「空前のマルチバースブームを走り抜け!」ザ・フラッシュ 平野レミゼラブルさんの映画レビュー(感想・評価)
空前のマルチバースブームを走り抜け!
『スパイダーマン:スパイダーバース』、『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』、『ドクターストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』といったアメコミ原作から、今年では『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』や『ジュリア(s)』(これだけ未見)などのアメコミ原作外でも一般化してきた並行世界…マルチバース設定。
ここに来て、遂にDCの方でも流行りのマルチバースに手を出す作品がやって参りました。
で、この手のマルチバースで求められるものとなると、一番は懐かしの過去作からの客演だったり、続編が途絶えたと思われた作品の延長戦を開始するといったファンサービスの面が大きくなるわけです。
そうなってくると、その要素を回収するだけでもう盛り上がるのは必然であり、ある意味そのシリーズの歴史に寄りかかったズルい設定とも言えるでしょう。ただ、それはお祭り作品的な要素が強くなってしまい、初心者が入るには敷居が高くなる…っていう諸刃の剣でもあります。
そして、本作ではまさかのお年を召したマイケル・キートンのバットマン復活ッッッ……というワケで、一番の魅力はやっぱりそこなんだけど、ただそれだけではなくて、ちゃんと表題通り史上最速ヒーローのフラッシュのオリジンとしても成り立っている。むしろ、一度過去に遡ることで能力を手に入れた経緯とかの解説をする変則的オリジンがキマッていて、初心者にもオススメのマルチバース作品となっていました。
僕もDCは最近のシャザムとかザバしか観れてなくて“こっちの世界”のフラッシュの過去の客演作である『ジャスティス・リーグ』シリーズとか観てなかったからね。マイケル・キートンの『バットマン』も観た方が良いんだろうなァ~と思いつつ結局観ないまま試写会行っちゃったし。
それでも全然問題ないくらいに付いていける作品でした。スピード出しまくって置いてけぼりにはしてくれない。
そりゃ知識に富んでいた方がより楽しめたんだろうなって部分は結構あるんだろうけど、あの俳優の客演とかは「何かしらの元ネタがあるんだろうな~」とは思ったし、観終わった後に調べて「なるほど~」ってなったわけですから本当に知識ゼロで問題ない。
とは言え、やっぱり出来ればマイケル・キートンのバットマンくらいは観といた方が良かったなとは思いましたが……
まあ、でも本作だけ観ても「これがバッティの狂気の行き着く先かァ…」って妙な納得はありました。
凄みに溢れてるんですよ、マイキーバットマン。もはや棲み処が幽霊屋敷みたいだし本人はヒゲボーボーの世捨て人なのに、明らかに不釣り合いなテクノロジー施設を隠してるし、その割に戦闘スタイルはステゴロスタイルで果敢に無茶しまくりますからね。
バットウィングとか明らかに個人が所有しちゃいけない戦闘機飛ばしてるクセに、要所要所はアナログ手法なのも笑ってしまう。垂直リフト射出する時は律儀に体重聞いて爆薬の量調整するし、パスワードは総当たり。電流が必要になったらフランクリンの凧式で集める。というか、その凧なに?バットシグナル代わりなの???
