木洩れ日の家でのレビュー・感想・評価
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ポーランドの小津映画
ポーランドの女流監督・脚本のドロタ・ケンジェザフスカは、祖国を代表する大女優ダヌタ・ラルスシャフカ(92才)のためにこの映画を創ったそうです。ラルスシャフカさんは100才まで現役だったそうですから驚きます(2017年102才で逝去)。
原題は「死ぬとき」で、愛犬が寄り添うものの91歳の独り暮らしの老婦人の話ですから切ない映画であることは間違いありません。ただ、衣食住には困っていないのはせめてもの救いでしょう。
1915年生まれなので独ソのポーランド侵攻、分割統治の暗黒時代に24歳、ポーランド人は虐殺や辛酸を舐めた筈なのに回想シーンは美しい思い出ばかり、ポーランド人には辛すぎるのであえて触れないのか、テーマがずれるのを避けたかったのでしょう。全編モノクロで暗いシーンが多いですが老女優さんの映りを気遣ったのでしょうか、せめてラストシーンの花の満開から青空に抜けるカットは天国への旅立ちですからカラーへゆっくりディゾって欲しかった気もしますが監督はドキュメンタリー気質ですから華美な演出が嫌いなのでしょう。
ポーランド映画なのに親の思い子知らずのような普遍的なテーマだからでしょうか、小津さんとか黒澤さんのような昭和の名監督の臭いのする映画のように思えて味わい深かったです。
覗き趣味
女医にいきなり「脱いで」と言われ、腹を立てて医院を飛び出してきたアニュラ。彼女の恥ずかしがり屋と傲慢さを冒頭で見せつけてくれる。
住んでる家は森の中。とは言え、隣家の一方は金持ちが愛人を囲っている家で、もう一方は子ども達にブラスバンドを教えている一家。静かに余生を送ろうとしているのだろうけど、彼女の家にはかなりの訪問者がある。家を売ってくれと願い出る隣家、ブラスバンドの子どもたち、そして古い家から強制撤去させようとする役所の人間、そして息子、孫・・・美しい想い出に浸っているヒマさえ無さそうだ。
家は絶対に売らない!死ぬまで。今この家を手放してしまうと、ただでさえ思い出すのが困難になっているのに、すべて、彼女の人生さえが消えてしまいそうだ。そんなとき、息子が金持ちの隣家を訪れているのを目撃し、家を売ろうとしていることを知る。息子の嫁はそんな薄情な息子とは違い、義母のことを考えてるというのに・・・
そして、最後には公正証書を作成。家を隣人の若夫婦が経営する音楽クラブに譲るという遺言だ。家には様々な楽器が持ち運ばれ、みんな幸せそう。やがてアニエラは静かに息を引き取った。愛犬フィラがじっと彼女を見つめている・・・
原題は“TIME TO DIE”。このままだと結末を想像してしまいそうだし、こもれびで良かったのかもな。残念なのは二つの大戦を経験し、ナチスとソ連が侵攻してきたりと、激動の歴史を持った国というものを感じさせず、どこの国でも通用しそうな内容だったこと。か。
犬の名演技に泣かずにいられない
原題:「TIME TO DIE」
ストーリー
ワルシャワ郊外。大きなアカシアの木々に囲まれた広い庭を持つ木造の屋敷がある。戦前から建つ大きな二階家だ。1915年生まれのアニエラは、この屋敷で生まれ育ち、結婚し、息子を育て、夫に死なれ、息子が巣立っていくのを見送った。そして今は、一人で、愛犬フィルと暮らしている。共産主義の時代には、国から強制的に屋敷の一部を取り上げられて、別の家族に家を提供しなければならないこともあったが、今は一人きり、フィルを相手に、静かな余生を過ごしている。家を改造して息子の家族と住むことを申し出たが、嫁が嫌がるという理由で、すげなく断られている。隣の家では、成金の男が愛人を囲っていて、家が狭いので、アニエラの家を買い取りたいと、不動産屋を通して圧力をかけてくる。礼儀を知らない下品な人達で、若い女はお化けのようなグレートハウンドを飼っている。
