瞬 またたきのレビュー・感想・評価
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観た人に何を伝えたいのか分からない
終始ただただ事故で無くした彼の、事故の時の記憶を思い出したい彼女のストーリー。
事故したあと、彼が重症なのに、それより取れた指を探しに行くとか引っ付けようとするとか意味不明。まず彼の身体心配するでしょ。電話が先じゃない?携帯電話持ってないの?叫んで助けて呼ぶ方が大事じゃない?
淡々と静かな北川景子の小さな声と、感情の少ないシーン多めで、事故のショックが大きいのは分かりますが、それに大部分の時間を割きすぎです。もう少しストーリーのテンポも良く、感情ももう少し緩急つけた演技が欲しかった。
要らない要素、シーンが多くて、もっと描いて欲しい部分が無い。
せっかくの感動的な投入曲が流れても、感情移入できず心置いてきぼり、陳腐に聞こえてしまう。
ジャコ・パストリアス知ってるか?
「ジャコ・パストリアス知ってるか?」と不気味な入院患者のおっさんが泉美に声をかける。死に急いだミュージシャンは数多くいるが、なぜジャコパスなんだ?ピンククラウドで活躍する還暦ドラマーなのに。彼がずっと出てくれたらもっと評価も高くなったかも・・・
なぜそんなに事故の悲惨さを思い出したがる?ということが気になってストーリーにのめり込めない。それに大塚寧々の棒読み調の台詞がずっと気になって・・・それがなんだ!背骨が後ろからぶつかって折れていたとか、ホラーとかサスペンスの展開になるかと思っていたのに、あのオチは・・・
曲芸師じゃあるまいし、トラックにぶつかると感じて咄嗟に後ろ向きになって彼女をかばうなんて。まぁ、そんなことはどうでもいい。結局は彼の愛の大きさを思い出したかったんだろ。そのためには、切断された3本の指を探して繋げようとしたとか、大量の出血をハンカチで止めようとしたとか、そんな凄惨なシーンも思い出さなくちゃなんないんだぞ!思い出したおかげで後追い自殺の可能性が高まることだってあるのにさ・・・菅井きんに黄泉の国につながる坂を教えてもらわなかったら、「泉美は生きている」という言葉も聞けなかったかもしれないんだし。やばいよ。
さよなら、じゃなくて…
当時付き合っていた彼と主人公の彼が同じ名前でした。
この映画での事故の真相を知った時、私の彼は同じ状況にあったら、絶対同じ事をする!と言ってましたが…
ラストで北川景子演じる泉が亡くなった相手に会えるかもしれないと言われている坂で、最後に彼が言い残した言葉を思い出します。「泉、生きてる?」、と。
命をかけて自分を守ってくれた事がはっきりとわかり
「さようなら」と告げるけど…
それは、決別の意味の「さようなら」じゃないのはわかるけど勘違いする人もいるので「もう大丈夫だよ!心配しないでね。貴方がくれた命だから。あなたの分まで強く生きていくよ。」とかの方がわかりやすかったかも。
真面目な話も笑われたら終わり
恋人とのツーリング中の事故により記憶を無くした女性が、そのトラウマを払拭する為に真相を探る。
どうしてもその瞬間の記憶を思い出したい女性には北川景子。
映画のクライマックスでは、遂にその真相が明らかになる。
それまでに何故か口を噤む父親や、直ぐに怒り出す兄等の描写が描かれ。更に、弁護士役の大塚寧々が調べを進めて行くと、奇妙な事実が…「これは絶対にきっと何か在るぞ!」と、思わせる。
が…しかし。真相が明らかになった瞬間に「んな阿呆な!」マジかよ!…と真剣に画面に突っ込んだぞ!「おい景子、それよりももっと大事な事が有るだろ」…と思い。最後にはもうゲラゲラと爆笑してしまったわ。
反則的な笑わせ方だよ、もう。
それまではなかなか良かったんですけどね。
