「犬の名演技に泣かずにいられない」木洩れ日の家で DOGLOVER AKIKOさんの映画レビュー(感想・評価)
犬の名演技に泣かずにいられない
原題:「TIME TO DIE」
ストーリー
ワルシャワ郊外。大きなアカシアの木々に囲まれた広い庭を持つ木造の屋敷がある。戦前から建つ大きな二階家だ。1915年生まれのアニエラは、この屋敷で生まれ育ち、結婚し、息子を育て、夫に死なれ、息子が巣立っていくのを見送った。そして今は、一人で、愛犬フィルと暮らしている。共産主義の時代には、国から強制的に屋敷の一部を取り上げられて、別の家族に家を提供しなければならないこともあったが、今は一人きり、フィルを相手に、静かな余生を過ごしている。家を改造して息子の家族と住むことを申し出たが、嫁が嫌がるという理由で、すげなく断られている。隣の家では、成金の男が愛人を囲っていて、家が狭いので、アニエラの家を買い取りたいと、不動産屋を通して圧力をかけてくる。礼儀を知らない下品な人達で、若い女はお化けのようなグレートハウンドを飼っている。
自分は90を超えて老い、息子は自分を疎んじて訪ねてこないし、健康に不安もある。しかし、2階のサンルームで、フィルを相手に話をしたり、双眼鏡で隣近所の出来事を覗き見したり、思い出に浸ったりして、退屈することはない。ただ、唯一の望みは そのサンルームで淹れたての熱いお茶を飲むことだ。自分が台所で淹れたお茶は、二階のサンルームまで運んできて飲もうとすると、すっかりぬるくなっていて香りもなくなっている。仕方なく、アニエラは、リキュールに手を伸ばす。
もう一方の隣の家では、若い夫婦が、貧しい子供たちを集めて音楽学校を開いている。朝から下手なトランペットの合奏などを聴かされて、そのやかましいこと。でも子供たちがショパンのワルツに合わせて、ダンスをしているところなど、双眼鏡で覗き見れば、自分が若いころに夫と踊った思い出に浸ることもできる。悪戯さかりの子供たちが 壁を伝って、ア二エラを覗きに来たり、むかし息子が遊んだ庭のブランコに乗りに来たりする。
ある夜、ベッドの横で眠っていたフィルが、異様な吠え方をするので、アニエラが起きてみると、息子夫婦が隣の成金の家を訪ねていて、4人が談笑しているではないか。息子は訪問を終え家の前に停めていた車まで歩いてきて、嫁と話をしている。息子は母親の家を無断で、隣の人に売り飛ばそうとしていたのだった。たった一人の愛する息子が、内密に、アニエラの家を横領しようとしている。同居を拒否しながら、家を売って、金もうけをしようとしている息子。小さい時から、欲の深い、思いやりのない子供だった。たった一人の孫まで、アニエラのつけている、指輪を欲しがるばかりの可愛げのない孫だった。
アニエラは怒りに震え、悲しみ、そして絶望する。喪服に身を包み、死を迎えるためにベッドに横になる。でも、期待通りに死は訪れない。そして、アニエラは自分が人生の終末期にいる自分に、何ができるだろうか、と考えて、ある決意をする。公証人を呼び、貧しい子供たちを集めて音楽教室を開いている若い夫婦に家を譲る契約をする。家を貧しい子供たちのために解放するのだ。アニエラの望んだとうり、子供たちが引っ越してきた。やかましいが、活発な子供たちによって、再び古い屋敷は活気を取り戻す。アニエラは満足して、サンルームでフィルと、何事もなかったように寛いで、、、。
というお話。
2007年に、ポーランドで活躍する女性監督 ドロタ ケンジェジャフスカによって製作され、2011年に日本の小劇場で公開された作品。当時91歳だったダフタ シャフラルスカが主演して、話題になった。
