「「ばかもの」とは、愚か者ではなく、親愛の情を示す言葉だったのですね。」ばかもの 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
「ばかもの」とは、愚か者ではなく、親愛の情を示す言葉だったのですね。
予告編を見ただけで、こんな愚か者の情けない姿を金を払ってまで見る価値があるのかと日記でコメントしておりました。けれども、映画って実際に見てみないと分からないものですね。
アルコール中毒なって、落ちていく主人公の大学生秀成と、彼を弄んだあげく、捨ててしまった年上の娘額子との関係は、単なる愚か者同士でなくて、お互いを思いやる気持ちを上手く表現できない、不器用なもの同志だったのです。
タイトルの『ばかもの』とは、ラストで額子が親愛の情を込めて、秀成に告げる台詞。いろいろあったふたりの関係が、過去をジョークで語れるほどに、一つに繋がった気持ちが、『ばかもの』に込められていました。映画を見なければ、ずっと本作の『ばかもの』の意味を「愚か者」と思い込んでいたことでしょう。
最後には、ハッピーエンドでこころ温まる終わり方になっている展開として、同じアルコール中毒を扱った『毎日かあさん』よりは、希望が持てることと、心理描写の深さで、見応えがありました。
内田有紀の清純なイメージと違って、額子は小悪魔的な女。セックスに開放的で、知り合ったばかりの秀成をいきなりポルノ映画に誘い、その足で自宅に招いて、童貞を奪ってしまうのです。
若い秀成は、すっかり額子に溺れしまい、毎日がやってやって、やりまくるというセックス三昧の日々を送るのでした。ただベットシーンの描き方は、腰が引けていて、情事を重ねているところは、カットされてしまうところが目立ちました。だからといって、別にポルノ映画まがいにする必要はないと思います。でも、お互いがセックスを通じてしか、こころのつながりを確認する術がなかったふたり。それだけに、体を重ね合う描写に、狂おしいほど相手を求める激しさが映像としては必要ではないでしょうか。
但し、高崎観音(ここの住職とは親しいです。)の真下で、野外セックスするのは、あまりに
額子が秀成を捨てるシーンは、強烈でした。秀成を面白い遊びをしようと誘い、大木にに鎖で巻き付けて、動けなくした上で、ズボンを下ろして、フェラチオをしようとするのです。しかし、額子はそれを途中で止めて、長いキスをすると、唐突に結婚を決めたことを告げます。「遊び以外のなんだっていうんだよ」と言い放ち、下半身を露出したままの秀成をそのまま放置して去っていったのでした。
茫然自失の秀成。
額子によって酒の味を覚えてしまった秀成は、次第に酒浸りとなり、荒んでいきます。大学も卒業して就職したものの、酒に蝕まれた秀成は会社で疎まれ、さらに酒に手を出す悪循環。せっかく友人の紹介で出会った、額子とは違う清楚で真面目な性格の祥子との恋も、酒癖の悪さから、一方的に去られてしまいます。
仕事を休んで部屋で酒を飲み続ける秀成。姉の結婚式では泥酔して暴れ、会社も辞める羽目に。そして、遂には飲酒運転で交通事故を起こしてしまうのでした。
交通事故を契機に秀成はアルコール依存症の治療を受け、苦しみながらも快復していきます。中華料理屋でバイトを始め、新しい一歩も踏み出していきました。
そんなある晩、秀成は額子の愛犬ホシノの導きで、額子の母親と再会します。そこで、そして秀成と別れてから、事故に遭い障害者となってしまった惨い運命を知るのです。
ホシノと秀成の関係は、なかなかユーモラスで、面白かったです。
気づけば、額子と出会ってから10年もの年月が流れていました。気持ちを抑えられない秀成は、額子が住んでいる街へ向かいます。待ち合わせたバス停で佇む額子は、変わり果てた姿だったのです。まるで老婆の如く、髪が白くなり、すっかり老け込んだ姿に変わり果ててしまった額子が変わった訳が、本作の大きなポイントとなります。
左腕を失った額子のために、秀成は風呂で右腕を洗ってやったり、昔のようにいい関係をふたりはとり戻していきます。しかし、帰ろうとする秀成を引き留めた、額子はいつセックスをすればいいのだと、昔のようにあからさまに秀成に迫ります。
しかし、以前強烈な捨てられ方をされた秀成は、また騙されるのが怖くて、額子を拒みます。ここで言い放つ額子の台詞がキョーレツでした。「セックス以外に、どうやって私の気持ちを伝えるのよ」と。
額子は、決して小悪魔な女ではなかったのです。自分の気持ちを素直に伝えるのが苦手な、シャイな小心者だったのです。そして、秀成を本気で愛していました。だから、自分を忘れさせるために、別な結婚相手を決め、別れ際にむごい仕打ちを放ったのです。それだけではありません。額子の母親から、秀成は、額子が白髪に変身した理由を聞かされて嗚咽します。小地蔵も、思わず涙してしまいました。
別れた秀成がアルコール中毒になり、荒んだ生活を送っていると母親から聞かされた額子は、自分の責任を痛感するあまりに、ショックで白髪になってしまったそうなのです。以来ずっと、秀成の行く末を案じていたというのが、意外でした。
本当に人の気持ちって外見からは察することは難しいものですね。本作の場合も、愛する人から害されたという思いが、秀成を苦しめ追い詰めていったわけですが、真実は違ったところにありました。愛憎は、一筋の縄のごとしです。
そんな秀成にバイト先の中華料理店の店主が、娘を貰ってあとを継いでくれないかと持ちかけられます。秀成は、それが引っかかり、額子の元にあまり通わなくなってしまいます。秀成の家族も、額子との交際は反対でした。
さて、ふたりの関係がどうなっていくのかは、劇場でご確認ください。
汚れ役としては、内田有紀は充分に役に体当たりして新境地を開拓していると思います。でもやっぱり凄いのは、アル中になったときの成宮寛貴の演技。童顔の秀成が人が変わったように、きつい顔つきに変わるところは演技の上手さを感じさせました。あと年上の女性に対して甘え上手なところも。あんな甘い顔つきで、じゃれてきたら、きっと母性本能をくすぐられるのでしょうね。
中盤のアル中のシーンが長めで、後半の額子の本当の気持ちがネタバレしていくところが駆け足になってしまった残念ですが、金子監督の巧みな心理描写が堪能できる作品としてお勧めします。また、高崎が舞台になっていて、随所に高崎のシーンが登場します。群馬県民や出身者なら、必見でしょう。
秀成は、母校の高崎文化大学をバカ大学と自嘲しますが、ロケに使われた高崎経済大学は、結構レベルが高い大学だと思います。