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ゼロ タウン 始まりの地のレビュー・感想・評価
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.UNが介入するから大丈夫か?
日本語タイトルの意味が理解できない。ゼロタウンとはレバノンのパレスチナ難民の土地を言うのかと思って調べたが、見つからなかった。ゼイトゥーンとアラブ語でもヘブライ語(監督はイスラエルの民だが、米国在住経験あり)でも言うけど、まさか読み間違えてゼロタウンになったじゃないとはおもうが。どこからこのタイトルが来たのか?
字幕で
1982年、PLO(当時レバノンに在留している)によるロケット攻撃で、その報復として、イスラエルがレバノン侵攻すると。
レバノンのパレスチナ難民地区に住んでいるパレスチナの家族で、父親をイスラエル爆撃で殺されてしまった少年ファへド(Abdallah El Akal )。父親が故郷に植えようとして大事に面倒を見ていたオリーブの木(Zeytoun)を少年が故郷に植えようとベイルートから(少年にとってパレスチナ)の少年の故郷まで旅をする。
パレスチナ・レバノン組織によって、捕まったイスラエルパイロット、ヨニ(スティーヴン・ドーフ)。見張り番だった少年ファへドとヨニはお互いに信じ合っていない二人だったが、すこしずつ硬い紐が解かれていく。少年はいきがっていてもやっぱり子供っていう感じでシリアへから盗んだジープのブレーキをし忘れて、車から離れてしまい、結局破損させちゃったりする。それに、少年がもっていた手錠の鍵もヨニの手に渡ってしまう。結構、この粋がっている少年が気に入った。可愛かった。(難点は英語:字幕を出してほしかった)ただ、イスラエルの学校で生徒たちがサッカーをしているのをボールを持って見つめている姿はなんとも言えなく可哀想だった。ユダヤ人に生まれるか、故郷をユダヤ人に追われてベイルートに住むパレスチナ難民かというだけで同じ恩恵が全く受けられない。ただサッカー場でサッカーをすることもできない。この少年の気持ちが痛いほど伝わってきた。ヨニも少年の立ち位置を理解してあげて、彼のできるベストを尽くすところが好きだった。車の鍵をチラつかせて、運転させたり、少年の故郷まで探して連れて行って、オリーブの木(Zeytoun)を植えるのを見届けてあげる。少年の故郷までいくという約束を守り通すまでの道程が気に入った。本当の人間の心を感じた。この約束を守ったと言うことでユダヤ人のヨニとパレスチナ人の少年ファへドの心は繋がっていった。このように敵対しあっている人たちが繋がることができれば.....少年は無事にレバノンに戻り、祖父に会えればいいが....そしてまたヨニにも(車から降りる時、ヨニが『いい子でいられる』と聞いた時の微笑みが、また会えるよという意味だと思う。).....UNが介入するから大丈夫か?
蛇足
エラン・リクリス監督は結構文化について細かい技を持ってるような気がする。例えば、レバノンにいるシリアのエリート兵士はフランス語を話すところやヨニがアメリカ大使館に助けを求めるところなど。イスラエル🇮🇱国とアメリカの二重国籍者は多いから。それにシリア、パレスチナ、イスラエルの国旗, 国連UNのサインを使って演技者を区別しているから旗で今どこの領土にいるかがわかる。
パレスチナ少年とイスラエルパイロットの友情に感動
7月22日に映画.comさんからの試写会招待で観ました(^_-)
戦火で亡くなった父親の故郷にオリーブの木
を植える為に撃墜されて捕虜となったイスラエルのパイロット脱出に手助けするテロリストの軍事訓練を受けるパレスチナ難民少年との交流を通じた戦争の悲しさが大変良く描かれていて、これが未だ紛争の続くレバノンの現実でいることを教えてくれました。戦争が終わらないこの世界で、国連代表の85歳の緒方貞子さんのような地道な活動にも敬意を感じました!
レバノン侵攻の裏側で、希望なき友情を育む、切ない悲劇の物語に感動!
