「真実のエンターテインメント」これは映画ではない Chemyさんの映画レビュー(感想・評価)
真実のエンターテインメント
アッバス・キアロスタミ監督がイラン映画の質の高さを初めて世に知らしめてから、優れた映画作家による優れたイラン映画が、世界中の賞賛を浴びている。厳しい検閲の中で、比較的検閲の通りやすい子供を主人公とした良作が次々に制作されてきた。パナヒ監督もキアロスタミ脚本による『白い風船』など優れた作品を手掛けているが、やがて『チャドルと生きる』のように、イランにおける女性の厳しい立場を言及し、ヴェネチア映画祭金獅子賞を受賞した。キアロスタミ監督やパナヒ監督作品以外にも多数のイラン映画が数々の賞を受賞する中で、イラン映画(映画だけでなく芸術全般)はますます茨の道を歩むこととなっている。
優秀なクリエーターが故国を脱出する中で、パナヒ監督は2009年の大統領選挙における反対派支持の罪で拘束され、現在は自宅軟禁、20年間映画製作禁止を言い渡されている。映画を撮ったら即刻逮捕の中で、友人に託され海外に持ち出されたUSBメモリの中の映像が、本作『これは映画ではない』。このシニカルなタイトルに表現されたパナヒ監督の憤り。それでもこの作品の緻密に計算された“ドキュメンタリー風エンターテインメント”に、「必ずまた映画を撮る」という情熱を強く感じる。
ホームビデオやiPhoneによって撮影されるのはテヘランにある高級マンションの一室。最新の電化製品が揃えられたセンスの良い部屋で朝食をとる監督の姿から物語はスタートする。カメラを向けるのは友人であるミルタマスブ監督だ。台本を「読む」だけなら映画製作ではないと、演劇の稽古場のようにテープで舞台装置をバミリながらシーンを再現する。たまにうっかり“壁”をまたいでしまってやり直すというお茶目な面も見せる監督だが、「読む」だけの虚しさを隠せない。このザックリとしたシーンだけで、その未制作映画が見える気がする。ヒロインが日々除く窓の外の風景が確かに見える気がする。パナヒ監督の才能が垣間見えるシーンだ。
ここに映し出されるのは、軟禁状態に苛立つ監督の日常のように見える。iPhoneで窓の外を撮影したり、テレビで日本の津波のニュースを見て心を痛めたり、ペットのイグアナに餌をやったり。イグアナのイギは、監督の心労を余所に優雅に部屋をはい回る。その威風堂々たる“演技”は、監督の心も我々観客の心も和ませ、まさに助演俳優賞ものだ。そう、これはドキュメンタリーに見せかけた完璧なフィクションなのだ(と思う)。突如訪ねてくるマンションの管理人代理。各階のゴミを集める彼が、監督の逮捕時に居合わせていた偶然が果たしてあるだろうか?さりげなく彼の後についてマンションの外に出た監督に彼は思わず叫ぶ「カメラを隠してください!捕まります!」ラストシーンのこの一言がノンフィクションで、これこそが「真実」なのだ。そしてこれこそが監督のメッセージの全てなのだ。
ラストシークエンスまでのサスペンスの高め方、ラストシーンの意外性と衝撃度。これが映画でないなら、世に氾濫する膨大な駄作はもはや「映画でもない」。監督の憤りはそのまま我々映画ファンの憤りだ。パナヒ監督を救済すべく、世界中のクリエーターや俳優たちが今もイラン政府に抗議を表明し続けている。