天使にショパンの歌声をのレビュー・感想・評価
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カナダ「静かな改革」時代へのレクイエム
ヒットしたウーピー・ゴールドバーグのコメディ「天使にラブソングを」にあやかろうとつけた邦題でしょう、原題はLa passion d'Augustine(オーガスティンの情熱)です、テイストは天と地ほど違うし、メリルストリープの「ミュージック・オブ・ハート」のように純粋な音楽教育映画でもない、強いて言えば時代の流れに取り壊されてゆく古いものたちへの鎮魂歌のような切ない部類の映画ですからお間違いないように・・。
映画の時代背景は1960年代のカナダ、ケベック州です、当時のケベックは保守的・内向的な価値観、農耕主義的・伝統主義的な社会構造で教育もカトリック教会の支配下にありましたが近代化への変革を唱えたケベック白由党のJ.ルサージュ政権になってから「静かな改革(La Revolution Tranquille)」と呼ばれる大きな社会変動の波が起きました。水力発電の州有化、産業化の促進、教育の教会支配からの解放などです。映画では校長のマザー・オーガスティンは公立化の波に乗っても学校を残そうとしますがカトリック教会の総長の偏見で潰されてしまいます、教師のシスター達もスーツケース一つで学校を去ってゆくのです。
ピアノの少女の話はむしろサイドストーリーに思えます、校長の姉が突然娘を預けに来ます、姉妹関係にも何かわだかまりがありそうですが不明、姪の家庭環境も余り描かれずマリファナを吸う問題児ですが何故かピアノの才能だけは凄くてオーガスティンの支えがあって花開きます。
クライマックスにショパンの別れの曲が流れます、甘く切ない旋律が注目されがちですが中間部にはショパンならではの激情的な部分があり映画を象徴しているようにも思えます、姪のアリス役(ライサンダー・メナード)が吹き替えなしで演奏しています、練習曲ですがお見事でした。それもその筈、ライサンダー・メナードはカナダを代表する未来の音楽家30人の1人に選ばれたプロの若手ピアニストでオーディションで選ばれ本作で映画デビューしました。
宗教と音楽の結びつきが強いのは分かりますが学問は学問、宗教でなく道徳として学べば良いかとも思います、難しいテーマを魔女に虐げられる善人たちの構図のように描くのでは手を抜き過ぎですし、情緒的描写のみで人物の掘り下げも足りません、「静かな改革」時代を知るカナダ人にはノスタルジックな映画なのでしょうが期待はずれでした。
歌声は見事。盛り込み過ぎのドラマに難あり。
邦題があまりにも狙っているので憂鬱になるが、見終わったら「この程度の邦題でちょうどいいか」と思えてしまう感じ。さすがに「天使にラブソングを・・・」の路線でないことは明らかだが、かと言って上質なドラマか?というと首を傾げてしまう。
学校の存続問題、ピアノコンクール、修道女たちの新しい価値観とその在り方、問題児の姪の存在、吃音を持つ地味な女生徒、姪の母親(主人公の姉妹)の病・・・という具合に、盛り込むだけ盛り込んで、いずれも描き込み不足という中途半端さが否めない。いずれも、同じ学校内で、同じ敷地内で、同じ建物の中で起きている、同じ人物を中心に発生しているエピソードであるはずなのに、いずれのエピソードもほぼ呼応し合うということがなく、溶け合っていかない。全てが四方八方バラバラのベクトルを向いて、ごちゃ混ぜに投入されるばかりでまとまっていないという印象が強く残った。
この映画、修道女たちの悪いイメージを助長するようなところがあってあまり心地がよくない。吃音の生徒に対して授業中に早口言葉を言わせようとしたり、感情的な演奏をするなと感情的に喚いたり、隔離された環境の中で世間を見ずにひたすら独善的になった女たちの姿が次々に映し出され、これではクリスチャンのイメージを損ねてしまうのでは?と戸惑うほど。
もちろん、そういった閉鎖性や独善性に一石を投じる姪の存在や、修道院が現代社会と折り合いをつけていく様というのが描かれてはいるのだけれど、そこから生まれるドラマは大分物足りないものがあり、結果、クラシックを聴いて癒されるためだけの映画に収まってしまった(だからこの邦題でも別に構わない気がした)のは惜しいような気がした。
確かに、作中で披露されるクラシックはお見事の一言で、美しい声の層の厚さと深みと嫋やかさは一聴の価値ありと思わせるものがあった。だからこそ、「綺麗な歌声だったね」「素晴らしいピアノの演奏だったね」と言うためだけの映画で終わらせてはもったいなかったのではないか?と思ってしまった。
前半が美しい
あえてネタバレチェックとしたのは、前半の高揚感を後半で落としきれていないという感を否めないから。
前半すごくよかったのになあ。
後半がなんともさらっと流れてしまったように見える。
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