いや!嫌いじゃ無いけど、ネタとしてでかすぎたわ!笑われたら駄目でしょ。
記憶を思い出す為の仕組みとして、過去に在った出来事と似た状況に至った瞬間に、徐々に思い出して行く。
映画は弁護士役の大塚寧々にも、主人公の北川景子同様に、過去のトラウマを抱える女性として対比させる手法を取っているが、正直かなり強引とも思えた。
主役の北川景子は可愛いんだが、セリフ廻しが一本調子なのがちょっと…。
対象的に大塚寧々は、観ていても安心出来る位に相変わらず巧い。
他では、脇役として徳井優がワンシーンながら印象に残る演技。そして、映画の最後には黄泉の国の伝説を教えてくれる、あの人が登場。流石に巧い。
(2010年6月20日TOHOシネマズ錦糸町No.5スクリーン)
甘えは、許さない
「がんばっていきまっしょい」で知られる磯村一路監督が、北川景子、岡田将生を主演に迎えて描く、人間ドラマ。
一冊の重厚な哲学書を読破したときの、張り詰めた空気を一気に吐き出す開放感を思い出す。原作そのものが持っている性格が影響しているのだろうが、それ以上に本作の監督、磯村一路の物語に対する姿勢が強烈に発揮されている部分が大きい。
「がんばっていきまっしょい」や「解夏」など、これまで磯村が手掛けてきた作品に対して、どうしても抵抗を感じてしまう。それは、常に登場人物に対して突き放した態度を貫き、硬い、冷たい感情を剥き出しにした視線を終始、意識してしまうところにある。
中途半端に感情を誤魔化さず、非情なまでに説明口調、感情を抑えつけた台詞を畳みかけ、観客が一息つけるような遊びを一切許さない。徹底的に堅苦しい要素を並べ立て、逃げる甘えを許さない。だから、息が出来なくなる。目を背けたくなる。
ただ、本作の場合はその非情な視線が効果的に発揮されている。空白の10分間、恋人がその命を落とすまでに自らが失った記憶は、何か。その一点に辿りつくまでに、無用なまでに生々しい描写や自問自答を重ね、真実へ突き進む。その硬質な世界は、取り戻すことになる記憶の意味、想い、悲しさを観客に突きつける。痛い、苦しい、でも、その冷たさが、この物語には必要だった。
終盤、切断された恋人の指を拾う主人公の描写がある。そんなに繰り返さなくても良いのに、何度も飛び散った指を見つめるカメラ。見なくても話は分かる。でも、甘えを許さない視線はそこをいやらしく描き、突き詰め、観客に真実の温度を伝える。目を背けたい・・けれど、知らなくてはいけない。
中途半端な嘘に、感動も、ましてや心に残るものなんて無いから。
単純に恋愛物語とは語れない痛々しさをもった本作。それでも、じっくりとこの物語に寄り添い、人間の難しさ、弱さ、そして愛しさを心から味わって欲しい。
一瞬でも逢いたい。
原作は知らないが、内容は少し分かってから観に行った。
その前に読んだレビューでかなり評価が割れているな^^;と
思いながら、実際に自分がどう感じるかと思っていたのだが。。
これ、この作品。その内容が泣ける泣けない以前に、自分が
例えば大切な人を亡くした経験があるかどうか。そしてまた、
その相手の家族との関わりや第三者との触れ合いがあったか
どうか(つまりそういうことを考慮するとある程度の年齢?の人
が確率的に高いことになるが^^;)が感想に反映する気がした。
どうしてそんなことを思ったのかというと、実は過去の自分の
経験とかなりかぶる部分があったからなのである。
かなり以前に大切な人を亡くした。
相手の家族との関わりもあった。
周囲の多くの人の励ましや慰めやアドバイスを経験した。
今回の映画とは立場も設定も違うながら、おそらく多くの遺族が
経験した喪失感や不安、哀しみ、孤独感、それらを覚えている。
どんなに哀しんでも亡くなった人は帰ってこない。
