スーパーシチズン 超級大国民のレビュー・感想・評価
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面白かった
昔の日本の匂いも濃く残る、台湾映画独特の感触。
現代シーンのロケ撮影では、台湾の生活風景を写した映像をただ眺めているだけで全然飽きない。友人に会うのに電車に乗っていくシーンなど良かった。
主人公は冒頭では今にも死にそうな老人なのに、あちこち元気に動き回ったりガシガシ山に登ったりして凄い。また主人公の娘を演じる女優さんが幼少時代も現代も、どちらも美しい。
わりと情緒的な、メロドラマっぽい演出で物語は進んで行くが、これはこれで面白い。背景にある皇民化政策とか白色テロといった抑圧の歴史について、教科書的知識しか持ち合わせていないので、当時の人達がどんな目にあったのか、こうした映画を見て思いを馳せるしかないのだ。
自分の無知・無関心への悔恨
この映画が製作された95年、私は大学を卒業して、気の乗らない社会人生活を始めたばかりだった。映画の中で映し出される当時の台湾の民主化運動のニュース映像を見て、その頃の記憶が甦るものの、当時の自分がいかにその出来事に無関心だったかについても知ることとなった。
台湾というすぐ近くの土地に関して、こうして興味を持つようになったのは無論、「悲情城市」をはじめとした素晴らしい台湾映画を観るようになってからだ。だが、初めて「悲情城市」を観たのは自宅でVHSをレンタルした学生時代である。
既にこの経験を経ていたにもかかわらず、自分が台湾の民主化運動、そして台湾の人々の歴史に無関心であり続けたことへの悔恨の念と、この「超級大国民(スーパーシチズン)」の主人公の懺悔の念が重なると書けば、おこがましいだろうか。
この当時、この作品が一般公開されていたら、自分は興味を持っただろうか。持たなかったかも知れない。
その当時の自分が、一本の映画を観て得ることのできるものがいかに薄っぺらで独りよがりなものでしかないのかを、恥ずかしく思いながら、この映画を観なければならなかった。
今日の観客の中には、当時の私と同じ年頃の若い方たちが少なからずいらした。それぞれが、いろいろな理由でこの作品を観たいと思ったのだろう。ぜひ、自分がなぜ観ようと思ったのか、その理由も合わせて、この作品についての記憶を留めておいて欲しいと思った。
郷里の旧友であり、戦友でもある老人がサックスで吹く「軍艦マーチ」の物悲しさに、気付くと涙を流していた。
政治的な理想や、贖罪のために家族を犠牲にしてきたことを娘になじられ、それでも墓参りを諦めなかった主人公が最後に見た夢は、妻と娘と三人で笑いながら陽の光の下を歩くというものだった。
このささやか幸福のために、その幸せを照らす陽光のために、彼は理想を追求し、政治について考えたに過ぎない。その彼が、結果としてその幸福を手放さざるをえなかったという半生。自らに課した贖罪の義務の厳しさを思うと、再び涙なくしては観ることができなかった。
すみません
1950年代台湾で政治的読書会に参加したことから投獄されたものの友人を売って釈放された主人公が、その後処刑された友人へ謝罪する為30年後に墓を探してまわる話。
あらすじを読んでいないと序盤は判り難い流れながら、徐々に話がみえ重くなってくる。
主人公の言葉はかなり少なく、それ自体は悪くないけど、表情にわざとらしい無機質さを感じて残念。
良い話だけど、作品としても無音の部分が多いし、展開が非常にゆったりで冗長に感じてしまった。
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