宇宙戦艦ヤマト2199 第七章「そして艦は行く」のレビュー・感想・評価
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まずまずだったが、最後に無理が・・・。
第一章~第六章までは割と良かったが。まあ、人の想いの強さ(星の記憶)がコスモリバースシステムの原動力になるのはわかったが、やはり、雪の生き返りは旧作同様無理があるかな・・・。 沖田艦長の「地球か・・・」は今聞いてもグッと来るなあ。 あと、音楽で「虚空の邂逅」はいいテーマですね。宮川彬先生もお父さんに引けを取らない作曲家ですね。
ヤーブ・スケルジは勝ち組だね
劇場版では製作が間に合わず観れなかった25話の10分が内容濃くて良かった
ディッツ提督やタラン弟、メルダ、ユリーシャ、フラーケンにハイニ、そしてあの男、藪が登場してびっくりしたよ
藪が新天地で再就職できてホッとしました
ヤマトの乗組員だった頃は見せなかった藪の満面の笑顔が見れて良かったよ
一方、ゲール大好きだったのに最後がヤラれちゃったね
どうにか生き残ってくれないかな
デスラー総統はデウスーラの爆発直前に艦橋部分が上に飛んでたから、あれは脱出したってことだよね
最後、タラン(兄)長官や親衛隊はぶっ倒れてたけど、どうにかタラン長官だけでも生き残らせてほしい
もしも…もしもだけど続編作るなら、デスラーとタラン(兄)は次回作に出してあげてください
そうそう、アナライザーとハイタッチする新見さん可愛かったなー。
真赤なスカーフもう一度。
まずは無事に第七章が上映され(短縮されても)良かった良かった。
もうこれで終わっちゃうのかー。う~残念…。もっと観たかった。
何ならイベント上映後に、今度は全国の劇場でヤマト祭りと称して
旧作新作を取り混ぜてドーンと観せてはくれまいか。(沖田艦長風)
良いと思うんだけどなぁ。観客もたくさん入ると思うしなぁ。
これだけのリメイク作品、まぁTVもブルーレイもいいですけど、
やっぱり映画館の大スクリーンで観たいってば!普通のファンなら。
やっておくれよ、全国のシネコン各位殿。
さて、冒頭に短縮の文字が流れる第七章だったんだけど、
これはTV版・他の媒体ではしっかりと全編流されるそうなので、
とりあえず劇場に足を運んだファンに対するお詫び…だったらしい。
どこがどう足りなかったのかはそこで確認するとして、
単純に観終えた感想は、エ?これで終わり?という感じだった。
後半、すごーく駆け足で終わっちゃったような。
それからレビューに書いている方も多いけど、デスラーがねぇ^^;
今回のデスラーはホント色っぽくてカッコよくて超色男だったけど
ど~も、私の中でのデスラー総統じゃないんだよなぁ…感が強くて。
もっと憎々しいイメージが全身を覆っていて、そこがまた魅力的。
あんな風に前髪サラ~リなんてしてないから(ビシーっと七三系頭)
頭掻き毟ってやろうか!?ばりにムカつくところが多かった気が。
しかしそれを友人に話すと(当時自分は小学生)、子供時代のアニメの
記憶というものは、かなり美化されている。と…。うーんそうかぁ?
確かにデスラーだけでなく、この最終章にファンは特に思い入れが
強く、あの有名な台詞ひとつひとつも、しっかり焼き付いているはず。
駆け足のワリにそれらをビシーっと入れ込んだ監督の手腕はさすが、
現代のヤマト情勢(今の社会を鑑み)のなかに旧作の不都合な部分を
修正しつつ…テイスト残し…修正しつつ…テイスト残し…と地道に
作りあげた感がある。何だあの若いヤツら(ゴメンね)と顔を顰める
あたりでは、あぁ自分が歳をとったってことだな~と思ったりもして。
スターシャと守。どうなるのかなぁ~と思ってたら、ああなったか。
デスラーの想いを撥ね退けた時点で、アベルト(この呼び方慣れない)
も気付いたかな?とは思うが、スターシャも強くなりましたよねぇ。
今作の女は皆手強い。時代が変わったってこういうことかしらねぇ。
あんな思いまでして辿りついたヤマトに対して、あの仕打ち(爆)
とはいえ、コスモリバースの実体がアレ(そうきたか)なので、まぁ
渡したくない!となればこれしかない!と身勝手な選択をしたくなる
スターシャの気持ちも分からないでもない。でも唐突に守兄さんが
出てくる旧作にもビックリ仰天したけど、あの唐突さもまた捨て難い。
哀しい星でもやることはしっかりやってるアダムとイブってことで…
雪と古代の距離がどんどん縮まる(けっこう唐突にだけど)あたりでは
古代が歯を剥き出して「雪~!ゆ~きぃ~っ!」って叫ぶんだけど、
まぁ「雪」って呼んで下さい。なんて言ってた私なので確かに嬉しい。
ただあんなに歯をひん剥いた古代って、ファンにはどうなんだろう。
