「ひな太の妄想と映画ジョーカーのアーサーの妄想との違い」陽なたのアオシグレ eigazukiさんの映画レビュー(感想・評価)
ひな太の妄想と映画ジョーカーのアーサーの妄想との違い
性的なことに興味を持ち始める年齢の主人公ひな太の妄想が微笑ましく感じる。ひな太は絵を書くのが好きな少年、シグレは鳥の世話が好きな少女である。ひな太は同じクラスのシグレに一方的に興味があり片思いをしている。授業中にもかかわらずシグレについてよく妄想をしている。ある日シグレが転校することになる。別れ惜しい気持ちのひな太は鳥の絵を書いてシグレに渡そうと決意する。ひな太の妄想は鳥の絵を介してシグレの心に良い影響を与える。
この作品を見て私はジョーカー(2019年の映画)を思い出した。映画ジョーカーの主人公アーサーはマンションの同じ階に住むシングルマザーの女性に片思いをしておりよく妄想にふけっている。アーサーは妄想のなかで自分が目指しているコメディアンになって女性を笑わせている。現実世界ではすごく不幸なアーサーはこの女性と付き合っているという妄想によって人間性を保っていたのだがこの妄想が現実ではないと気が付いた瞬間アーサーの人間性は崩壊し暴力の妄想が心を支配し怪人ジョーカーに生まれ変わった。
この作品の主人公ひな太はクラスでいつもひとりなのできっと人間関係などうまくいかず悩みをかかえていると思う。ひな太はシグレについての妄想のおかげで不登校や問題児にならず人間性を保っていると思う。妄想は人間性を保つのに役立つ。私にはひな太とアーサーが同じに見える。だがひな太とアーサーの物語の結末は真逆だった。ひな太の妄想は絵を介してシグレの心に良い影響を与えた。アーサーの妄想は制御不能になりコメディと銃を介して世界に悪い影響を与えた。
結論:妄想は人間性を保つのに役立つが現実世界にもさまざまに影響を与える。
※人間性の本来の意味は「人間が生まれながらに持つ本質や性質、倫理観、感情、思考、行動などが複合的に形成される概念」ですが、私はここでは自己同一性や自分に対する誇りや他人を思いやれるほどの余裕がある状態を人間性だと思いこの言葉を使っています。