マダムのおかしな晩餐会のレビュー・感想・評価
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ラストはうやむや?仏映画っぽい
ハッピーエンドかは観客に任せる終わり方、オシャレ?なのかなぁ(笑)個人的にはマリアの浮かない顔が、次第に笑顔に変わったような気がするのと、次第にBGMも明るい感じになったので、向かう先にデビットが待っていてハッピーエンドだと思う。マリアの顔が彫りが深いので、表情がそこまで組み取れなかったけど。日本では考えられない位、欧米では貧富の差がハッキリしていて、主人と使用人では住む世界が違い、ありえない恋なのだろう。招いた客が演技の悪い13人だからという理由で、メイドを無理矢理、招待客に紛らせたアンが一番悪いが、結果キューピットでもあった。夫には女性として相手にされない、不倫相手にも結局相手にされなくなり、経済的には満たされているはずなのに、幸せを感じられずにいる、そんな中、自分のメイドが幸せになるのに我慢ならないアンは高慢チキだけど人間臭い。
ハプニングから起こるドラマ、ないより、ある人生のほうが、豊かだと、私は思う
結局、素性が下だと、愛も冷めるのね、と、落ち着くとこに落ち着いてしまいます。
そういう、人間の打算、格差社会なんだけど、そういう一連のあれこれの中に、表現されるものが、ちゃんと描かれている映画。パリっていう舞台ってのが、とても分かりやすい。
彼もプライドがある、わけだけど、彼女だってちゃぁんとプライドがあるんだよ。
ホント、愛って何~ って。
でも、そういう冷めたり高まったり、恋も日常も、人間がくっついたり離れたりしながら、それでも、いろんなことがあるほうが、人生は楽しい。
あとあと、「うっそ~ そんなことがあったの?」って言われる話を持っているほうが、人生は豊かだ。たくさん、恋をしましょう。ww
マダム・アンの優しい気づかい…
TSUTAYAレンタルで初鑑賞。
晩餐会の場面はとっても笑えたけど、コレで最後まで続くのかなぁと不安もあり…
息子、チャラいなぁ~、でも嫌いじゃないな…
そしてマダムのアンにはとっても共感できました。
裕福だけど夫には相手にされず、セックスレスでカウンセリングも受けてて、その夫はフランス語教師の若い娘とイチャイチャ…
プールの場面や、ラストの『愛を取り戻したの…』と嘘をつく姿が痛々しくて悲しくなりました(T^T)
メイドのマリアに対してですが、長い間の信頼関係があったからこその優しい気づかいだと私は感じました。
身分を偽って参加した晩餐会で恋が芽生えても、本当はメイドだとバレたら…ポイ捨てされるんじゃないか…そうなったらマリアが傷ついて悲しい思いをするだけ…だからそうなる前に引き離そうとしたんだと思いました。
娘と二人で幸せになって欲しかったから…。
本当の『愛』を求めているアンには、マリアにも偽りのない姿を愛してくれる人に巡りあって結ばれてほしかったんだと思いました。
ラスト、ハッピーエンドだと嬉しいですね。
最後に…オブジェに座るアン、キッチンに座るアン、白黒ワンピのアン、とっても綺麗で美しい!!
スティーブンのエッセンス
彼の登場があったからこそ、マリアの晩餐会参加につながり
デイビッドへの紹介方法も、『ここだけのはなし』などと、作家ならではのユニークさがあり
『 君の全てを知っているから 』
お互いの認識はが全然違うのに話が進んでいく感じは
アンジャッシュのコントを思い出す感じだった 笑っ
最後は愛だなと感じられたのは、
マダム アンの経済的安定の生活であっても
セックスレスという心と体の満たされなさがリアルに描かれていたからなんだろう。
本当の自分 と向き合えたマリアは
飾らず、自分らしく輝いている女性そのものであり
視線の先に彼がいたからこその笑顔なんだと想像できるエンディングも良かった
期待はずれ
作中で「人は皆ハッピーエンドが好きなのよ」って言ってる割にはハッピーエンドじゃない。
不倫ばっかだし。
内容と関係ないけど、マダムがノーブラで乳首透けてるのがきになってしかたがなかった。
微乳だから?次のシーン全裸だったから結局映ってたけど。
晩餐会のシーンは笑えるところもあったけどあんまり好きじゃないかな。
結末の解釈
カフェで小説の仕上げをしていたスティーブンは、突風で飛び散った原稿を掻き集めていました。通りかかったマリアは、それが何であるかも知らずに拾い集めるのを手伝った後、短い挨拶で別れます。
数分後、同じカフェにデビッドが現れます。屋敷を出たマリアの後を付けて来たら、そこにスティーブンが居たと。デビッドはスティーブンが執筆中の小説の結末が、どうなったのかと尋ね、かつてマリアが好きだと言った通りのハッピーエンドで「あるべきだ」と言い残し、笑顔で立ち去ります。
暗い表情で橋の上を歩いていたマリアの頬が、少しづつ緩んで行きます。視線の先にはデビッドの姿があったから。
偽者のマダムとして出会った時は派手に光る靴を履いていたマリア。今は本当の自分に戻り、なんの飾りも無い黒い靴を履いています。デビッドは生身のマリアを笑顔で抱きしめてキスすることでしょう。雨は降って無いけどね。チャンチャン!
