「北原三枝が熱演する感情高ぶる映画」流離の岸 M.Joeさんの映画レビュー(感想・評価)
北原三枝が熱演する感情高ぶる映画
映画は、再婚同士の連れ子となる兄明吉と妹千穂(北原三枝)は現在それぞれ別々に暮らしているが、互いに母への愛、傷を負っている。北原三枝の母萩代(乙羽信子)は一度自分を置いて再婚相手のところにいったことを心の傷として残っている。北原三枝が友人の兄の医者竜吉(三國連太郎)から結婚を申し込まれ、誰かほかに関係している人がいないのか聞くが、それはいないという。もしいたら、その人が不幸になる、それなら私が不幸になるほうがいいという。
二人は結婚式を挙げずに新しい生活を始めるが、三國連太郎には別居中の妻子がいて弁護士を通じて離婚の話を進めている。ある日その妻が現れあなたのしていることは二重結婚になる、私の本心は同意していないという。このことを帰ってから、北原三枝に伝える。自分が裏切られた、嘘を付かれたことに激昂しひどく泣き叫ぶ。実家に帰って、両親に話すが、父(金子信雄)このまま相手から逃げて傷を負っていくより、いい人のようだから戻っていくことも考えてはどうかと話す。普通ならば、相手の男性へ怒鳴り込んでいくべきところであろうが、意外な展開であった。
その夜(こういうときは雨である)、三國連太郎がずぶ濡れのまま実家に現れて、君しかいないと取り戻しに来て、東京に一緒に行こうと誘う。許せないと思いながら愛しているがゆえに付いていくことを決心してしまう。
早速身支度をして二人で東京行きの列車を待っているときに、母が駆けつけ、一度相手の女性(妻)にあって来なさいと言う。妻子を不幸にしてしまうのではないか。自分に投影して後悔の念を禁じえなかったのではないだろうか。北原三枝はその妻の住む駅で飛び降りて三國連太郎を強引に連れて二人で妻の実家を訪ねる。そこには小さな男の子がすやすや寝ている。妻はそれならこの子も引き取ってくれとも言ったが、いやそれはしたくないとも言う。北原三枝は自分の母が自分を置いて出て行ったことが心に傷としてあり、感情が高ぶってきて、別れてはいけないとそこを飛び出してしまう。一人歩く北原三枝で映画は終わる。
いわゆる暗くて地味な映画ではあるが、前半、中ごろ、後半と展開する中で、中ごろの恋愛のさわやかさ、後半の心の葛藤とその言動でぐいぐい引き込まれてしまう。映画館のおじいちゃん・おばあちゃんたちも乗り出して見ていた。リアリティを追求する新藤兼人監督ならではの展開で、ハッピーエンドでは終わらない。北原三枝の熱演が光る。
日活では計3本を手掛けており、これはそのうちの1作。
ところで、中ごろの学生姿の北原三枝の仕草の一つ一つがとてもチャーミングである。後ろの席のおばあちゃんたちが「スタイルがいいよね」とつぶやいていたように、動きがとても素敵なのである。今の時代の映画にはない女優の姿ではないかと思ってしまう。撮影場所だと思われる山口の風景が味わいがあるが、萩でロケされたらしい。北原三枝のお風呂で服を脱ぐシーンとか湯船の中のシーン、二人が初デートする宮島(当時の宮島口の船乗り場が見れる)の松林の裏でキスするとか、結構新藤兼人監督ならではのシーンがある。
広島出身の大田洋子の作品が原作であるが、同じ郷里の新藤兼人監督とのコラボが実現した。
自分にとっては、2012年春に見てからの2回目の鑑賞。
広島市映像文化ライブラリーの中央図書館「生誕110年没後50年 大田洋子文学資料展」関連企画上映。
2013年11月16日@広島市映像文化ライブラリー