劇場公開日 1942年3月7日

意志の勝利のレビュー・感想・評価

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3.5意志という問題

2025年7月20日
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鑑賞方法:映画館

見る前は、ナチスやヒトラーのことが好きになっちゃったらどうしよう、と思っていたが、無用な心配であった。(誤解を恐れず言うが)現代の視点から見れば、映画としてとにかく退屈なんである。行進のシーン長え〜。一糸乱れぬ行進なのだが、個の見えないものにはコミットしにくい。腕を下げ忘れている人とか旗で顔が隠れそうになって嫌な顔で避けている人とか、たまに現れる“人間”を見つけてなんとかしのいだ次第。しかしこの感覚は忘れないようにしようと思った。/民族やら血やらで煽りつつ、ことあるごとに“みなさんが選んだ道だ”というのがずるいねー、と。責任などはなから取る気ない。「国家が我々を作るのではない、我々が国家を作るのだ」というのも、うまいよねえ、悪い意味で。煽りつつ国家への献身を求め、でもそれは自発的行為であると認めさせようとする言説。このあたりは、例えば國分功一郎が『中動態の世界』や『責任の生成』で指摘しているような事態。カツアゲされてお金を差し出したのは誰の意志?誰に責任がある?というやつ。/しかし映画を見終わって数時間後。今日は参院選の投開票日なのだが、結果を見るに、プロパガンダというのはいつの世も有効であり、むしろプロパガンダのみが世を決めるという分岐点にナチスがいたことを再確認させられる結果となった。退屈とか悠長なことをいつまで言っていられるか。

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ouosou

国や権力者に依頼されて作られた映像に芸術性などあるはずは無い。

2022年5月3日
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鑑賞方法:DVD/BD

レニ・リーフェンシュタールを凄い才能と『民族の祭典』を見た際に表した。しかし、この映画を見る限りにおいては、ヒトラーの才能の様な気がした。彼女は女優であり、ヒトラーの意思の元、女優として、監督を演じていたのではないかと思う。もっとも、彼女はそれを拒んでいたわけでは無い。そうでなければ、ヒトラーを俯瞰したような映像は取れなかったと思う。国威発揚を促そうとする者に個人の個性などあるはずもなく、必ず、権力者や国の意思があるのである。レニ・リーフェンシュタールは当初才能があったのかもしれないが、ナチス政権に完全にその才能を吸い取られてしまったと言える。どう見ても、薄気味悪い映像である。
国や権力者に依頼されて作られた映像に芸術性などあるはずは無い。

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マサシ