それが分かっていながら、この彼女が記憶に蓋をしているのは、
まだ信じたくないという気持に他ならない。
それを思いだし、認めてしまえば、あとはサヨナラするしかない。
ここでいうサヨナラというのは、相手を忘れ去ることではない。
ちょうど映画館を出たところで、私の後ろにいた女の子二人が、
「なにあのラスト、サヨナラってワケ分かんないよね。」と言った。
あーそうか。そんな風にこの子たちには思えたのか^^;と。
私にはすんなりとあの言葉の意味が理解できた。彼の望みを
自身が把握し、前を向いて、彼の分までもしっかり生きるという
決意のサヨナラである。彼には自分がそこへ行くまで、どうぞ
安心していて欲しい。もう大丈夫だよ。という宣誓なのである。
自身の経験談ばかりでおこがましいが^^;
どこかで自分の気持ちに区切りをつけなきゃいけない時がある。
生きるということは、本来そういうことだから。
辛い経験は確かにあったが、それを上回る幸せを私はもらった。
だからまた、前を向いて普通に生活していけるのだ。
恨んだり、悔やんだり、周囲の人を傷つけている場合ではない。
偶然知り合った弁護士の女性(大塚寧々)の力を借り、自身の
記憶と向き合う努力をする主人公。反発していた弁護士も、
自分の抱える妹へのトラウマが彼女によって溶かれていく。
ご都合主義と思われるこの展開も、実際にあり得ることだ。
そして…相手の母親の存在。永島暎子はさすがの演技。
普通なら恨まれても仕方ないだろう母親からかけられた言葉。
手渡された手ぬぐい(織物)には彼の大好きな柄が入っていた。
これには「うちの息子を愛してくれてありがとう。」と
「どうかいつまでも息子のことを忘れないでね。」が入っている、
と思ったとたんにボロボロと涙がこぼれた。義母を思い出した。
私など、彼女の苦しみの百万分の一にしか過ぎないと感じた。
母親の愛情とはどんなにも計り知れない、だから絶対に絶対に、
親より先に逝くなんてことはあってはいけない。哀しむ義母を
見て初めて彼を恨んだ。優しかった義母も病で逝ってしまった。
なんかもう、感想も入り乱れているけど(すいません)
今作を観てつまらなかった人も泣けなかった人もまったく普通。
いつぞや自分がそんな経験をした時に、そして自分が喪失感に
かられてしまった時に、あーそういうことだったのか。と理解
できればいいのです。幸せの渦中にいるならうんとそれを堪能し、
いま一瞬を命いっぱい楽しむことに専念するのが正しいと思う。
私にとっては、またそれを思い出させてくれた作品だった。
(なんだかもう、涙と鼻水でグチャグチャの私^^; でも幸せだ。)
北川景子は作品を選ぶべきだ
北川景子。
「花のあと」はまずまず良かった。
一連の森田芳光作品では、そこはかとなく非凡な演技を披露している。
ただ、「瞬」はいただけない。
演出家の問題だろうか。
北川は現在、貪欲に色々な作品に出演して演技道を極めようと必死に努力
しているところだ。それは十分に理解できるし賞賛すべきこと。
だからこそ、この作品にはガッカリさせられた。
配給がスターダスト・ピクチャーズという所属元というところにも
何がしかの問題があるように思えてならない。
強いていうならば、事故の記憶を取り戻した後の演技には、将来性を
うかがわせる部分もなきにしもあらず。
命が果てかけている岡田将生に必死に語りかけ、もげた指をかき集める
姿には、やはり非凡なものを感じてしまった。
次回作はどんな演技を見せてくれるのだろうか。挽回してくれるのか。
そう期待させるだけの何かが、やはり北川にはあるのだと思う。
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