霊魂の不滅のレビュー・感想・評価
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悔悟や信仰の体験を、時間構造の操作と映像の重ね合わせで表現
サイレント映画の黎明期において、これほど成熟した構成と倫理観を持つ作品は稀だと思います。『霊魂の不滅(Körkarlen)』は、死神の馬車にまつわる伝説を軸に、人間の罪と救済を描くスウェーデン映画であり、ヴィクトル・シェストレム監督の代表作です。主人公デビット・ホルムは酒に溺れ、家族や仲間を失った男。大晦日の夜、死神に導かれて過去の人生を振り返るうちに、自らの罪と向き合い、ついには悔悟に至ります。
この映画の最大の特徴は、死神の導きによって過去を何度も遡る時間構造にあります。いわゆるフラッシュバックを物語全体の枠組みとして導入し、過去と現在を往復する形で主人公の内面を描いた点が画期的でした。1910年代までの映画では、物語は直線的に進行するのが常であり、時間を“構造”として扱う発想はまだ定着していませんでした。『霊魂の不滅』は、死と回想、現在と過去を編集によって結びつけることに成功した最初期の作品のひとつであり、後の『市民ケーン』や『サンセット大通り』、さらにはベルイマンの心理映画にも通じる「映画的時間の操作」を先駆的に実現しています。
技法的にも、二重露光を用いた霊的表現が印象的です。現実の風景に霊の姿が重ねられることで、「生と死の境界」が視覚的に現れます。当時としては驚くべき映像技術であり、単なる特撮ではなく、世界の二重性そのものを映し出す“宗教的メタファー”として機能していました。
物語を支えるのは、救世軍の少女の存在です。彼女は信仰と献身によってデビットを救おうとしますが、彼の結核をうつされ、若くして命を落とします。現代的な視点では報われない犠牲と映るかもしれませんが、当時のキリスト教的価値観では、信仰と隣人愛に殉じた生き方こそが“善”であり、命よりも神の意志が上位にあるという倫理観が支配的でした。彼女の死は悲劇ではなく、魂の完成、すなわち“正しい生”の成就として描かれています。
『霊魂の不滅』が映しているのは、単なる贖罪劇ではありません。それは、「信仰」「倫理」「時間」という三つの次元がまだ分離していなかった時代の精神そのものです。信仰が倫理を支え、倫理が時間の意味を形づくっていた時代――その世界観の中で、人がどのように“救い”を見ていたのかを、映画という新しい媒体が可視化した奇跡のような作品だと思います。
100年以上前の映画でありながら、今見ても“生と死のあいだ”を見つめる視線は静かで力強い。映画の原点にして、人間の内面を描いた最初の偉大なドラマのひとつです。
鑑賞方法: Youtube
評価: 85点
男性であること
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