挙げ句の果てに肉体スペックで遥か格上のクリプトン人相手に肉弾戦でハメ殺し仕掛けていたのは正気の沙汰ではない。
もうかなりの老齢なのにそんな無茶して大丈夫なの!?って思ったら、案の定おかしい生傷塗れだったので大丈夫ではない。コイツ、ヤバイ。
本作においては、この老バッティに「狂っている」と言われることは最上級の賛辞であり、そして同時に「お前ほどではない」というツッコミ待ち。眼の周りを黒く塗りつつ、決して衰えることないマイケル・キートンの眼光の鋭さが狂気を際立たせている。
思わず老バッティのことばかり語っちゃいましたけど、主人公のフラッシュも良かったんですよ。
今回の流れは「フラッシュが抱える現在の問題を提示→ジャスティス・リーグでのフラッシュの活躍→時を遡って別時空の自分でオリジン→マイキーバットマンやスーパーガールとの邂逅」って感じなんで、単独ヒーローのビギニングとヒーロー大集合系のお祭り映画を両立させている感じですね。
この二つは同時に成り立ちづらいですが、タイムリープとマルチバース設定を両立させることで成り立たせるという高度なエンタメを成し得ています。
で、今回は正史のフラッシュがマルチバースの過去(母親が生きている世界)に来てしまい、そっちの世界のフラッシュとバディを組む……という感じなんですが、この奇妙な一人二役が面白い。
正史フラッシュはヒーローとしての宿命を背負ってるんですが、マルチバースフラッシュはお気楽に生きてて能力もなければそもそもヒーローになる必要すらなかったワケです。そのため紛れもない自分自身なのに性格が合わず、さらにひょんなことから正史フラッシュが能力を失い、マルチバースフラッシュが能力を手に入れる……という逆転現象まで生じてしまう。
そこから正史フラッシュが師匠、マルチバースフラッシュが弟子という奇妙な師弟関係が築き上げられ、そのまま単独ヒーローの成長譚としても多面的に展開していきます。
『スパイダーマン:スパイダーバース』なんかは役割は同じだけど、出生や世界の大前提からして異なるから明らかに自分ではないスパイダーマン同士の師弟でしたが、こちらはほぼほぼ同じ自分同士ですからね。スパイディは容姿も声優も違いましたが、フラッシュは同じエズラ・ミラーですし。
両方自分自身だからこその奇妙な凸凹具合に、年齢の若さからくる軽妙なやり取りが絶妙な笑いを生むんですが、これがエズラ・ミラーの軽快な一人芝居で成り立っていると思うと余計に笑える。
自分自身と掛け合いをしてくれとか言われても、どう演じりゃいいんだよって感じでしょうが、それでもテンポよく、長年の友人同士のような会話で楽しませてくれました。
あと、とにかく明るい安村(Tonikaku)が何故海外へ進出して認められているかがわかる映画でもありましたね。とにかく明るいフラッシュ。とにかく明るいエズラ・ミラー。
そんな感じで軽めに楽しめる映画ではあるんですが、昨今のマルチバース設定の中でも目立つくらいに軽いのは一長一短やも。
最近では乱発しまくりでマルチバースの意外性とかサプライズ性が薄れているため、そこまで身構えずに観れる本作は逆に良いとも言えるんですが、どうしてもこの設定自体に飽きてきた感じは否めない。
本作と同日に公開される『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』だってゴリゴリにマルチバースですからね。この空前のマルチバースブームがどう転がっていくのかはちょっと気になるものの、流石にお腹いっぱいにはなってきた。
あとこれはもう本作だけの問題じゃないというか、マルチバース設定の宿命なんですけど、テーマとオチが大体読めるようになってきたのも難点かな……
やり直したい過去があり、別の世界を経験して、でも別の世界には別の世界で築いた人生があって……辺りが共通項なんですが、ここまで提示されると自ずと物語が向かうべき結論が見えてきて、実際に同じ感じに着地するんですよね。たまにはそのお約束をブチ破ってもいいんじゃないかって気持ちにもなる。
また、本作はマルチバース設定だけじゃなくて、タイムリープによる死に覚えゲーという微妙に違うジャンルの要素までくっつけています。
この死に覚えゲー映画ってのは『オール・ユー・ニード・イズ・キル』や『コンティニュー』、『ハッピー・デス・デイ』といった作品が該当するんですが、こっちのジャンルの映画だと「これだけ死ぬほど頑張ったんだから何かしらの報酬はくれよ!」っていう気持ちになるんですよ。そして実際何かしらの見合った報酬を手に入れる……って結末が多いんですが、マルチバース映画との噛み合わせが滅茶苦茶に悪い。
なんたってマルチバース映画は「色々頑張ったけど結局それぞれの世界を尊重しよう!」って真逆の結論になりがちですからね。報酬が欲しいって言ったら台無しになってしまう。
なので本作の結末は「その改変が駄目って理由はわかるんだけど、じゃあこの最終的な決定はいいの?線引きがよくわからないよ…」って感じにちょっともにょる部分と、死に覚えゲーをしまくっていた割に最終的にゲーム本体をリセットして無理矢理終わらせたみたいな煮え切れなさが発生しています。特に前者に関しては、半ばギャグ落ちっぽくはあったけど「やっぱり駄目じゃねーか!」ってなったし。