この気品ある女性に美しいこと。小柄で華奢だが、姿勢が良くてローヒールの靴を履いて、柔らかなワンピースを着ている姿など、ほれぼれする。単調なひとりきりの生活のなかでも、双眼鏡で世間の動きをしっかり見ていて、好奇心を失わないでいる。訪ねて来た息子には、つい小言ばかり言ってしまうが、心ではとても息子を愛している。太って大柄になった無口な息子の後ろ姿に、一番可愛いかったころ自分をいつも頼ってくれた幼い日々の息子の姿を、重ねて見ている。憎まれ口しか言わない孫娘にも、深い愛情を抱いている。
そうした愛がすべて裏切られたと、知った時の衝撃は、まさに自分を死に追い込むしかないような耐え難いことだったに違いない。しかし、まだ自分に人のために役立つことができる、と思い至ってからのアニエラの別人のような生き生きとした姿に変わる。二つの大戦を経て、ポーランドの過酷な歴史を見て来たアニエラには、不屈の魂が宿っているのだ。
アニエラは欲深い息子家族を見限ることによって、将来のある子供たちの笑顔と喧噪と活気そして生きる活力を得た。品のない。思いやりのない肥満体の孫よりも、年寄りを大切にする貧しい子供たちという大きな家族を迎える、というか賢い選択をした。立派な決断。
映画の主役は91歳のアニエラと愛犬フィルだが、このフィルが素晴らしい。黒と白のボーダーコリーで、本当にアニエラの飼い犬としか思えない名優ぶり。いやな不動産屋が家に入り込んで来れば、猛然とほえたてて家から追い出すし、電話が鳴っていて足取りの遅いアニエラが間に合わないとわかると、走って行って飛び上って受話器を外すことができる。アニエラが話しかけると、耳を立てて、しっかり聞いてくれる。ベッドからアニエラが話しかけると、体を床に伏せたまま、目をアニエラに向けて、しっぽだけで返事をして振って見せる。アニエラを注意深く見つめて話を聴こうとしているフィルは、主人の飼い犬というよりも人生のすぐれた伴侶だ。犬の良さをすべて兼ね備えたフィルの表情の豊かさ。素晴らしい犬。
映画が始まったばかりの時に アニエラの独白がある。「ああ、いま熱いお茶があったらば、もう他に何も要らないのだけど、、。」という。自分が台所で淹れたお茶は、二階のサンルームに運んできたころには、すっかり冷めて香りもなくなってしまう。誰かがここに居て、アニエラのために熱いお茶を淹れて持ってきてくれたら何にも代えがたい、と自分の孤独を嘆くシーンがある。これが映画の終末のシーンを暗示している。アニエラの屋敷が、貧しい子供たちの音楽教室になってから、一人の男の子が、不注意でアニエラのお気に入りのテイーカップを、落として割ってしまう。この男の子は、アニエラに叱られるのを承知で 別のカップに熱いお茶を淹れてサンルームに持ってくる。ガラス窓を通して安楽椅子に座るアニエラの腕が見える。呼びかけても返事がない。足元にいたフィルがアニエラを眠っていると思って揺り動かす。そしてフィルは何が起こったのかを知る。フィルはガラス窓ごしに、男の子に向かってじっと目を合わせる。その目は何が起こったのか 男の子に伝わった。フィルと男の子とが見つめ合うことろで映画が終わる。
犬の目がすべてを語り告げているところも、感動的だが、それを受け止める無垢な子供のやわらかい心の痛みが表情からしっかりと伝わってくる。これほど優れた終わり方をする映画、他になかったように思う。この最後のシーンだけのために、この映画を観る価値がある。犬をよく知っている人には、号泣ものだ。子供好きの人にも胸をかきむしられることだろう。素晴らしい映画。犬と子供とおばあさんが好きな人には必見の名作だ。
黒白の画面なので、光と影のコントラストが明確で、色彩がないゆえに実際よりも豊な色彩を感じられる美しい映画だ。