戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)のレビュー・感想・評価
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悲喜交々の毎日。
前作「標的の村」に続いて沖縄の新基地建設問題を描いている。
圧倒的に反対住民寄りの主観になるが、誰もが自分の居住地が
米軍基地になんてことになれば、大反対するのは当たり前だ。
決して対岸の出来事ではないのに知らぬ存ぜぬではおかしいと
確かにそう思う。どんなに反対しても建設は中止にはならない、
本土に住む私達に少しでも沖縄の現状を知ってもらおうという
真摯な思いが伝わる。と同時に今騒がれている安保問題を含め、
もう二度と日本に戦争を持ち込んではいけないという戦争体験
談やタイトルに顕わされる「戦場ぬ止み」の意味を痛切に感じる。
ともすればこういったドキュメンタリーは当事者の活動のみを
追い続けストーリー性を欠くものだが、今作の面白いところは
しっかりドラマになっているところである。構成や脚本(あれば
の話)に則らない、自然な対話なり行動なり怒りなり嘆きなりが
日時を追うごとにドラマ化してくるのである。その歴史を学び
ながら私達観客も喜怒哀楽を発している。時にユーモアあり、
喜びあり、反省あり、対立する同士で分かち合う言葉まである。
日々のニュースで「あぁ沖縄は大変だなぁ」と思う程度の人々に
今こういう事が起きているんですよ、と必死で訴えかけてくる
エネルギーがこの作品にはあるのだ。だから観ていて飽きない。
反対運動に携わる人々の筆頭に1人のおばあを取り上げている。
彼女の体験と、なぜ自分がこの抵抗を続けるのかを聞くことが
今の日本に最も必要であり、為るようにしか為らないと諦めて
長いものに巻かれた安心感は、決して安全とは違うことを悟る。
(歴史は物語る。戦争体験はこれからも語り継がれていかないと)
怒られることを承知で書きます!ドキュメンタリーの意義ってなんでしょうか?
米軍普天間基地の移設候補地であった名護市辺野古で、移設反対派と沖縄県警・海上保安局との緊迫したやりとりを中心に、第二次世界大戦時の沖縄の悲惨な歴史、また戦後70年間の虐げられた県民の思い等を、市長選などを絡めながら描くドキュメンタリーです。
ヘリパッド建設に反対する沖縄県東村・高江の反対派を追ったドキュメンタリー「標的の村」同様に、三上監督は"沖縄の今"を通して真の平和や安全を問うているようです。
あ、すみません。前作「標的の村」は未見です。
本作のタイトルは、辺野古ゲート前に貼ってあった短歌「今年しむ月や戦場ぬ止み沖縄ぬ思い世界に語ら」からとられたようです。意味は"(2014年)11月の県知事選挙は闘い(戦後70年の戦)に終止符を打つとき、その沖縄を日本中に世界中に語ろう" です。
400種類以上の珊瑚が生息する、美しい辺野古の海。辺野古に基地が建設されれば、この自然も破壊されます。と、いう冒頭から始まり、米軍のゲート前で、海上で反対派の方々が沖縄県警や、海保とやり合う姿を約2時間ほど見続けます。
反対派の86歳のお婆さんが道路に横たわって、私を轢き殺してから行けという。
「お年寄りもいるんですよ!押さないで乱暴しないで!」
と反対派の中から、声が上がる。それでも車のミラーに縋るお婆さんを引き離した反動で、道路に転倒。お婆さんは怪我をする。
ゲート前の反対派リーダーである男性が「よくも怪我をさせたな!お前らの妻子を探し出す。家の前を包囲してやろうか」と声を荒げる。
県警辞めろ!辞表を出せ!そんなんやりたくて県警になったのか!海猿になったのか!