しかし、結末の表現、描かなさ過ぎではないかと。
ヒントは、「マリアに続けてデビッドがスティーブンがいるカフェに姿を表したこと」と「まだ執筆中の小説の内容と進捗をデビッドが知っている事」。
前者は「尾行した」と考えるのが合理的。問題は後者。テラスで飲んでるスティーブンの所に、ロンドンから彼を追いかけて来た雑誌記者が訪れて小説を絶賛しますが、これで観ている方は混乱する。小説は、まだ執筆中なので、デビッドはその内容を知る由も無く。カフェでのスティーブンとのやり取りは「スティーブンが全てをデビッドに暴露したから」と考えられます。
映画としては、気負いのない洒落た脚本。自然なコメディ。象徴的な演出。マリアをシンデレラに例えた演出とか最高だったし、チェスの白黒対比にプールサイドの人間模様など、気が利いてて、作り手のセンスを感じました。
良かった。期待を遥かに超えてました!
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12/31追記
映画は「メイドのマリアがマダムになるまでの話」。原題「Madame」は、この「希望を感じさせるラスト」に照らせば、「満たされない生活を送るセレブのマダム」を指しているのではなく、「内面に輝きを持つ純粋なマリア」の事を言っているのだと思う。映画の主題はネガティブな皮肉でも何でもなく、「人の本質」の部分で惹かれ合った、いい年こいたオッサンとオバサンの「愛の物語」だから。つまりはポジティブ。
マリアの顔を見て一番最初に思い浮かんだのは、ピカソの「泣く女」。絶対似てる。美術鑑定士であるデビッドは、最初の晩餐会で、マリアと美貌の未亡人に挟まれますが、未亡人のことを「Nightmare」だと言います。外見にとらわれることなく人の本質を見抜く力を持っているデビッドを、素直に尊敬する。つか、だから美術鑑定士が務まるんですよね。納得。
地方で公開は少し遅れたけど、年の瀬に、いい気分にさせてくれる映画でした。
マリアの微苦笑の意味
色々と綺麗事を言ってもこれが人間世界の現実なんだな、と割りと静かに淡々と突きつけられる。でも、そうは言っても映画なんだから現実的ではないかもしれないけれどハッピーエンドで夢を見させてくれるのかな、と思わせておいて、最後に、ハッピーエンドは物語の中だけだよ、と締めて終わる。
欧米の階級社会・階級意識は今だに厳然として存在する、ということは聞き伝えの知識でしかありませんが、今起きているフランスのデモやヨーロッパ全体の右傾化傾向なども、日本における経済格差以上に根深い断絶がないと、あそこまでのことにはならないと思います。
なので、何の気なしに見てると鼻持ちならないと思えるマダムの言動もあの人たちの世界では、実はそれほど悪質でもないのでしょう。言葉にするかしないかの違いだけで。
日本でも表向き、階級や身分で差別するような人はほとんどいませんが、あいつのオヤジはどこそこの社長だよ、とか、◯◯大学出身、とかいう要素を人格判断の一部に、意識的かどうかはともかく取り入れているのは事実です。属性情報なしで人を見てるか、と問われたら少なくとも私は否定できません。
マリアの出自が高貴だという前提(思い込み)があるから、下品なジョークがアンバランスな魅力になるのであって、元々メイドだとわかってたら、人格まで下品だと決めつけられて、やっぱりこの晩餐会に参加する資格はない、と断じられたはずです。
愛があれば階級差なんて、と言いますが、階級差があったら、よほどの美形(階級差という障害を乗り越えてでも結ばれたくなるような)でもない限り、そもそも愛に発展する以前に相手への興味が生まれないことのほうが現実的です。だから、この映画では一目惚れ(感情移入)の起きにくいあまり美人ではない女優さんをマリアに起用し、厳しい現実を突きつけてくるのです。
ラスト、マリアのやや口角を上げたような表情は、階級上位に属する人たちが、見栄や利害関係の中での相互依存に浸かりきり、実は人として自立できていないこと、自分はもうその世界で振り回されないで済むこと、子どもとの新たな向き合い方への期待、などが入り混じった微苦笑だったのだと思います。
ふんだんに棘を添えたおとぎ話
富豪の屋敷の造形、晩餐会の様子など普段の自分の現実からはかけ離れた描写とカラフルポップな映像表現に目を奪われる。
