「【何だかんだと言いながら、結婚したSMゴージャス夫婦の第三弾。今作は、地位も金もあるが、出生の孤独に苛まれて来た男の心の成長物語でもある。】」フィフティ・シェイズ・フリード NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【何だかんだと言いながら、結婚したSMゴージャス夫婦の第三弾。今作は、地位も金もあるが、出生の孤独に苛まれて来た男の心の成長物語でもある。】
■ついに結婚したアナ(ダコタ・ジョンソン)とクリスチャン(ジェイミー・ドーナン)は、ゴージャスで幸せなSMチックな新婚生活を満喫していた。
だが、アナの出版社時代の元上司でクリスチャンにリストラされたジャック(エリック・ジョンソン)が、逆恨みと嫉妬を募らせ、2人の邪魔をしようとあらゆる手を使って襲いかかってくる。
◆感想
・ストーリー展開の主は、全作でも滲ませていたジャックの復習譚である。
・アナとクリスチャンは、結婚してからも相変わらずSMチックなSEXを愉しんでいる。
ー ジャックが侵入した時にも、アッサリと捕縛。
で、アナが思った事(類推)。
”私の家には、拘束具に不自由していないのよ!ホッホッホ。”-
■途中までは、一作目で散々批判されたSMシーンは激減し、アナとクリスチャンの一見幸せな日々が描かれるが、アナが妊娠した事を知ったクリスチャンの態度と台詞”今はその時ではない”に激昂する。お前なあ・・。
・だが、クリスチャンが母に愛されず、ジャックと同じ家庭で育った事が分かるシーンから、徐々に気持ちが変わる。
ー クリスチャンは、親の愛を受けずに孤独に、けれど必死に働き富豪の地位を築いたのである。(ここで、そんなの無理ジャン!とか言わない。)
故に、彼には子供を持つ責任が取れないのである。
自身の負の生い立ちから・・。-
・だが、アナがジャックに追い詰められた際にクリスチャンが言った言葉”大丈夫か!”
ー これは、勿論アナ及びお腹の赤ちゃんを気遣っての言葉である。
クリスチャンが父となる決意を示したシーンでもある。-
<ご存じの通り、このシリーズは映画界では酷評された。
では、何故にこのシリーズは第三作まで製作、公開されたかは、根強い支持があったからである。
映画とは、評論家のためにあるのではない。
それを求める観客がいるから製作されるのである。
第一作を劇場で観て、”これは私には合わない。”と続編の鑑賞は止めたが、その後、子供の育児の楽しさなどを経て、久方振りに初鑑賞すると、ナカナカ面白かった作品群でありました。>