自分は90を超えて老い、息子は自分を疎んじて訪ねてこないし、健康に不安もある。しかし、2階のサンルームで、フィルを相手に話をしたり、双眼鏡で隣近所の出来事を覗き見したり、思い出に浸ったりして、退屈することはない。ただ、唯一の望みは そのサンルームで淹れたての熱いお茶を飲むことだ。自分が台所で淹れたお茶は、二階のサンルームまで運んできて飲もうとすると、すっかりぬるくなっていて香りもなくなっている。仕方なく、アニエラは、リキュールに手を伸ばす。
もう一方の隣の家では、若い夫婦が、貧しい子供たちを集めて音楽学校を開いている。朝から下手なトランペットの合奏などを聴かされて、そのやかましいこと。でも子供たちがショパンのワルツに合わせて、ダンスをしているところなど、双眼鏡で覗き見れば、自分が若いころに夫と踊った思い出に浸ることもできる。悪戯さかりの子供たちが 壁を伝って、ア二エラを覗きに来たり、むかし息子が遊んだ庭のブランコに乗りに来たりする。
ある夜、ベッドの横で眠っていたフィルが、異様な吠え方をするので、アニエラが起きてみると、息子夫婦が隣の成金の家を訪ねていて、4人が談笑しているではないか。息子は訪問を終え家の前に停めていた車まで歩いてきて、嫁と話をしている。息子は母親の家を無断で、隣の人に売り飛ばそうとしていたのだった。たった一人の愛する息子が、内密に、アニエラの家を横領しようとしている。同居を拒否しながら、家を売って、金もうけをしようとしている息子。小さい時から、欲の深い、思いやりのない子供だった。たった一人の孫まで、アニエラのつけている、指輪を欲しがるばかりの可愛げのない孫だった。
アニエラは怒りに震え、悲しみ、そして絶望する。喪服に身を包み、死を迎えるためにベッドに横になる。でも、期待通りに死は訪れない。そして、アニエラは自分が人生の終末期にいる自分に、何ができるだろうか、と考えて、ある決意をする。公証人を呼び、貧しい子供たちを集めて音楽教室を開いている若い夫婦に家を譲る契約をする。家を貧しい子供たちのために解放するのだ。アニエラの望んだとうり、子供たちが引っ越してきた。やかましいが、活発な子供たちによって、再び古い屋敷は活気を取り戻す。アニエラは満足して、サンルームでフィルと、何事もなかったように寛いで、、、。
というお話。
2007年に、ポーランドで活躍する女性監督 ドロタ ケンジェジャフスカによって製作され、2011年に日本の小劇場で公開された作品。当時91歳だったダフタ シャフラルスカが主演して、話題になった。
この気品ある女性に美しいこと。小柄で華奢だが、姿勢が良くてローヒールの靴を履いて、柔らかなワンピースを着ている姿など、ほれぼれする。単調なひとりきりの生活のなかでも、双眼鏡で世間の動きをしっかり見ていて、好奇心を失わないでいる。訪ねて来た息子には、つい小言ばかり言ってしまうが、心ではとても息子を愛している。太って大柄になった無口な息子の後ろ姿に、一番可愛いかったころ自分をいつも頼ってくれた幼い日々の息子の姿を、重ねて見ている。憎まれ口しか言わない孫娘にも、深い愛情を抱いている。
そうした愛がすべて裏切られたと、知った時の衝撃は、まさに自分を死に追い込むしかないような耐え難いことだったに違いない。しかし、まだ自分に人のために役立つことができる、と思い至ってからのアニエラの別人のような生き生きとした姿に変わる。二つの大戦を経て、ポーランドの過酷な歴史を見て来たアニエラには、不屈の魂が宿っているのだ。
アニエラは欲深い息子家族を見限ることによって、将来のある子供たちの笑顔と喧噪と活気そして生きる活力を得た。品のない。思いやりのない肥満体の孫よりも、年寄りを大切にする貧しい子供たちという大きな家族を迎える、というか賢い選択をした。立派な決断。
映画の主役は91歳のアニエラと愛犬フィルだが、このフィルが素晴らしい。黒と白のボーダーコリーで、本当にアニエラの飼い犬としか思えない名優ぶり。いやな不動産屋が家に入り込んで来れば、猛然とほえたてて家から追い出すし、電話が鳴っていて足取りの遅いアニエラが間に合わないとわかると、走って行って飛び上って受話器を外すことができる。アニエラが話しかけると、耳を立てて、しっかり聞いてくれる。ベッドからアニエラが話しかけると、体を床に伏せたまま、目をアニエラに向けて、しっぽだけで返事をして振って見せる。アニエラを注意深く見つめて話を聴こうとしているフィルは、主人の飼い犬というよりも人生のすぐれた伴侶だ。犬の良さをすべて兼ね備えたフィルの表情の豊かさ。素晴らしい犬。