ユリーシャの大活躍しかり、若手の恋愛模様しかり、エピソードを
盛り込んだおかげで、今ひとつ熾烈な戦いの場面が盛り上がらず、
波動砲を封印したヤマトには今後、続編はないのかなぁ…と思うと
沖田艦長の死と同等なほど悲しくなってくるけど、どうなんだろう。
「いい艦だと思わんか。」で泣き、「ひとりにしてはくれまいか。」
「地球か…。なにもかも、みな、懐かしい。」 …ハラリ。号泣。
いい艦でしたね、沖田艦長。できるならもっと観たかったですけど。
「奇跡は起きるんじゃない、起こすものだ。」と真田さんが言い、
「私たちは愛し合うことだってできた…」と雪が言い、
「君のいない地球に帰る意味があるのか。」と古代が言うあたりも◎
大切なのはやっぱり愛ですよと訴えている本作。
でも愛ゆえに散っていった人々が多いから、それを思うとツライ。
(まさか「さらば~」は作られないだろうが)
現代解釈としての修正が際立った分、単純な残酷性が翳を潜めて、
中盤あたりからはもう星々の愛なしには語れなくなっている本作。
とはいえ、善悪クッキリの旧アニメも現代人に必要なんだけどね。
(それでは全国の劇場でアンコール上映を期待して地球に帰還します)
旧作以上に展開に無理が
最終7章なので映像音響などはおいといてストーリーに絞って。
古代進と森雪の二人のためだけに御膳立てされたご都合主義ストーリー。
二人のために脇役は自分を犠牲にするし、力を使うし、二人の無茶や無謀は全部いい結果が出る。
いや違うだろうと。
ヤマトってそうじゃないだろうと。
「お前にしかやれないことをやれ」は、主人公でヒーローたる古代に向けられるべきセリフではなく、全ての脇役にむけられるべき言葉だろうと。
オープニングで歌われているのは、そういうそれぞれの脇役の使命の重さだろうと。
そもそも、脇の女性キャラを増やしたのは、旧作で古代森にしかあてられなかったスポットを、脇にあてるためだったんじゃないのか。
いろいろとはしょりすぎの駆け足な上に、半端に主要キャラ増えたせいで話は分散して、古代と森に関してすら無理がある展開という、割とどうしようもない結果になってしまっているように思う。
時間が短くなったお詫びが出ていたが、そのせいでこうなっているならば、「水着シーンけずっとけや」と思わざるを得ない。
そして何より気に入らないところは、デスラーが単なるゲスのヘタレで終わってるところだ!
無理が目立つ展開
第一章を観た時は、そのレベルの高さを喜ぶと共に、最後までそのレベルを維持できるのか不安でもあったが、旧作のテイストを残しながらも不備だった点を改善していくその姿勢には十分満足させられた。
無事にシリーズ終了を迎え、困難だっただろうプロジェクトを最後まで完遂してくれたスタッフには、尽きせぬ感謝と敬意を捧げたい。
ただ今回は今までと比べて無理の目立つ展開が多く、特に下記の3点はそれが顕著だと思う。
1.第2バレラスの波動砲(デスラー砲)の制御プログラムに森雪が細工する時に、重要設備のはずのその制御室に誰もおらず侵入警報も鳴らない。また制御プログラムに細工されたことについて何も警告が出ない。その結果第2バレラスはあっけなく壊滅する。
2.第2バレラスが破壊された後、その膨大なデブリの中から発信機も付けていない雪を、古代進が何の苦も無く見つけてしまう。雪と精神感応しているらしいユリーシャが先に見つけるならともかく、これは無理がありすぎる。
3.古代守の精神(残留思念)が、コスモリバースシステムのトリガーになっているが、それを進が雪の死を悲しんでいるのを見て、雪を生き返らせるために発動させてしまう。この時点ではその後コスモリバースシステムが再起動することは分かっていないのだから、これでは弟可愛さに地球を再生させるという任務を放棄し、それまでの犠牲者の願いを蔑にしたと言われても仕方がない。旧作では古代進が「恐怖の欠陥人間」と呼ばれたが、今作では古代守がそう呼ばれるにふさわしいと思えてくる。
この後結局沖田艦長の死をきっかけに何の説明もなく(真田さえも「奇跡だ」で片づけている)、コスモリバースシステムが再起動してハッピーエンドになるのだが、これも無理がありすぎる。こんな無理をして作品に歪を生じるなら、「さらヤマごっこ」で雪を殺す必要などなかったのではないか。
なお本編とは関係ないが、デスラー総統を見限ったヒスが逃げ遅れたヒルダを庇っていたのは、「マクロス」で爆発から少女を守ろうとした兵士の姿と重なって好もしかった。
もう「白色彗星帝国編」が制作されることはないだろうから、第一章からのBDを観て余韻に浸りながら、第25話の完全版が収録されたBDが届くのを待つことにしたい。
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