「落語に出逢えた幸福と絶望を兼ね備えた孤高の天才の語る宇宙のような空間」スクリーンで観る高座 シネマ落語&ドキュメンタリー「映画 立川談志」 全竜さんの映画レビュー(感想・評価)
落語に出逢えた幸福と絶望を兼ね備えた孤高の天才の語る宇宙のような空間
月命日の21日と最終日に在りし日の家元の高座と人間模様を収めた今作を観る。
落語史上初めて哲学を盛り込んだ立川談志の芸は未だ賛否両論激しいが、談志を通して落語を愛する生きがいを見いだした事に間違いは無かったと改めて確信し、胸が熱くなった。
“落語とはイリュージョンである”と前半は『やかん』を、
“落語とは人間の業の肯定である”と後半は『芝浜』と、十八番を披露し、熱弁をふるう。
つまり、前者では“常識を疑え”
後者では“人間は弱いから物語に成る”と、自身の落語哲学を説いているが、生涯を懸け、病や世間と戦い続けながら、家元が掲げた落語の本質は、未だに上手く説明できない。
職場に介護に置き換えたら、
「利用者様にもっと人間らしい生活を!残業の無いスムーズな現場を!」
etc.綺麗事ばかり全面的に並べやがる上司の話なぞ聞く耳を持たないが、
「あのお爺さん暴力ばかり振るうなぁ…
夜勤行くの嫌やなぁ。ツラいよね、めんどくさいよね。
じゃあ、それを改善する方法って無いかい!?」と一人一人の持つ弱さから、課題について考えようとするリーダーの話には違和感なく惹かれていくのと相通ずるのかもしれない。
自分自身、職場で上手く答えが出た試し
が無く、むしろトラブルメーカーの身なのが、何とも悲しいが…。
人間の弱さやだらしなさ、ワガママを認め、さらけ出したうえで、ストーリーのキャラに憑依させる難しさにもがき、葛藤し、落語の表現に没頭した人生やったからこそ、立川談志は永遠に語り尽くせない落語家に昇華したと思う。
私は談志師匠のナマの高座はギリギリ間に合った世代で、2007年の静岡グランシップでの独演会を体験している。
掛けた演目は『二人旅』と『へっつい幽霊』
当時既に病状は進行しており、声はかすれて、展開をトバしたり、途切れてしまうのもしばしばで体調は最悪
全盛期をCDで聴き惚れていた信者には大きなショックだったが、神と同じ空間、同じ場所、同じ空気を共有できた時間は今でも掛け替えの無い財産である。
では最後に短歌をイリュージョンを用いて一首
『旅立ちて 神説く不条理 技(業)に酔い 段々と泣く 芝浜のあと』
by全竜