赤毛のアン グリーンゲーブルズへの道のレビュー・感想・評価
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孤児のアンがグリーンゲーブルズのアンになるその時を、アンと共に見届けましょう。心理描写・風景描写・登場人物の何気ない仕草、それら全てが緻密に描かれた名作です。
1979年にTV放送された「赤毛のアン」の劇場版です。
TVシリーズ1話~6話 を高畑監督が編集し、孤児院から
やってきたアンがグリーンゲーブルスのアンになるまでを
描いたお話です。
TVシリーズは全話鑑賞済み。DVDも持ってます。
この劇場版の存在は知っていましたが未鑑賞。 ・△・;;
今回の劇場公開を知り、大きなスクリーンで観てみたくなり
鑑賞してきました。・_・
さあ鑑賞。 …の前に。あら
世界名作劇場について。 ・-・ ちょっとだけ
赤毛のアンは、世界名作劇場 の5番目の作品です。
(※「アルプスの少女ハイジ (1974年)」も
シリーズに含めたい所なのですが…)
1作目 1975年 フランダースの犬 哀しいけれど好き
2作目 1976年 母をたずねて三千里 アメディオ可愛い
3作目 1977年 あらいぐまラスカル 余り観た記憶が…
4作目 1978年 ペリーヌ物語 最後に報われます
初期の作品には名作が揃ってますね。ホント。そして
5作目 1979年 赤毛のアン
監督 高畑勲
原作 ルーシー・M・モンゴメリ
脚本 高畑勲 他数名 ( …端折ってゴメンなさい +_+ )
場面設定 宮崎駿
場面構成 宮崎駿
作画監督 近藤喜文
キャラデザ 近藤喜文
後のジブリ主力となるそうそうたる顔ぶれです。 ※あ モンゴメリ除く
特に、近藤喜文さんの描くキャラクターが好き。
40代での早世が本当に惜しまれます。うー。 ・△・;;
当時の世界名作劇場は、1月から12月まで1年がかりの放送でした。
今の作品が1クール(四半期)単位での放送が多いのに対し、
当時は1つの作品を1年かけてじっくりと作ることができたということ
です。 なので、流れる時間も ” ゆったり ” とした感じがします。
場面設定などで赤毛のアンに参加していた宮崎駿さん。
エンターテイメント作品が好きな方ですよね。
赤毛のアンの前には「未来少年コナン」の制作に加わってました。
この作品は、牧歌的生活感と近未来SFが融合したような作品で
ヒロインのラナは宮崎監督が好みそうな美少女です ♡
で、「赤毛のアン」 なのですが、エンタメ性があるかと言われると…。
うーん。そもそもそういうジャンルの作品では無い訳なので…。
というわけで
宮崎監督、赤毛のアンのスタッフを抜けて他の作品に参加して
しまいます。その作品が「劇場版 ルパン三世 カリオストロの城」。
うん。これは誰が観てもエンタメ作品です。
ヒロインのクラリスは宮崎監督が好みそうな美少女です ♡ ♡
で、高畑監督。赤毛のアンに力を注ぎます。
当時の暮らしぶりを、可能な限り調べては詳しく描写することへの
こだわりは、高畑監督の真骨頂と言っても良いかと。 ・-・
動と静。
陽と陰。…いや 陰ではなく「影」かも
大胆さと緻密さ。
振り返ってみると、高畑監督、宮崎監督ともに、自分の好きな
作品に取り掛かれて良かったということなのかと思います。
はい、鑑賞終了。良かった♡
TVシリーズの1話~6話がベースになってます。
高畑監督が自ら再編集しているとのことで、カットされた場面もある
ハズなのですが、展開がとてもスムーズ。カットされた事で、前後の
繋がりが不自然に感じた場面は、全くありませんでした。
アン、マシュウ、マリラ。
3人がグリーンゲーブルズで暮らし始めるまでの、心の動きがとても
細やかに描かれた作品です。レビュータイトルにも書いた通りに
「孤児のアンがグリーンゲーブルズのアンになるその時を、アンと
共に見届けましょう。心理描写・風景描写・登場人物の何気ない
仕草、それら全てが緻密に描かれた名作です」
この劇場版の続きが気になった方、TVシリーズの続きの話を
ぜひご覧になって下さい。
赤毛のアンの世界を堪能できると思います。
◇マシュウ
無口で温厚なマシュウ
マリラの操る馬車がグリーンゲーブルズを離れていく場面。
後ろを振り向いて別れを口にするアン。
” さようなら ”
哀しい惜別の言葉。
思わず馬車の後を追うように足を踏み出すマシュウ。
2歩、3歩と。
胸を切り裂かれるような、切ない場面。
やがて戻ってきた馬車。
アンが乗っているのに気がつくと、何事も無かったかのように
いそいそと畑仕事に戻っていこうとするマシュウ。
マシュウさん 皆 知ってますよ。
馬車が二人を乗せて帰ってくることを祈りながら
馬車が帰ってくる方向を、何度も見にきては戻っていく。
夕方マリラの馬車が戻ってくるまで何度もそれを繰り返し
