僕の大切な人と、そのクソガキのレビュー・感想・評価
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ラストシーンが出色の出来
あらすじ
離婚した冴えないおっさんのジョンは元妻のホームパーティでモリーという女性と出会う。お互い惹かれ合うがモリーにはサイラスという大きな息子(20歳ちょいくらい?)がいた。実はこいつが厄介者。表面的は二人の幸せを願うが本音では母親を取られたくなく、二人を引き離そうとする。このままじゃいけないのだがモリーは息子を疑うことができない。そして闘うジョン。終盤は冴えないが自立した大人(ジョン)と自立できないでいる子ども(サイラス)の衝突。映画では触れられないがジョンはある意味本当のサイラスの父親になったのではないかと思う。
この衝突は大人が子どもに対する責任を曲がりなりにも果たす機会にもなっていた。だから最後の衝突の時もジョンはサイラスを突っぱねてオシマイということはしなかった。
ラストの笑顔がこの映画を雄弁に語る
90分間の映画のラストでジョンが車の運転席から見せる最高の笑顔、これがこの映画そのものだと思う。後述するがこの笑顔には①サイラスの成長、②モリーの子育てへの不安(息子が自立できない)の解消、③ジョンとモリーの二人の幸せの3点への祝福が込められているようだった。これをやってのけたジョンは冴えないけど実にカッコいい大人だ。
しかしたった90分間で観る人にあの笑顔を納得させる脚本、演出は神業だと思う。映画つくる人って本当にすごいわ。。。
前半の仕込みではサイラスの不気味さがじわじわ来る。不健康なデブが醸し出す「危うさ」が非常に有効活用されている(笑)。観ていて「コイツ不安定やな~」ってのがわかりやすくて良い。わかりやすさは大事だ。
コメディらしいシーンはそんなにないが、とっさのウソで大爆笑
ジョンがサイラスと初めて激突するとき、ジョンがとっさに「俺もパニック障害だった」と嘘をつくシーンがある。これはジョンと二人きりなら本性を表すサイラスがモリーの前ではあくまで良い子という特徴を使ってハメるためのとっさのウソだった。
よく観れば嘘ついてることは分かるのだが、対決の緊張感と冴えない男が繰り出すギリギリばれそうな嘘の絶妙なバランスが面白く、これには大爆笑してしまった。
サイラスについて:母親の愛情を操作し自分を守る子ども
本作でサイラスが取る手段はすべて素朴だ。彼に洗練された手ごわさというものはまったくない。しかしそれでもジョンにとっては強敵である。なぜならサイラスは「最愛の息子」という最強の武器を使ってモリーからの愛情を死守しようとするからだ。つまりこいつは大きな赤ちゃんなのだ。
この映画を観ていると「こんなあまっちょろいガキに苦労人のジョンが負けてたまるか!」と、いつの間にかジョンに感情移入してしまうが、この視点からするとサイラスはタイトルの通り本当に『クソガキ』なのである。
なおサイラスが「この程度でしかない」というのにはリアリティがある。なぜならサイラスは他者と本音でぶつかったことがない。息子に弱い母親の愛情を操作していつも守られてきた。だから実力なんか不要で息子という立場さえあればよかった。序盤でサイラスがジョンに自分の楽曲を演奏して見せるシーンがある。でも楽曲は全然イケてない(ジョンも聴かせられながら戸惑っている)。そんなところにでも「こいつ実力は大したことないよ」という前振りしてあったと思う。
寝室の外からカンペでジョンを攻撃するシーンなんてコメディだから自然に笑えるが、必要な能力としては小学生レベルでサイラスのキャラクターをよく反映した行動だと思う。
そんなクソガキサイラスをそのまんまにしない
この映画の楽しさはサイラスをそんなクソガキのままにしておかないことだ。サイラスが人として未熟なのは母親モリーにとっても大変な問題である。これを放置してジョンとモリーの幸せはあり得ない。モリーはその点できちんとした愛情を持つ母親なのである。この映画ではモリーにはサイラスが今のままで本当にいいのだろうか悩ませるし、サイラスはジョンとの激突を通じてどうにか自立した大人になろうともがかせる。ダメな奴がそのまんまダメなままなのではなく、現実にぶつかって、もがいて変身していく。「ヒューマン」コメディたる所以である。
最高のラストシーンについて
この映画の最後でジョンを幸せに導くのはサイラスだ。つまり彼は母親モリーをジョンに渡すのである。このときサイラスは初めてジョンを「ハメる」。ジョンは騙される。あのコドモダマシしかできなかったサイラスが、である。
これが何を示すのか。ラストの笑顔は①サイラスの成長、②モリーの子育てへの不安の解消、③ジョンとモリーの大人の幸せを祝福していると先に述べた。
サイラスは自分の安心よりも母親の幸せを優先できるまでに自立を遂げて成長した。彼がクソガキだったのはこれまでジョンのように自立した大人との衝突がなかっただけなのだろう。それができた。そしてモリーは精一杯サイラスを育てきたが、それでもやはり「こうでよかったのかしら」と不安が付きまとっていた。それはそうだろう。サイラスが大人になっても自立しないのだから。しかし最後のサイラスはそれを払拭した(もしくは近いうちに払拭する。自立した生活を示すことで)。そして二人の愛に障害がなくなったジョンとモリーの幸せ。このすべての解決を示すラストの完璧な笑顔。これを映像で示すための90分間だったのだと思う。すばらしい映画だ。
パーティ開いてください・・・
元妻ジェイミーはキャサリン・キーナー。日本でいうと、YOUのような雰囲気。捨てた夫でも気になるらしく、パーティで出会いを提供するのだ。オープニングのシーンは、部屋に閉じこもってるジョンがオナニーしていると思い、部屋から逃げ出すジェイミー。このシーンだけで掴みはOKだ(笑)。
パーティの後、いきなりセックスまでした2人。次の日もセックスだ。脈ありなんだけど、なぜか夜中に帰ってしまうモリー(トメイ)。彼女には21歳になる、親離れしていないサイラス(ヒル)がいたからだ。
内容はタイトルから推し量られるべく、わかりきったモノだが、サイラスの風変わりな性格が面白い。自宅にこもって音楽を作るのが趣味(あ、俺と同じか・・・)。ジョンの登場には最初は好意的だったが、徐々に母親を独占されるのに怒り始めたって感じか?
それでもモリーと一緒にシャワーを浴びたり、ジョンが泊まるときでも、嘘のパニック症を起こして一緒に寝たり・・・そして、ジョンが靴を盗まれたことがきっかけでサイラスの嘘が次第に心の中に広まってくるのだ。まぁ、最後は男同士語り合って若いする。
ジョンの仕事はフリーランスで映画の編集なんかをしている。音楽にも興味あるんだろうし、最初にサイラスの音楽に共感していたら問題なかったのかもしれない・・・
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