楽聖ショパンのレビュー・感想・評価
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「ポロネーズ」「ポーランドの魂!」「名曲だ」 by フランツ・リスト
1944〜45年の作。アメリカ、コロンビア映画社 カラー、英語作品。
原題「別れの歌」。
ロマノフ帝政下で、喘ぐ祖国ポーランドを魂の拠り所として生き、
しかし異国でついえた寄留の他国人ショパンの、翻弄の人生を辿るストーリー。
それはじきに、ソビエトによる、それまでに輪をかけた東欧諸國への新たな圧政と、そして冷戦の前夜という、― そのような時期にこの映画は作られているわけで。
このあたりの世情も重ねて、本作の製作者たちの「演出」や「脚本の意図」も感じてみたい映画だ。
アカデミー賞 6部門ノミネート。
「為政者が民衆同士を仲違いさせているのだ」と国家の企みを暴き、また女性への差別抑圧に対する厳しい怒りも、役者たちの口を通して語らせるジェンダー告発。
・・日本がニューギニアやミッドウェーで飢餓戦線を戦っていた頃、アメリカではこのような「海外のピアニストの伝記映画」が作られて、国民がそれを愛でていた訳ですね。
自由と難民と、芸術と人権意識への、民衆の開眼も促されていた。
嘆息です。
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【プレリュードとして】
フレデリック・ショパンは、彼は出国後は二度とふるさとポーランドに帰ることは出来なかった。
この彼を「民族自決のパルチザン」として、また強き思いの「愛国者」として、明確なるスポットライトを照射した特異な伝記映画だった。
◆ロシアから来た総督の着任晩餐会での“爆弾発言”と、ピアノ演奏の拒否(ボイコット。
◆祖国の土を一握掴んで逃げるショパンの船出。
◆逃亡を手助けした仲間は二人殺されてしまう。婚約者コンスタンチアの無事やいかに?!
・・このように映画は冒頭から実にスリリングにスタートする。
【序・『破』・急】
パリにて「故郷ポーランドのために音楽を書きたいのだ」と痛切に願う純情なる青年。
しかしパトロンとなったジョルジュ・サンドがあまりにも誘惑的で、ショパンの耳元で囁くのだ ―
「政治を離れて曲を書きなさいよ、ボク♡」と。
ポリティカルなポロネーズが嫌いなジョルジュ・サンド。彼女は愛のノクターンだけを求める女だったのだ。
「故国ポーランドとロシアの敵対構図」が、ここでは「フランス対ポーランドの男女の軋轢」に変わる。
さぁどうするフレデリック?葛藤だ。
そして男と女はパリ〜ノアン〜マヨルカ島へ・・という筋書き。
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で、【豆知識】ではあるが、
本作はアメリカ映画ゆえ、台詞が英語となるのは仕方ないのではあるが、当時「ポーランド人のショパンが何故に旅先のパリで会話に困らなかったか」という疑問。
実はあの頃、全ヨーロッパでにおいては各国ともルイ家と縁戚関係を結ぶ事などもあり、「フランス語」が貴族・上流階級の日常の会話用語であった。
(ロシア・ロマノフ朝においても土着のロシア語は はしたない野卑な言葉の扱いだったのだ。日本の迎賓館の正式メニューはフランス料理であるし、そして皇族の洋装がフランス式なのもその当時からの流れ)。
ゆえに、ポーランド人のショパンしかり、ハンガリーのリストも、そしてロシア本国出身のチャイコフスキーもしかり。彼ら文化人たちはフランス語の会話には困らずに自在に欧州を旅行出来たわけです。
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配役として、お調子者のドイツ人=エルスナー教授がいい役回りです。アメリカ映画らしく物語を軽快に進めてくれます。楽しめました。
そして映画の場面はパリへ。
ピアノのショールームにおける前途洋々の若者ショパンと盟友フランツ・リストのあの出会い。
連弾しながらの喜びの握手。フレッシュな若者同士の快哉のシーンだった。あそこ、まことにワクワクではないか♪
劇中で使用された楽器はすべてパリの「プレイエル商会」のもの。ショパンがその最期まで気に入って使い続けたプレイエルピアノのラインナップでした。
フレデリック・ショパン、享年39歳。
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【ポストリュードとして・・】
お時間のある方は
◆リストがショパンのために書いてくれたピアノの小品=ショパンの死に際しての、“哀しみの極み”を五線譜に記したリスト「コンソレーション3番」。これを動画で聴いてみてもらいたい。
