「C.ボーズマンの隠れた秀作に接して思うこと」マーシャル 法廷を変えた男 清藤秀人さんの映画レビュー(感想・評価)
C.ボーズマンの隠れた秀作に接して思うこと
去る8月28日に43歳の若さで他界したチャドウィック・ボーズマン。彼にとって本作は、「エクスプレス 負けざる男たち」(08)、「42 世界を変えた男」(13)、「ジェームス・ブラウン 最高の魂(ソウル)を持つ男」(14)に続いて、実在の人物を演じた作品だ。演じるのはアフリカ系アメリカ人として初めて合衆国最高裁判事に任命されたサーグッド・マーシャルである。しかし、それまでには苦難の道があった。1940年、全米黒人地位向上委員会所属の弁護士として全米各地を行脚していたマーシャルは、コネチカットで起きたレイプ事件の容疑者として収監された黒人運転手を直接弁護することができない。背後に人種差別があるのは明白だ。代わって弁護を担当するのは、どちらかと言えば日和見主義のユダヤ人弁護士、ブリッジポートだ。つまり、マーシャルは法廷で黒子に徹することになる。そこが最大の見どころで、マーシャルの弁護士としての能力と不屈の精神が、最初は頼りなかったブリッジポートに乗り移って、勝ち目のない裁判に勝機が見え始めるプロセスは、法廷劇として、まず秀逸。そして、押し殺した怒りを差別撤廃のために投入していくボーズマンの物静かで精悍な演技は、どんな熱演より説得力を持つのだ。思えば、彼こそ、かつてシドニー・ポワチエが演じた誇り高い黒人俳優のイメージを受け継ぐ逸材だった。それだけに、早すぎた死が悼まれる。そんなボーズマンの隠れた秀作に接して、その思いを強くした。
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