試写会の担当の方に聞くと、この作品、DVD発売は決まっているが、ロードショー公開はまったく未定らしい。実に、残念。こんなに切ない、感動作はぜひ多くの人たちに見てほしいのに、DVDのみというのは、おそらく、単館上映できるところが少なくなってしまったからだろう。この作品は、パレスチナ人の悲劇の物語なのだが、今の日本の映画公開形態の悲劇も体現しているようだ。
1982年、イスラエルのレバノン侵攻時にベイルートにあった、パレスチナ難民村で懸命に生きる少年たちから、映画はスタートする。彼らは、少年、いや日本でいうと小学6年生くらいなのだから、児童と言っていい年齢だ。それなのに、パレスチナ軍キャンプで銃練習を毎日のようにしなければならない。そうでないと、イスラエル軍やレバノン軍の銃弾から守れないからだ。物語の途中、主人公の少年の親友が、レバノン軍の銃弾に当って亡くなってしまう。そんな悲劇があっても、母親や幼い弟は気丈な姿を見せる。パレスチナ難民にとって、それは最早、悲劇ではない。ただの日常であることに、中東紛争というものを経験していない我々観客は、言葉を失うほどのショックを受ける。
さらに、主人公の少年の父親が、イスラエル軍の空爆にあって亡くなった直後、イスラエル軍と思われる戦闘機が落下。脱出した機の兵士が、難民村近くで捕獲され、人質として拘留される。父親を亡くした直後の少年は、親の敵を見るような目でその兵士を見つめる。それは、恨みに満ちたテロリストのようだ。年端もいかない少年が、そのような姿に見えてしまうのも、パレスチナの悲劇のひとつなのだろう。年齢に関係なく、常に、敵と対峙しておかなければならない。恨みと憎悪の念が身体と心に深く植え付けられる瞬間を観た思いがしてくるシーンだ。
しかし、人質の兵士が少年に、「イスラエルへ連れて行く」と言った途端から、物語は思わぬ方向へと進んでいく。何と、少年が手枷をつけたままの兵士と一緒に難民村を脱走し、一路、父親の故郷であるイスラエルの失われたパレスチナ人村へと向かうのだ。それは、少年の父親が大事にしていたオリーブの木を、少年にとってはまだ見ぬ父親の故郷に植えたい。それで、父親の魂を故郷へ返したい、という思いの強さが、敵である兵士との逃避行へと急がせたのだ。そこから、この映画は悲劇の物語から、兵士と少年の友情物語へと変わっていく。この逃避行は、果たして成功するか否か、は見てからのお楽しみにしておこう。
ところで、この映画の物語が進んでいくうちに、以前に観た名作を思い出してくる。それは、アニメとドキュメンタリーを組み合わせた『戦場でワルツを』である。
『戦場で…』も、実はこの作品と同じ、1982年のレバノン侵攻を背景にしたものだ。大きく違うのは、この作品がパレスチナ人側からあの事件を描いているのに対して、『戦場で…』はイスラエル側から観たものだ。しかし、『戦場で…』は勝者の立場ではなく、レバノンに戦争の地獄絵を描いてしまったことへ、当時の兵士たちの後悔と苦しみが表現されていた。
対して、こちらの作品も生き地獄の中を歩く、パレスチナ人の苦しさが描かれているのだが、兵士と少年の逃避行になると、戦火の中なのにイスラエルもパレスチナも関係ない、優しい心を通じ合わせ、友情を育くんでいく、人間味あふれる演出の連続に、見ている側も心和んでくる。どんなに悲しいことが身に降り掛かっても、主人公の少年のように、父を慕い、他人とでも助け合う心優しさがあれば、戦火に遭わない限り、生きていける希望があることに感動をおぼえる。
しかし、映画のラスト近くにラジオニュースが観客にも聞こえた瞬間、実は兵士にも少年にも希望がないことに切なさが深まってくる。そのニュースの内容は言えないが、ヒントをひとつ出しておくと、『戦場でワルツを』の後半30分のシーンが少年たちに降り掛かってくることが確か、だからだ。
友情は、信頼と人間愛だけでは、なかなか物足りないし、成立しえない。真の友情になるには、出会ったり、話し合ったりしたときに、希望を見出したときに育まれていくものだと私は思う。友人がそばにいてくれる、友人が自分の話を何でも聞いてくれる、ということで生きる希望がわいてくる人は何人もいるはずだ。友情に、希望は欠かせない。
しかし、この映画の少年と兵士との間に育まれた友情には、希望がほとんどないままに終わってしまう。もう一度、出会うことなどおそらくない。つまり、逃避行のときだけの友情ということに気がついたとき、人間的な本当の悲劇に観客は戸惑い、切なさが胸にこみあげてくる。彼らの友情は、天国で出会わないともう一度生まれないもの。それが、パレスチナ人たちに現在も覆い尽くす、最大の悲劇であることを、監督は一番、メッセージとして込めたかったに違いない。
『戦場でワルツを』は、単館上映でけっこう長く、ロードショーができていた。この映画も口コミで広がれば、ある程度の期間のロードショーは可能だと思う。どこかの映画館で上映できないものか…。
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