赤毛のアン グリーンゲーブルズへの道のレビュー・感想・評価
全2件を表示
観客皆んながアンに魔法をかけられる、滋味に富む一本。
1979年放送のテレビアニメ『赤毛のアン』を、劇場公開用に再編集した作品。
男の子の養子を貰い受けようと思ったカスバート兄妹だったが、孤児院から送られてきたのは11歳の女の子アン・シャーリーだった。
カスバート兄妹の暮らすグリーンゲーブルズに胸躍らせるアンの心境と、カスバート兄妹との交流を描いたハートフル・アニメ。
監督/脚本/絵コンテを担当したのは『火垂るの墓』『平成狸合戦ぽんぽこ』の、日本アニメ界のレジェンド高畑勲。
場面設定/画面構成を担当したのは『となりのトトロ』『千と千尋の神隠し』の、言わずと知れたレジェンドである宮崎駿。
本作は1989年には完成していたが、諸事情により劇場公開出来なかった作品であるらしい。完成から20年の時を経て公開された不屈の作品である。
全50話のテレビアニメの第1〜6話を纏めた作品であるため、特別なドラマが展開されるわけではない。序破急の序だけを観ている感じがする、というか正にその通りの作品。
じゃあ、映画としてつまらないのか、と言われると決してそんなことは無い。
テレビの総集編とは思えない程纏りのよい物語となっており、地味な物語ながら観客の心を惹きつけるチャームを持った作品となっている。
本作の魅力は何かと問われれば、やはりアン・シャーリーというキャラクター造詣にあると答えなければならない。
アンは空想好きでおしゃべり、自然を愛する、自分の見た目にコンプレックスを持つ、孤児院育ち、という後のジブリ作品のヒロインが持つ特性を全て兼ね備えている。
マリラおばさんに自分の名前を教えた時に、Eのついた「ANNE」の発音で自分を呼んで欲しいという件がある。
DVD特典の監督インタビューで、ここに表されるアンの感受性について高畑勲が大いに興奮しながら解説していたが、たしかにこのキャラクター描写は素晴らしい。
アンは言語を操る時に、音声と文字を結びつけることができる感性を持っており、この感性は日本語を操る我々には自然に備わっている云々、という高畑勲の言語論は非常に面白いので、特典映像のチェックはマストである。
このアンのおしゃべりが面白い😆
止まることを知らないマシンガントークと、お花畑な頭の中に初めのうちは鬱陶しさを感じるが、アンの仕草の愛らしさもあり段々と愛着が湧いて来る。
マリラおばさんの言うように、観客もアンに魔法をかけられるのである。
アンのポジティブなシンキングは、この暗いご時世にズシンと響く。
「これから発見することがあるなんてステキだもの。もし何もかも知ってたら、きっとつまらないわ。だって想像することがなくなっちゃうでしょ。」
「こんな朝には、もう世界が好きで堪らないって気がするでしょう?」
「朝はどんな朝だって面白いわね。その日のうちにどんな事が起こるのか分からないので、想像の余地がふんだんにあるんだもの。」
「楽しもうと決心すれば、たいていいつでも楽しくできるものよ。」
書いているだけで目頭が熱くなるような、世界に対しての圧倒的な肯定感。過酷な環境で育ったアンが放つ言葉だからこそ、観客は胸を打たれるのだろう。
この少女の物の見方から学ぶことは多い。
高畑勲の懐刀、近藤喜文の手がけたキャラクター・デザインも秀逸。
アンの容姿は、明らかに当時の美少女キャラクターとは一線を画す。『機動戦士ガンダム』のセイラさんや『ヤッターマン』のアイちゃん、『キャンディ・キャンディ』のキャンディなど、当時は金髪でハデな顔をした美少女がトレンドだったのだろうが、それらとは対照的な、赤毛でそばかす顔のアンのルックスには不思議と目を惹きつけられる。
流行りに乗っかっただけの美少女キャラにしなかったことにより、時代に左右されることのない魅力的なキャラクターとなったのだろう。
ちなみに、宮崎駿はアンのことが嫌いだったらしく、シリーズの途中で降板している。そして作ったアニメが『カリオストロの城』。物静かで可憐な顔をしたクラリスは確かにアンとは真逆。よっぽどアンを描くことに鬱憤が溜まっていたのだろうか。宮崎駿らしいといえばらしい。
お話は恐ろしいほどに地味。しかし、確かに心に響く強い力を持ったアニメーションであり、今の子供にも見せるべき素晴らしい作品である。
自分はテレビシリーズの『赤毛のアン』は鑑賞していないが、そちらも観てみたくなるほどの出色の出来。
細田守監督が選ぶ、ベスト高畑勲アニメが『赤毛のアン』だとインタビューで言っていたが、なる程納得である。
原作の第1巻は1908年の作品であり、なんと今から100年以上前!
それでも、なんとなくとはいえ読んだことがあると言う人も多いのではないだろうか。自分も1巻だけは読んだことあったし。
かなり原作の雰囲気を再現しているようで、昔読んでいた記憶が蘇ってきた。かつての読書体験のノスタルジーに浸りたい人にもオススメ😁
寝ちゃったけど、やっぱ何度見ても良い。
高畑勲監督の追悼上映なのかな?アニメの編集版ですが見てきました。出町座です。アンを見るならイチゴ水を飲みながらよねってことで、併設のカフェでイチゴソーダを買いました。
えーこの日は映画3本見たのでね、疲れてましてね。
マリラがアンを連れてスペンサー夫人の家に行って帰って来るまでの部分、だいたい寝てました。てへ。
きもちよーくお昼寝しちゃいました。
でもまぁアニメ見てるし、小説も読み直しているし、いいんです。
悲しいかな、70年代のアニメなので画角が小さいのよ、デジタルリマスターでも。それがさみしかったです。
寝ておいてなんですが、なんで私はこんなに「赤毛のアン」に惹かれるのでしょう。村岡花子訳に飽き足らず松本侑子訳でも読み始めてるし、おんなじところでなくし、切なくなるし、嬉しくなるし。
なんでしょうね、清らかで、現実から遠いものにそっと癒されているのかなぁ。
オープニングが好きです。物語中でもアンの空想の描写に切なさを感じます。ゾクゾクっとするんではないですね(ごめんねアン)。目の奥が潤むんです。かつての自分の世界だったからかなぁ。
世界名作劇場はリアルタイムで観てなくて、小説も子供時代にはなぜか縁がなくて、どちらも30代を迎えてから知って、好きになりました。それから数年たってますが何度も読み返しています。
アンが手違いでクスバート家にやってきて、クスバート家で引き取られることが決まるまでを編集しているので、ダイアナもギルバートも出てきません。
グリーンゲイブルズが我が家になったことを知ってから、アンが歓びを噴出させながら風景にひたるシーンがクライマックスですね。いや、マシュウに「そうさな、これからはグリーンゲイブルズのアンだよ」みたいなことを言われてマシュウに抱きつくところかなぁ。何度見てもいいシーンだ。
全2件を表示