「【”若くて美しい”少女から女へ変化する17歳の夏のバカンスでの処女喪失からの一年間を描いた作品。主演のマリーヌ・ヴァクトの蠱惑的な美しさも印象的である。彼女が年齢相当の恋をする日はくるのだろうか。】」17歳 NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【”若くて美しい”少女から女へ変化する17歳の夏のバカンスでの処女喪失からの一年間を描いた作品。主演のマリーヌ・ヴァクトの蠱惑的な美しさも印象的である。彼女が年齢相当の恋をする日はくるのだろうか。】
ー 今作をフランソワ・オゾン監督が公開したのが、彼が45歳の時である。何となく、悔しい。何故ならば、その年でモデル出身の美しきマリーヌ・ヴァクトにあのようなエロティックな演技を納得の上で演じさせ、最後にはシャーロット・ランプリングまで重要な役で出演させているのである。
それは、彼の映画監督の手腕と作品製作意図が見事であるからであろう。-
■パリの名門学校に通う17歳の少女イザベル(マリーヌ・ヴァクト)。
バカンスに訪れたビーチでドイツ人青年と初体験を済ませた彼女は、SNSを通じて知り合った不特定多数の男たちと売春を重ねるようになる。
そんなある日、彼女に対して紳士的に接して来た常連の初老の男ジェルジュがイザベルとの行為の最中に腹上死してしまう。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
ー マリーヌ・ヴァクトを劇場で観たのは、今作の4年後に公開された「二十螺旋の恋人」である。作品自体がミステリアスで、エロティックで私が、フランソワ・オゾン監督を知った作品でもある。ー
・今作で17歳のイザベルを演じたマリーヌ・ヴァクトは当時22歳であるが、その妖艶さにはヤラレルし、あそこまでのセックスシーンを良く演じたモノだと思う。
だが、観ていてそこには猥雑感はない。
ー 一部、変態的な性交を求める男のシーンは除く。-
・イザベルがドイツ人のフェリックスと初体験をしても、彼女の表情は余り変わらない。
ー ”セックスってこんな程度なの?”と言う感じである。本来、セックスは人生の愉しみであるはずなのに彼女は、どうもそうではないらしい。
その理由は私の勝手な推測であるが、彼女の本当の父親が離婚していておらず、母親のパートナーと上手く行っては居るが、心のどこかに寂しさを感じていたのではないかな、と思うのである。
そう思うのは、彼女が“裏の顔で売春婦”を始めた際にも、客は全て父親世代の男だからである。その中で、特に彼女に優しく接したのが初老の男ジェルジュなのである。-
・それにしても、劇中彼女の母親が口にするとおり、親として性に関心を持つ子供に対するセキュリティが甘すぎる。
イザベルは普通にエロサイトを観ているし、そこから自身を”レア”と言う名で登録している。
<ラスト、ジェルジュの妻だったアリスを演じたシャーロット・ランプリングのラスボス感は半端ない。
あの、独特なグレイの瞳でイザベルを少し微笑みながら見つめ、”貴女は本当は何歳・・。そう、私も最初は17歳だったわ。”と言って、夫が亡くなったホテルの6095室をイザベルと共に訪れる。
そして、”貴女の料金は”300ユーロだったわね。”と言って金をそっとテーブルに置いて”夫はどうだったの?”と聞くシーン。
その後、イザベルは想いを寄せてくる若い男と一度寝るが、直ぐに別れを告げ、”レア”が使っていた携帯電話にSIMカードを入れるのである。
ウーム。恐ろしき17歳の美少女である。彼女が普通の年齢相当の恋愛に目覚める日はくるのであろうか・・。
で、一言。【お父さんは、許しませんよ!!】>