ハンガリーから来た時代の寵児=金髪のリストと、ポーランドの魂にして亡命者=黒髪のショパンの、その後も続いたリスペクトの関係には胸が締め付けられるはずだ。
⇒YouTube [ リスト、コンソレーション3番。フジコ・ヘミング ] でどうぞ。
◆そして
ショパンの「遺作」(ノクターン作品20番)は、同じく亡命ロシア人ウラジミール・アシュケナージの動画が、ショパンの肖像・写真付きでとても良い。オススメ。
ショパンの名曲が素晴らしい
感動作
ショパンの生涯に詳しい人が観たら余りの脚色に異を唱えるかも知れませんね。
ハンガリーの劇作家エルンスト・マリシュカがショパンの伝記を基に脚色した1934年のフランス映画La Chanson de I'Adieu(別れの曲)のリメイク作品です。
ショパンに音楽理論や作曲を教えたのはエルスナー教授ですが一緒にパリには行っていません、映画ではちょっとコミカルに脚色、まさに楽聖ショパンの恩師兼プロデューサーのような役回りでした。映画はこの妙な師弟関係をベースに早逝した天才青年ショパンの半生が描かれています。まあ、簡略化し過ぎとは思いますがショパンならさもあらんと思わせる感動作としての仕上がりは見事なものでした。
創作も多いらしく、ショパンとサンドの関係性の真実に、興味を覚えた。
1945年製作のアメリカ映画、原題:A Song to Remember。
ショパンの一生が描かれているが、史実通りではない様である。1945年という時節柄か、ショパンの祖国への貢献が、本映画ではかなり事実を捻じ曲げて強調されていた。
また本映画ではサンドがショパンを誑かす悪女の様に描かれている。しかし、彼女が主張してた演奏ではなく作曲により専念したことで、実際に多くの優れた楽譜が創作された。彼女が言う通り、ポーランド独立のための演奏旅行も彼の命を短くしてしまい、ショパンのことを考えたら彼女の主張は正しいとも思ってしまった。
見どころはやはり、ショパンが弾く名曲の数々か。
英雄ポロネーズ (Op.53)、別れの曲(Op.10-3)、モーツァルトのピアノソナタ k.545 ハ長調:子供時代の演奏、子犬のワルツ(Op.64-1)、マズルカ 第5番(Op.7-1)、幻想即興曲 (Op.66): 貴族の晩餐会にて、エオリアン・ハープ (Op.25-1)、ベートーヴェン 月光ソナタ (Op.27-2)、スケルツォ第2番 (Op.31): 暗闇の中で弾いた曲、夜想曲 第2番(ノクターン) (Op.9-2):サンド宅にて、子守歌 (Op.57):教授訪問時に弾いていた、3つのワルツ 第7番 (Op.64-2):教授がリストから招待された演奏会にて、木枯らしのエチュード (Op.25-11): 演奏旅行時、バラード 第3番 (Op.47)、軍隊ポロネーズ (Op.40-1)、ワルツ 変イ長調 (Op.42)、3つの華麗なる円舞曲 (Op.34-1)、革命のエチュード (Op.10-12)、スケルツォ第2番 変ロ短調 (Op.31)等と、有名曲がずらりと並び、嬉しく感じた。
監督チャールズ・ビダー、脚色シドニー・バックマン、原作エルンスト・マリシュカ、製作シドニー・バックマン、撮影トニー・ゴーディオ アレン・M・デービー、音楽監督モリス・W・ストロフ、音楽監修マリオ・シルヴア、編集チャールズ・ネルソン、編曲ミクロス・ローザ。
出演
ポール・ムニProf._Elsner、マール・オベロンGeorge_Sand、コーネル・ワイルドFrederic_Chopin、スティーブン・ベカシーFranz_Liszt、ニナ・フォックConstantia、ジョージ・クールリスLouis_Pleyel、シグ・アーノHenri_Dupont、Howard FreemanKalkbrenneHoward Freeman、ジョージ・マクレディAlfred_de_Musse、クレア・デュブレイMadame_Mercire。
大林宣彦監督の『さびしんぼ』を思い出す。
『ポーランドとロシアはいがみあっている。しかし、支配者は憎み合うどころか、仲が良い。支配者は人民を抑圧し、いがみ合わせている。』劇中のヤンの言葉。嘘か真かはわからないが、ポーランドの立場を良く言い表していると思う。
それを含めて、映画の信憑性を読む必要性は残るが、僕はこの映画だけで、充分に共感できる。
ショパンの曲に魅了されるのは、ミーハーな事かもしれないが、そのくらい、誰からも愛された作曲家と僕は思っている。この映画に登場していない音楽で、一度は聞いた曲は50曲以上あると思う。
別れの曲はあとから付けられた副題だが、大林宣彦監督の『さびしんぼ』を思い出す。
古い映画だけれど結構いい。
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