少し前までは「君たちを戦場に送りたくないから反対している」と言っていたのに。
工事に来た(建築会社?)の関係者を、お前!馬鹿!沖縄県民を舐めんなよ!と威嚇する。
12歳の女の子が満面の笑顔でプラカードを持って、米軍基地のゲート前に立つ。
「笑顔で立ってたら、怖い人(県警)も寄ってこないと思って」
「大勢集めて、(米軍に)わーって攻め込む!」と。
その隣に、17歳の兄と両親と双子の姉が立っている。家族5人の抵抗。17歳の兄は「沖縄県警に入って、この人達の考えを変えようかな(基地反対派にさせる)」と笑う。
建設により漁ができなくなる。でも賠償金を貰ったから反対とは言えない。心が痛いと言うお婆さんに「お金貰っても、嫌なものは嫌と言っていいんじゃない?」と、三上監督。その言葉に、もう来ないでと泣くお婆さん。
数十年の稼ぎ分は(賠償して)貰ったけど、一生食える金ではない。貰って当たり前。もっと貰ったっていいくらいだ。「海を守ろうぜ!」と叫ぶ、漁師さん。
反対派も、県警も、海保も、みんな沖縄県民。米軍も政府関係者も出てこない。
沖縄県民同士が、戦をしているという構図。切ない。
ネット上では"沖縄県民が米軍に立ち向かってる姿に勇気を貰った"という意見が散見されるけど、いやいや……、県民同士がやりあってるんです。お互いの気持ちは分かるけど、双方に引けない理由がある。そこを推し量って観るべきです。
でもそんな反対派の活動ではなく、「米軍基地で30年働いてるんだよ、反対運動なんかできないでしょ」と笑うおじさんにこそ、現在の沖縄の人の本音が見える。
あっても困る。なくても困る。
それは県警も海保も同じ。珊瑚破壊ダメに決まってる!基地はもう嫌だ!でも、お仕事なくなったら、困る。
反対!と言える人って、沖縄のこういった苦しいジレンマの渦にいない人達なのかも知れない。それは宮崎駿さんや、菅原文太さんも同じかも。
だから、声を上げられない人達の声を代弁してるんだよ!
でも本当に、代弁できているんだろうか?疑問です。
基地が沖縄に集中しているのは事実で、86歳のお婆さんの言葉を借りれば「札束で頬を引っぱたかれて黙らされた状態」で、沖縄の人達はそれでも誇りを保ち、なんとか基地と折り合いをつけて生きてこられた。その苦しさ、情けなさは、痛いほど感じられます。
但し、ドキュメンタリーとして観た時には、あまりにも一方的すぎると思いました。
基地移設については「戦略的に」の一言に留め、中国問題に言及せず、1945年の沖縄本土決戦の悲惨さ、火炎放射器で防空壕を焼く映像ばかりを何度も差し込む。あの時つらい思いをした沖縄の人達を、戦後もずっと虐げられてきた沖縄の人達を、また今回も辛い
目にあわせるのですか?という切り口。
"理屈抜きにさ"の前提で押し付けられる感情論には、どんどん気持ちが冷める質なんです。すみません。
ドキュメンタリーの意義って、それを観た人達が意見を交わし、また別の場所、例えば家庭、会社、学校に運ばれ、更に意見交換し、どんどん広がり、濃厚なコミュニケーションが生まれることだと思います。
けれど本作のようにある種の感情に訴えるのであれば、意見は一方向にしか流れないです。
それが真の平和や安全に繋がるとは、思えません。
だからネット上では、高評価です。だって本作を否定したら、非人間みたいですもの(笑)
沖縄の人達の苦しみは理解できますし、もうこれ以上つらい思いなんかさせたくないですよ。
けれどだからといって、この反対派の方々の活動を支援したいとは思わなかった。すみません。
そもそも、この反対派の方達が"沖縄の民意の全て"と思っていいんですかね?疑問です。
本作のナレーションをされてるCoccoさんが、「ギロチンか、電気イスか。苦渋の選択を迫られたとしてそれはいずれも“死”だ。辺野古か普天間を問われるから沖縄は揺れ続ける」とコメントされてたけれど、本作もCoccoさんも、多くの人に理解されたいなら、極端な例えや、描き方は止めるべきだと思います。
(追記)
16世紀にマキャベリが書いた「戦略論」という本があります。書いた本人がこう言っています「昔と今が最もかけ離れているのは、戦争に関する分野であろう。この分野だけは古代では大変に有効であったことでも、今日では取り上げる価値のないことが多い。それは技術の進歩が最も影響する分野だからである」と。
昨今の戦争は"イデオロギーの対決""宗教の絶対性""植民地が独立する"ですし、また戦術(技術)の発展により、戦争形態も大きく変わっています。サイバー攻撃でイランではチェルノブイリ級の原発事故が起こりそうになりました。
21世紀の戦争は、その定義も、形態も大きく変わっています。
過去の悲惨な戦争を語り続くだけではなく、もっと"今"を語らないといけない。
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