見た目だけで楽しい絵本のようなタッチなのに、まあ棘の多いこと多いこと…
おとぎ話の要素が散りばめられていて、それを皮肉っているのか大人の世界に昇華させてるのか。
マリアが晩餐会に参加するまでの攻防、晩餐会の席での言動の一つ一つや彼女に惚れ込むデヴィッドのどれもこれもコミカルでハッピーな空気を感じて笑いながら観ていた。
本来仕える側であるメイドが身分を偽ってパーティーに参加して、食べる側である富豪と身分の差のある恋に落ちるはモロに「シンデレラ」。
しかしあの王道ストーリー展開にアンの憤りや周囲の人間模様がチクチクと針を刺し、なかなか一筋縄ではいかないのが面白い。
王族とかならまだしも、この現代においてただの富豪と召使の恋に身分相応も何も無いだろうとは思うんだけど、アンの無意識な差別思考は結構キツイものがある。
フィリピーナだからダメ発言とか、おめかししたマリアのを褒めつつ裏では「ブスよね?」と旦那に毒づく始末。
アン自身は「自分はリベラル」「マリアは家族のようなもの」と言っているけど、その見下した目線は隠しきれない。
高慢ちきで自意識が高く、なぜマリアの恋を応援できないんだと腹立って仕方ないんだけど、どうしても彼女を責め立てきれないもどかしさもある。
再婚とはいえ玉の輿の年の差結婚。
旦那とは没交渉で寂しく、友達を招いても見下した存在のマリアに注目が集まって寂しい。
不倫相手の情事に積極的かと思いきや小さく抵抗しているような振りも見られたり、大胆に迫ってみればあっけなく去られたり。
とにかく心の隙間が大きく空いているのが全面に出ていて、その嫉妬の方向も自分に置き換えてみると結構理解できるものもあり同情してしまうことも。
マリアとデヴィッドのきちんと手順を踏んだ恋の進み方が好きで、携帯を胸に挟み少女のように一喜一憂するマリアの姿が可愛くて仕方ない。
デヴィッドの優しい感じも好き。
しかし最後の展開は正直モヤモヤが止まらなかった。結末を観客にゆだねるのは全然良いんだけども。
みんなが好きなハッピーエンドとして解釈して良いんだよね?
デヴィッドがマリアに連絡しなくなり屋敷で顔を合わせたときもシカトしていたのはわざとで、マリアが思い切ってメイドを辞められるように、悲劇からのハッピーエンドへのどんでん返しを演出するための行動なのかな。
アンがマリアの事を彼に話したとき、その内容はうまく聞き取れないようになっていた。
でもあのときアンは持ち前の見下した目線を多く出して話していて、愛する人がこんな人と一緒に過ごしていてはいけないと危機を感じたゆえの一芝居だったのかなと。
ラストのマリアが歩いた先にたくさんのバラを持ったデヴィッドが待っていたらいいな。
なんて考えてひとまず自分のなかでハッピーエンドを作ってみるんだけど正直あまり心は晴れない。
連絡が来ない間、無視された時、マリアはひどく傷ついたと思う。
いくら最後に迎えに来てくれていたとしても、それまでの行動からズタズタになった自尊心の傷は結構深いんじゃないか。
的外れなサプライズをする男のようでどうにもイラついてしまうのは私だけかな…。
アンの意識に改善が見られず、ボブは結局若い美人にベロベロしてて気持ち悪いし。まあアンに関してはこれから色々なことに気付けるような予感が少しはあるけれど。
なんともいえない後味の悪さが残る作品だった。
影で人々をかき回し小説のネタにするスティーブンもちょっと気持ち悪い。
でも何なのあの腹立たしいほどの色気。髪型もファッションもパーフェクト。憎たらしいわ…しかし厄介なことに私はこの男が結構好きなんだよなあ。
素敵な恋!
庶民には分からない悩みがあるんだな。。。
セレブならその生活を維持すること、美しさを維持すること。
主人公のマリアはメイド、でもひょんな事から当家の晩餐会の席に。。下ネタが受けたのにはびっくりしたけれど、その正直な姿に打たれた男性と恋に落ちて、、、結末はどうなるのかワクワクしてみてしまいました。願わくば、、いけませんね。とにかく痛快で楽しかった。女性の魅力は年齢とか、美醜、貴賤には関係なく恋の魔力が舞い落ちると夢をみてしまいます。私のハートにずんずん来ました。彼の言葉の最後はハッピーエンドが好きだと、いったいマリアはどうなるのでしょうか!!
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