畑仕事も牛の乳しぼりも、その日の仕事が何もかも
全く手に付かなかったことを。
” わしらの方が、あの子の役に立てるかもしれんよ ”
グリーンゲーブルズのお話の始まりです。
◇最後に
畑で種蒔きをしているマシュウを見つけ駆け出すアン。
小石につまずき、マシュウに飛びつくように抱きつく。
” 私、グリーン ゲーブルズにいられるようになったの! ”
満面の笑顔。そして流れ始めるエンドロール。
なんと幸福感に満ち溢れたエンディングであることか。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
アニメーションのオーパーツ物
当方、テレビシリーズを放送当時から毎週ワクワクしながら見てきた者として、幻の再編集版がついに映画館で上映されるとのアナウンスがあった当初からずっと楽しみに、初日の初回上映を観てきました。
テレビシリーズの1話から6話までを100分に編集したとなっておりましたが、テレビ版をほぼ全編ベタで流しているのではないか?と思えるくらいでストーリー的にも演出的にも違和感がありませんでした。
唯一、アンがグリーンゲーブルズの桜の木とゼラニウムに名前を付けるシーンがカットされているのに、グリーンゲーブルズを離れる場面で馬車の上からその名前を叫ぶシーンがありまして、初見の人は何に向かって叫んでるかわからないだろうなあ〜と思いましたが(というか、初見の人なんているのか?と思いながら見ておりましたが)、グリーンゲーブルズに戻れるようになってから「雪の女王様(桜の木の名前)、ボニー(ゼラニウムの名前)、これからもよろしくね〜」というアンの歓喜の叫びできちんと伏線回収してくるあたり、うまく時短編集しているなあと思いました。
というか、驚くべきは映像!!
当時13インチのテレビ画面で観ていたものを劇場の大画面で見ても、否、劇場の大画面で見るからこそ情報量が多く、なによりグリーンゲーブルズの自然が、人々が本当に美しい!
アンがアップでゆっくり振り向いていくシーンなどもシレッと表現しておりましたが、実は当時のアニメーション技術として物凄いことをやっていたというのが今だからこそわかりまして、驚愕するとともに大画面で観る価値が十分にありました。
とは言え、当たり前ながら画面サイズは4:3ですし、音響はモノラルですし、IMAXで見慣れてる現在の視聴環境からすると最初は違和感がありましたが、そんな些細なことはすぐに忘れさせられまして。やっぱり大切なのは作品の質じゃん!と思いました。
そんなんでこの作品、あの時代のアニメのクオリティとしては映像もストーリーデリングも全てがオーパーツものです。
短い上映期間ですが、気になる方は是非ともお見逃しのないようオススメいたします。
観客皆んながアンに魔法をかけられる、滋味に富む一本。
1979年放送のテレビアニメ『赤毛のアン』を、劇場公開用に再編集した作品。
男の子の養子を貰い受けようと思ったカスバート兄妹だったが、孤児院から送られてきたのは11歳の女の子アン・シャーリーだった。
カスバート兄妹の暮らすグリーンゲーブルズに胸躍らせるアンの心境と、カスバート兄妹との交流を描いたハートフル・アニメ。
監督/脚本/絵コンテを担当したのは『火垂るの墓』『平成狸合戦ぽんぽこ』の、日本アニメ界のレジェンド高畑勲。
場面設定/画面構成を担当したのは『となりのトトロ』『千と千尋の神隠し』の、言わずと知れたレジェンドである宮崎駿。
本作は1989年には完成していたが、諸事情により劇場公開出来なかった作品であるらしい。完成から20年の時を経て公開された不屈の作品である。
全50話のテレビアニメの第1〜6話を纏めた作品であるため、特別なドラマが展開されるわけではない。序破急の序だけを観ている感じがする、というか正にその通りの作品。
じゃあ、映画としてつまらないのか、と言われると決してそんなことは無い。
テレビの総集編とは思えない程纏りのよい物語となっており、地味な物語ながら観客の心を惹きつけるチャームを持った作品となっている。
本作の魅力は何かと問われれば、やはりアン・シャーリーというキャラクター造詣にあると答えなければならない。
アンは空想好きでおしゃべり、自然を愛する、自分の見た目にコンプレックスを持つ、孤児院育ち、という後のジブリ作品のヒロインが持つ特性を全て兼ね備えている。
マリラおばさんに自分の名前を教えた時に、Eのついた「ANNE」の発音で自分を呼んで欲しいという件がある。
DVD特典の監督インタビューで、ここに表されるアンの感受性について高畑勲が大いに興奮しながら解説していたが、たしかにこのキャラクター描写は素晴らしい。
