劇場公開日 2013年2月16日

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王になった男 : インタビュー

2013年2月15日更新
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イ・ビョンホン、安泰に興味なし 語り尽くす俳優哲学

記者会見で本作が興行収入で韓国歴代3位という大ヒットを記録した理由を問われると、「イ・ビョンホンが出ているからでしょう(笑)」とおどけていたが、それがあながち間違いではないことは映画を見れば分かるだろう。「王になった男」で猜疑心にとらわれた実在の朝鮮王朝の王・光海と、数奇なめぐり合せでその影武者を務めることになる道化師ハソンの2役を見事に演じきったイ・ビョンホン。「G.I.ジョー バック2リベンジ」「RED2」とハリウッド大作2作の公開も年内に控え、まさに脂の乗り切った42歳の素顔に迫る。(取材・文・写真/黒豆直樹)

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作品ごとに幾通りもの役柄を自在に演じることから、人はビョンホンを“千の顔を持つ男”という言葉で評する。だが本作で求められたのは、顔はおろか衣裳までも全く同じ2人の人物を、別人として演じ分けるということ。見た目ではなく表情や所作、セリフ回しで2人の人物を演じ分けるという最高難度の表現だが、「どんな役であれ自分自身の中にないものは出来ない」と逆説的とも取れる持論を明かす。そして、「僕はどんな人でも数百から数万の性格を持っていると思っています。ふだんならそれは無意識の中にあり気づかないけれど、そうした自分の多重な性格をひっぱり出してきてデフォルメするのが俳優という仕事なんです」とこともなげに語る。

初の1人2役、初の時代劇と40歳を超えての初づくしとなったが、そうした“初物”以上に韓国で多くの観客に衝撃を与え、称賛をもって迎えられたのが、ここ10年ほど、ほとんど見せることのなかったコミカルな姿。この役はビョンホンしかあり得ないとオファーを出したチュ・チャンミン監督さえも、コミカルなシーンに関して「彼にここまでやらせていいのか?」と心配したそうだが、ビョンホン自身は「自分がどういうイメージで見られるかというのは作品を選ぶ上で重要ではない」と全く気にする様子はない。何よりも気にかけていたのは、どのような質の笑いを見る者に届けられるのかという1点のみだった。

「正直、コミカルなシーンに関しては自信を持っていました。ただ、久しぶりということで難しかったのはさじ加減。どれぐらい笑わせるのか? 抑えた方がいいのか? そこは監督と相談し、ジャッジしてもらいながらやりました。脚本段階ですでにケラケラと笑っていたんですが、読んで面白いのと実際の映画で面白いのとは違うものです。やはり映画ではリアリティと説得力があり、洗練されていなければのめり込んで笑ってもらえませんし、コミカルなシーンは往々にして幼稚で表面的なものになりがちです。例えば歯に海苔をつけたり、王妃に稚拙な詩を読むシーンは危険なんじゃないかと悩む部分でもありました。ただ、ハソンという男は決して知的とは言えませんが、王妃の笑顔をひと目見たいという純粋な気持ちでこうした行動をしている。だから、たとえその姿が幼稚に見えて笑ってもらえなくても構わないんじゃないかとも思っていました」。

それは杞憂に終わり、劇場ではこのシーンで大きな笑いが起きるとともに、指折りの感動シーンとして高い支持を集めることに。ダークなスーツに身を包み、ラウンジのほのかな明かりに照らされたビョンホンが、コメディに対する自信や笑いの“質”について語る姿は、何とも不思議な光景ではある。改めて、ひとつひとつのシーンに至るまでのすさまじい情熱が伝わってくる。

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光海は権力の頂点に君臨しながらも毒殺の不安にさいなまれ、周囲の者の言葉への判断力を失い暴君と化していく。翻ってビョンホンが、光海同様に韓国映画界の頂点に位置していることは紛れもない事実である。だが、“王”にふさわしい気品やオーラを感じることはあっても、決してそこに近寄りがたい雰囲気はない。周囲の声や環境に惑わされ、自らの道を踏み外すことのないその人柄は、信頼できる人間の見極め方について語ったこんな言葉にも端的に表れている。

「権力を持った指導者の周りに多いタイプとして、常に良いことしか言わない人間というのがいます。特に良い時期ほどそういう人間が周囲に増えるものです。僕自身はそういう人たちが僕以外の人間とどう接し、どんな行動をとるかというのをよく見るように気を付けて、その人を見極めるようにしています」。

何よりもビョンホン自身、権力や地位を手にしているなどという意識が希薄なのだろう。そうでなければ40代にして安泰を捨てて、“ルーキー”の立場でハリウッドに飛び込もうとなどするまい。「周りで何が起きているか気づかないほど没頭すること」が彼の仕事をする上での哲学である。

「他の何も目に入らないほど集中し、没頭することがプロフェッショナルであることだと思います。俳優、映画という虚構の世界で言うならそれは、どんなに短いシーン、小さな感情であっても真心を込めてウソを演じ切るということでしょうか。それから、器用に何でもこなし、全てのことについてよく知っているという人もいますが、やはり何かひとつだけに秀でている人というのはそういうタイプとは違うなと思います。どこかで抜けていて、時にバカみたいに見える瞬間もあるかもしれませんが、目立った痕跡を残す人間というのは、のめり込める人間だと思っています」。

王としてのお行儀など気にすることなく、道化として暴れ回る姿をこれからも見せ続けてほしい。

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