんこつでたたくと、げんこつが食い込んで痛い」という母に、
「げんこつなんかでたたいてないよ。指でさすっているんだよ」とやさしく言う章さん。
それでも、「げんこつが食い込んで痛い……。痛いよ」と言う。
「私も腰が痛いんだよ」と章さんも訴える。
そこで交わされる二人の会話にも笑ってしまう。
ベッドの下で寝転がっている母を抱えて、ベッドに寝かせたり、着替え、おむつ交換、排尿の始末……。
どのシーンも、老々介護ゆえに、厳しいことは容易に想像できるが、二人のやりとりがおかしくて、つい笑ってしまう。そんなシーンが何度も出てくるのだ。
友人から来たお葬式についての手紙を読むシーン。
「お葬式は簡素にする」「香典は辞退する」と章さんが読むと、間髪を入れずに母が、「香典は要らない。それはいい」と合いの手を入れる。これも漫才の掛け合いの妙!
夜、幻覚が襲ってきたのか、人の気配は全くないのに突如、「おじいちゃんが来た」と言う。章さんが「誰もいないよ……」。「来たよ。どうぞお入りください」と言ったりする。
朝ごはんを食べたばかりなのに、お気に入りの「ランチパック食べたい、食べたい」とせがみ、本当にうれしそうに、おいしそうに食べる。「よく食べるねぇ」と章さん。
そんな日常を、自宅にカメラを据えつけ、1年にわたって追いかけている。
庭を彩る四季の移ろいが美しく、メジロや野鳥も訪れる。
春は満開の桜、冬は梅を眺め、「ああ、きれいだね」と感動する千江子さん。家庭菜園で収穫した野菜を、長男のお嫁さんと一緒に喜ぶ姿も印象的だ。
時には、自治会の夏祭りに出かけ、「炭坑節」を口ずさみ、手拍子を打つ。デイケアセンターでは得意のハーモニカで、「早春賦」や「故郷の空」を吹いて職員を驚かせたり。「わぁー、上手」と拍手をもらって、満面の笑みを見せる千江子さん。何歳になっても、人は、好きなことや得意なことで褒めてもらうことが大事なのだ。
介護する側、される側の人間関係がすばらしい。監督の母を見る眼差しがやさしく、温かく、思いやりにあふれているのが見る者の胸に迫り、笑いのあとに、涙が出る。
二人の愛情あふれる親子関係の歴史があるから、こういう介護が可能なのかと。
母、千江子さんの洒落っ気と、章さんのやさしい声のトーンと話し方を聞いていると、これが介護の現場なのかと、一瞬、疑ってしまう。
母の姿を、将来の自分の姿に重ね合わせ、接する。認知症になっても、「その人らしさ」を尊重する。
千江子さんは、今も毎日の晩酌を欠かさない。一日の終わり、二人で晩酌をするシーンを見ながら、みずから「楽しい介護」を実践し、日夜奮闘する章さんの姿に、感動を覚えた。
「介護する人もされる人も、ともに幸せに暮らせる介護を考えるきっかけになれば」。
章さんの切なる願いだ。
幸せな介護の心得――。
それは、あ「ありがとう」、い「イライラしない」、う「うろたえない」、え「笑顔で」、お「怒らない」だそうだ。
これに、もう一つ、つけ加えたい。ゆ「ユーモア」を。
ユーモアは癒しの根源だと、ある医師が強調していたのを思い出した。
深い余韻により、我が人生を見直したくなった
認知症と老老介護がテーマということで、家庭での介護の厳しい現実をイメージしていた。ところが、この映画に登場する超高齢の母親は、妄想、幻覚、下の失敗などの症状が次第に進む一方で、日によっては裁縫を楽しんだり、ハーモニカで昔の流行歌や唱歌を奏でたり、大きな声で歌ったりする。そんな時の満面の笑顔が実に愛くるしい。そして、72歳の息子さんが、床に寝転んだままの母親を抱きかかえてベッドに戻してあげたり、痛がる腰をやさしく揉みほぐしたり、着替えを手伝うなど介護をする時の母親との言葉のやりとりが、漫才のようでとてもおかしくて何度も笑ってしまう。母子が暮らす家の庭先に咲く花々や、餌を求めて訪れる野鳥のさえずりに季節の移ろいと、おだやかな時の流れを感じる。なぜか、ドキュメンタリー映画でありながら、人生の年輪を額に刻む老優の二人が演じる劇映画の名作を楽しんでいるような錯覚と幸福感に満たされる。(投稿者 75歳男。母親は35年前、私が勤務中に入院先で他界)
99歳 母と暮らせば
試写を拝見、介護という重いテーマを予測して参加したところ、
見終ってこれは何と人間愛溢れるドキュメントかと感動しました。
現在介護中の皆さんには現実はそんな生易しくは・・・という
声が聞こえますが、この映画からは辛い介護の現実を通し、いや
それを超越して親子の愛の交流が心に伝わります。人生100年
時代に自分がどう生きるかも考えさせてくれた作品でした。
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