「孤独な魂を支え続けた勇気」静かなる情熱 エミリ・ディキンスン 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
孤独な魂を支え続けた勇気
19世紀のアメリカは、まだまだ英国文化が色濃く残っており、話す言葉もアメリカンスラングではなく、クイーンズイングリッシュに近かったと考えられる。言葉は思想や情緒、風俗に大きな影響を及ぼす。従って当時のアメリカ人の価値観は英国式の古臭い道徳の範疇から逸脱することはなかっただろう。
本作品は、そんな窮屈な倫理観に凝り固まった社会にあって、断固として精神の自由を貫こうとした孤高の詩人の物語である。キリスト教の価値観から1ミリも抜け出すことのない周囲の人間たちとは、当然いさかいを起こすことになる。
金持ちの家に生まれたから働かないで一生詩を書いて暮らせたのか、それとも当時は女性が働くことはなかったのか、そのあたりは不明だが、経済的環境は恵まれていたようだ。しかし金持ちは現状の社会体制が継続するのを望むはずで、同時代の価値観を疑わない傾向にある。にもかかわらずエミリが時にはキリスト教の価値観さえも相対化してしまう自由な精神を維持しえたのは、おそらく幼いころに獲得したであろう自信と勇気の賜物である。
映画の冒頭から、シスターによって同調圧力に従うかどうかを試されるシーンがある。あたかも踏み絵のようだ。エミリは自分の真実の声に従って対応する。この行動のシーンにより、観客は主人公が若いころから勇気ある女性であったことがわかる。そしてその勇気が、詩人を一生支え続けることになる。
イギリスの詩人、W.H.オーデンは「小説家」という詩の中で、詩人について、次のように書いている。
『彼等は雷電のようにわれらを驚愕し、または夭折し、または長い孤独に生きのびる。(深瀬基寛 訳)』
若いころに女学校のシスターを驚愕せしめたエミリ・ディキンスンもまた、長い孤独に生きのびた詩人であった。