「人間の行為とはなんと愚かしいことか」デザートフラワー マスター@だんだんさんの映画レビュー(感想・評価)
人間の行為とはなんと愚かしいことか
たった数頭の家畜と引換えに歳のいった男に嫁に出されることになる少女・ワリス。それを拒み、ワリスは家を逃げ出し家族を捨てる。だが、彼女を待っていたのは広大な砂漠だった。
こういうシーンを見るたび、生きていくことのなんと過酷なことか、そう思ってしまう。生まれたら、余程のアクシデントがない限り成人するのが当たり前の社会では考えられないことが、地球のあちこちで起こっている。生きることに命懸けの体験を伴わずにすむ私たちは、それだけで幸せだ。
少女・ワリスが叔母が住む町に辿り着いただけでも奇跡だ。ましてや、叔母の配慮で家に戻されもせず、叔母の夫のつてでロンドンに渡れたのだから、たとえ片足にしかサンダルを履いていなくてもラッキーというしかない。
路上生活せざるをえない身にもなるが、後に親友となるマリリンと出会う。
マリリンはアパレル系の職に就いているが、ダンサーとして成功するのが夢で片っ端からオーディションを受けていた。
オーディションに落ちてばかりのマリリンだが、ワリスが高名な写真家にスカウトされても、モデルとしてめきめき売れっ子になっても、愚痴もこぼさず自分のことのように喜ぶ。
下宿の管理人といい、ワリスに関わる人達はいい人ばかりだ。
そのせいか、ワリスがモデルとして大成するまでのエピソードは簡略で、その内容も希薄だ。
ワリスを演じたリヤ・ケベデもモデルで、足りない部分を演技で補完するというのも難しかったのだろう。
などと思っていたら、この作品が訴求するテーマはまったく別のところにあった。
話が想像もしない方向に動き出す。単なるサクセスストーリーではなかったのだ。
ワリスの出身地であるソマリアでは、女子に対する割礼(女性器切除(FGM))の習慣があり、ワリスも3歳のとき割礼を受け、そのため肉体的にも精神的にも後遺症があるというのだ。割礼を受けない女は結婚できず、ずさんで不衛生な術技によって命を落とす幼女も多いという。現にワリスの姉も術後に亡くなっている。
結婚まで身を汚さないという男社会が生んだ愚かな習慣だ。
自身の体験を雑誌のインタビューで告白するシーンには、男の私でさえ涙が堪えきれない悲惨なものだ。
排尿や生理による激痛に堪えきれずにワリスは大きな病院に運ばれる。そのワリスのもとに、通訳として地元出身の若い男性医師が呼ばれた。
だが、この医師は、主治医の処置に関する説明を通訳せず、母国語でワリスを激しく罵倒するのだ。「白人の前で股を開いたのか」「恥知らずが」「親が泣く」と。
仮にも英国に渡り、先進国の文化に触れ、高度な教養を身につけ、医者にまでなった者でさえこれなのだ。なんと愚かしいことか。
ワリスは、勇気ある告白を機に国連大使として世界のFGM廃止を訴える運動に力を注いでいる。