映画が始まったばかりの時に アニエラの独白がある。「ああ、いま熱いお茶があったらば、もう他に何も要らないのだけど、、。」という。自分が台所で淹れたお茶は、二階のサンルームに運んできたころには、すっかり冷めて香りもなくなってしまう。誰かがここに居て、アニエラのために熱いお茶を淹れて持ってきてくれたら何にも代えがたい、と自分の孤独を嘆くシーンがある。これが映画の終末のシーンを暗示している。アニエラの屋敷が、貧しい子供たちの音楽教室になってから、一人の男の子が、不注意でアニエラのお気に入りのテイーカップを、落として割ってしまう。この男の子は、アニエラに叱られるのを承知で 別のカップに熱いお茶を淹れてサンルームに持ってくる。ガラス窓を通して安楽椅子に座るアニエラの腕が見える。呼びかけても返事がない。足元にいたフィルがアニエラを眠っていると思って揺り動かす。そしてフィルは何が起こったのかを知る。フィルはガラス窓ごしに、男の子に向かってじっと目を合わせる。その目は何が起こったのか 男の子に伝わった。フィルと男の子とが見つめ合うことろで映画が終わる。
犬の目がすべてを語り告げているところも、感動的だが、それを受け止める無垢な子供のやわらかい心の痛みが表情からしっかりと伝わってくる。これほど優れた終わり方をする映画、他になかったように思う。この最後のシーンだけのために、この映画を観る価値がある。犬をよく知っている人には、号泣ものだ。子供好きの人にも胸をかきむしられることだろう。素晴らしい映画。犬と子供とおばあさんが好きな人には必見の名作だ。
黒白の画面なので、光と影のコントラストが明確で、色彩がないゆえに実際よりも豊な色彩を感じられる美しい映画だ。
老いてなお現役。
名画座にて。
とにかくこの作品は、1915年生まれで撮影当時91歳の現役女優、
D・シャフラルスカの(ホラーとも少女ともとれる)演技の妙に尽きる。
冒頭から失礼な女医にハッタリをかますところなど、もう絶品!^^;
こういう元気なお婆ちゃんにはいつまでも長生きしてもらいたいと、
そんな願いすら込めて観てしまう不思議な作品である。
モノクロームの(一瞬不気味な)映像美に映し出されるその屋敷には
今では老婆と一匹の犬だけが住んでいる。
隣家2件を覗き見ることが趣味のこの老婆は、愛人を囲う成金男から
破格の値段でこの屋敷の売却を提案されるが(もちろん却下)、しかし
自分の息子が一枚絡んでいることに絶望、一時は死を考えるも(爆?)
んなわけないでしょ!と自ら最期の逆転劇を演じてみせる。
まぁ~お見事、お見事。物語としては特に変わり映えするわけでなく、
行き着く所へ行き着くのだが、その不気味でユーモアに満ちた老婆の
とる行動に、幾つになってもこんな風に颯爽と生きられたならと願う。
途中で何度も垣間見える過去の残像は、どれも美しく(彼女もねぇ)
ほとんど共産圏に取り上げられた忌まわしい記憶を覆い隠しながら、
静かな余生を送りたいと願う1人の老婆の懐疑と孤独を映し続ける。
傍らに寄り添う犬の演技!(あまりに素晴らしいので言うことなし)
たったひとりの親友の如く最期まで主人公に尽くすこの犬の名演が、
更にまた深い感動を巻き起こす…。
年老いた両親をどうするか。なんていう問題はどこの国でも同じだ。
子には子の、孫には孫の、それぞれの言い分なんて言うのもあって^^;
皮肉に満ちたユーモアも効かせてあった。
だけど一番の孝行は、彼女の好きにさせてあげることだ。
その力を備え、勇気と知恵を持つ老婆に、叶う提案などありはしない。
(未だ現役だそうで…日本にも百歳の監督がいるけど…芸は才を助く?)
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