「「AKBがAKBでありつづける」には?」存在する理由 DOCUMENTARY of AKB48 ユキト@アマミヤさんの映画レビュー(感想・評価)
「AKBがAKBでありつづける」には?
ここであなたに質問。
「今のAKB48メンバーで”レコード大賞”をもう一度獲れると思いますか?」
2011~2012年連続で、AKB48は「レコード大賞」を獲っている。
あのときの勢いは本当にすごかった。
僕は第三回選抜総選挙のころ、妙にテレビがAKB,AKB,と連呼しているので、「何が起きているんだろう?」という興味からAKBをウォッチし始めた。
ミイラ取りがミイラになる、という古いことわざがあるが、まさにその通り。
このあと僕は、AKBの活動をテレビやネットで見続け「ダダハマり」することになる。ただし、ビンボー人で関西に在住していることもあり、AKB劇場には、一回だけ雰囲気を”観察しに”行ったことがあるだけだ。たまたま公演時間中に
「どんなところかいな?」
と、のこのこエスカレーターに乗って上って行った。すると、劇場前にスタッフが仁王立ちになっており、客席はおろか、AKB劇場エントランスホールすら入ることが許されなかった。
「はて”会いに行けるアイドル”とは、どこにいったのだろう?」
よく、AKB劇場は「ドンキホーテの上にある」と言われる。
間違いではない。
僕も現地に行くまではそう思っていた。しかし、東京、秋葉原のAKB劇場の建物の前に行った時、
「はぁ?!」
と思った。なんのことはない。
記憶が定かではないが、一階と地階は確かパチンコ店であった。
そのパチンコ店の上に「ドンキホーテ」があり、そのまた上にAKB劇場があるのだ。
「やっぱり現地に来ないとわからないなぁ~」とおもう。
では、なぜ
「パチンコ屋の上にAKB劇場がある」といわないのか?
たしかにパチンコは18歳未満は入場できない。プレイできない。
そういう射幸心を煽る、青少年には有害とされるギャンブルを行なうホールの上に、
「健全な青少年である少女達」が歌って踊るホールがある。
僕みたいな「変なオヂサン」には、このあたりの事情がよくわからない。
まあ、それはひとまず置いといて。
レコード大賞の件である。
僕は今のAKBメンバーでは正直、三度目のレコード大賞は
「獲れない」とおもう。
レコード大賞は、CDなどの販売数でだけ評価されるのではない。若干、テレビ局の意向や、著名な審査員たちの「主観的評価」が加味される。
2011~2012連続受賞の時は
「わかりました。もう、AKBの運営システムは認めざるをえません」と、審査員達がバンザイしてしまったように僕には思える。
なにせ、週に一度行われる握手会など、独自のシステムでファンを囲い込み、さらに、選抜総選挙という一大イベントによって、ファン心理を不安に陥れる。それにより「なおさら応援しなきゃ!!」とファンを煽って、財布を開けさせる。
何もこれは悪いことではない。
AKBの初期は、総合プロデューサーである秋元康氏とメンバー、スタッフ達、すべてが手探り状態で、試行錯誤の上、今のシステムにたどり着いたのである。
その途中、多くの初期メンバーが脱退して行った。
「それが正解だと思ってました」
と後にエースと呼ばれる、前田敦子や大島優子が語っている。
それでも彼女達は5年、6年と耐えた。
AKB初期メンバーである篠田麻里子は、発足当時、路上でAKBのチラシを配っていたのだ。食費にすら事欠き
「部屋でカイワレを育て、スープにしていました」
と語っている。同じく初期メンバーの板野友美の名台詞がある。
「つらいことなら、慣れてます」
のちに女子中高生のカリスマ、ファッションアイコンとなる彼女は、いったい「売れるまでに」どんな歩みをしてきたのか?
リーダーである総監督「高橋みなみ」を筆頭に、当初は歌もダンスもできない、どこで拾ってきたのかわからないような、普通の女の子達が、やがてJ-POPの大黒柱になろうとは、誰が予想できただろうか?
よくAKBは「高校野球」に例えられる。これは秋元氏自身も認めていることだ。
つまり、パフォーマーとして、完成された形を、AKBの場合あえて「売り」にしていないのである。
僕がいつも思うのは、テレビのバラエティにしろ、AKBの最も面白い、美味しい部分は
「バックステージ」なのである。
あえてバックステージを晒し者にして、
「こんなにこの子達頑張っているんです。だから認めてください」
そしてファンは
「はい、認めます」
という同意のもとAKBシステムは成り立っているのである。
応援しているファンにとっても
「この子は少しづつ、成長しているな、よし、じゃあ僕も頑張ろう」という、元気をもらえる。演じるものと、観客がお互い「WIN-WIN」の関係性なのだ、と僕は思っている。
さて、AKBは今、大きな転機を迎えている。
「神セブン」と呼ばれたカリスマたち、一期生、二期生がほぼ卒業。
そして、精神的支柱であった総監督「高橋みなみ」という最後のカリスマが、ついに卒業した。
これから先、AKBはどこにむかうのか?
「タカラヅカ」のように、伝統と歴史を構築していけるのか?
今の若手メンバーは、AKBが軌道に乗ったあとで入ってきた。
一から何かを作る、という作業をしていない。
しかし、一から作るその代償は大きい。多くの初期メンバーが夢半ばでAKBを去った。最後までAKBに残れた、売れるまで残り続けた初期メンバー達。その要因は何だろう?
僕は残った初期メンバーを見ていつも思う。
「彼女達はとびきり美しい雑草なのだ」
雑草は実にたくましい。
何度もなんども引き抜いても、また性懲りも無く生えてくる。
摘み取っても、摘み取っても、それでも生えてくる。
高橋みなみを始め、あの2011~2012連続レコード大賞受賞は、まさに「雑草魂の勝利」であったとおもう。
「歌も下手」「ダンスもできない」「トークもダメ」
でも頑張る。頑張り続ける。
「折れない心」を持ち続ける。
そんなたくましさが、新世代のAKBメンバーを見ていて、僕の主観として、いまひとつ感じられないところがある。
さて僕は、本作のドキュメンタリーについては、ほとんど語らなかった。
まあ、AKBファンなら、当然いろいろと、すでにネットで動画を見ているだろうし、いまさら、目新しいな、という映像はそれほどなかった。
ただ、JKTに移籍していた仲川遥香が、現地インドネシアでまさに大スターになっていることは、印象的だ。これも彼女がインドネシアで「一から石を積み上げてゆく」作業をしてきたからである。
またスーパー研究生と呼ばれた光宗薫が、今現在、AKB時代を振り返って、自分の今までのキャリアの中でも特別の意味を持つ、と肯定的に考えていることは、ちょっと意外だった。
卒業した内田眞由美も焼肉店をオープンさせ、充実した日々を送っている。その姿を見て、なぜかこちらまでホッとした感もある。
彼女たちのたくましさ、打たれ強さ。
それこそが、今後も「AKBがAKBでありつづける」必要条件であり「存在理由」ではないだろうか?