劇場公開日 2012年11月24日

「撮りたいという欲望の功罪」ドコニモイケナイ 因果さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5撮りたいという欲望の功罪

2024年7月10日
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東日本大震災を題材としたドキュメンタリー映画『311』で森達也は遺体を運んでいた被災者から棒を投げられた。しかし森は「でも撮ります」と言って撮影を続けた。

ドキュメンタリーというのは元来そういう性質のものだと私は思う。なぜそれを撮ろうと思ったのか、という問いに対していくら大層な言い訳を並べたところで、その背後には必ず「俺が撮りたいと思ったから」という身勝手で無底的な欲望がある。森が恐ろしいのは、そこで倫理の次元に立ち戻るという安牌に逃避せず、自らの暴走する欲望をも映像の糧として突き進み続ける異常なまでの作家根性を有しているところだ。

本作もまた上述のようなドキュメンタリー作家の倫理と欲望の相剋という問題圏に深く関わる作品だったように思う。

島田隆一率いる撮影グループは、映画学校の課題の一環でとりあえず渋谷に繰り出す。そこで無軌道に暮らす若者たちの姿を節操なくカメラに収めているうちに、ストリートミュージシャンの吉田という女と出会う…とここまではよくあるドキュメンタリー映画なのだが、話が進むにつれ事態は様相を変えていく。

ある日、吉田が音信不通になる。そして島田は彼女が統合失調症を発症していることを知らされる。映画の力点はそこで完全に吉田個人に絞られる。

数年後、島田は吉田の地元である佐賀に赴き、現在は作業所らしき場所で単純労働に従事している彼女の姿を捉える。黙々と作業をこなす彼女の横顔にかつてのパッションは感じられず、タイトル通り「どこにも行けない」という閉塞感が画面を覆い尽くす。

吉田が統合失調症であることを知らされた瞬間、あるいは彼女の地元に足を踏み入れた瞬間、島田は何を思っただろうか。何を思おうが、そこには少なくとも「センセーショナルな題材を撮りたい」という身勝手な欲望があったことだけは確かだ。そうでなければ一個人のーーそれも現時点では何者でもない人間のーー人生をわざわざ映画にしようとは思わない。

島田はたぶんそういう欲望に自覚的だ。なぜなら、渋谷で節操なくカメラを回していたときはあれほどインティメイトな寄りの画角が多かったのに、佐賀ではそれが全て静謐なロングショットに切り替わっている。吉田が作業所の送迎車に乗り込み、それを彼女の母親が見送るラストカットなどは、冒頭部とは打って変わって他者感に満ちている。

倫理と欲望をめぐる作家的懊悩が、言葉ではなくこうした映像のスタイルによって露呈しているドキュメンタリー映画が私はけっこう好きだ。ただ、後半部に関しては少々及び腰すぎるような気もする。倫理の側に触れすぎてしまってもいけないな…

因果