アンは言語を操る時に、音声と文字を結びつけることができる感性を持っており、この感性は日本語を操る我々には自然に備わっている云々、という高畑勲の言語論は非常に面白いので、特典映像のチェックはマストである。
このアンのおしゃべりが面白い😆
止まることを知らないマシンガントークと、お花畑な頭の中に初めのうちは鬱陶しさを感じるが、アンの仕草の愛らしさもあり段々と愛着が湧いて来る。
マリラおばさんの言うように、観客もアンに魔法をかけられるのである。
アンのポジティブなシンキングは、この暗いご時世にズシンと響く。
「これから発見することがあるなんてステキだもの。もし何もかも知ってたら、きっとつまらないわ。だって想像することがなくなっちゃうでしょ。」
「こんな朝には、もう世界が好きで堪らないって気がするでしょう?」
「朝はどんな朝だって面白いわね。その日のうちにどんな事が起こるのか分からないので、想像の余地がふんだんにあるんだもの。」
「楽しもうと決心すれば、たいていいつでも楽しくできるものよ。」
書いているだけで目頭が熱くなるような、世界に対しての圧倒的な肯定感。過酷な環境で育ったアンが放つ言葉だからこそ、観客は胸を打たれるのだろう。
この少女の物の見方から学ぶことは多い。
高畑勲の懐刀、近藤喜文の手がけたキャラクター・デザインも秀逸。
アンの容姿は、明らかに当時の美少女キャラクターとは一線を画す。『機動戦士ガンダム』のセイラさんや『ヤッターマン』のアイちゃん、『キャンディ・キャンディ』のキャンディなど、当時は金髪でハデな顔をした美少女がトレンドだったのだろうが、それらとは対照的な、赤毛でそばかす顔のアンのルックスには不思議と目を惹きつけられる。
流行りに乗っかっただけの美少女キャラにしなかったことにより、時代に左右されることのない魅力的なキャラクターとなったのだろう。
ちなみに、宮崎駿はアンのことが嫌いだったらしく、シリーズの途中で降板している。そして作ったアニメが『カリオストロの城』。物静かで可憐な顔をしたクラリスは確かにアンとは真逆。よっぽどアンを描くことに鬱憤が溜まっていたのだろうか。宮崎駿らしいといえばらしい。
お話は恐ろしいほどに地味。しかし、確かに心に響く強い力を持ったアニメーションであり、今の子供にも見せるべき素晴らしい作品である。
自分はテレビシリーズの『赤毛のアン』は鑑賞していないが、そちらも観てみたくなるほどの出色の出来。
細田守監督が選ぶ、ベスト高畑勲アニメが『赤毛のアン』だとインタビューで言っていたが、なる程納得である。
原作の第1巻は1908年の作品であり、なんと今から100年以上前!
それでも、なんとなくとはいえ読んだことがあると言う人も多いのではないだろうか。自分も1巻だけは読んだことあったし。
かなり原作の雰囲気を再現しているようで、昔読んでいた記憶が蘇ってきた。かつての読書体験のノスタルジーに浸りたい人にもオススメ😁
寝ちゃったけど、やっぱ何度見ても良い。
高畑勲監督の追悼上映なのかな?アニメの編集版ですが見てきました。出町座です。アンを見るならイチゴ水を飲みながらよねってことで、併設のカフェでイチゴソーダを買いました。
えーこの日は映画3本見たのでね、疲れてましてね。
マリラがアンを連れてスペンサー夫人の家に行って帰って来るまでの部分、だいたい寝てました。てへ。
きもちよーくお昼寝しちゃいました。
でもまぁアニメ見てるし、小説も読み直しているし、いいんです。
悲しいかな、70年代のアニメなので画角が小さいのよ、デジタルリマスターでも。それがさみしかったです。
寝ておいてなんですが、なんで私はこんなに「赤毛のアン」に惹かれるのでしょう。村岡花子訳に飽き足らず松本侑子訳でも読み始めてるし、おんなじところでなくし、切なくなるし、嬉しくなるし。
なんでしょうね、清らかで、現実から遠いものにそっと癒されているのかなぁ。
オープニングが好きです。物語中でもアンの空想の描写に切なさを感じます。ゾクゾクっとするんではないですね(ごめんねアン)。目の奥が潤むんです。かつての自分の世界だったからかなぁ。
世界名作劇場はリアルタイムで観てなくて、小説も子供時代にはなぜか縁がなくて、どちらも30代を迎えてから知って、好きになりました。それから数年たってますが何度も読み返しています。
アンが手違いでクスバート家にやってきて、クスバート家で引き取られることが決まるまでを編集しているので、ダイアナもギルバートも出てきません。
グリーンゲイブルズが我が家になったことを知ってから、アンが歓びを噴出させながら風景にひたるシーンがクライマックスですね。いや、マシュウに「そうさな、これからはグリーンゲイブルズのアンだよ」みたいなことを言われてマシュウに抱きつくところかなぁ。何度見てもいいシーンだ。
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