「ブレイクダンス = ブレイキンは ダンスの「スタイル」、そして 「思想」!!」プラネット B-BOY きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
ブレイクダンス = ブレイキンは ダンスの「スタイル」、そして 「思想」!!
2024 パリ五輪が始まった。
新種目としては「オンラインゲーム」なんてのもある。
あれはスポーツと言えるのだろうかねぇ? インドアで。椅子に座って。電気器具のモニターを操るゲームですよ。バーチャルな対戦相手と得点を競うのって、果たしてスポーツなのだろうか。
おじさんとしては???なのだが。🤔⁉️
でもしかし、僕は思うのだ。
「なんとかして、それでも若者たちの楽しみと生きがいを育ててやりたいと願う、五輪委員会の、きっとそれは『親心』のチャレンジ」なのだろうと。
「そこ」の部分を、僕が前向きに捉えてみようと思ったのは、「もうひとつの斬新な競技」と「このテレビゲーム競技」がセットになっていて、今大会から若者のために同時にプレゼンスされた事によるのだ。
その「もうひとつ」というのが
僕が特に新種目として注目した「ブレイキン 」(=ブレイクダンス)なのだ。
・ ・
「BREAK」とは?
BREAKと言う名からして、僕は長く、クラシックスタイルを壊して=伝統を否定をして=ルール無用で勝手気ままに踊る、若者文化の表れに過ぎない・・
と思っていた。
しかしそれは僕の誤解だったみたい。
ある日の、
喧嘩や殺人に明け暮れていたNYサウス・ブロンクス。
ハーレムの少年たちの中で、一人の年上格が素っ頓狂な《ケンカ》を提案した、
「拳やナイフで勝ち負けを決めるのではなくて、どっちが最高にイカしたダンスを見せるかで勝者を決めようぜ」、と。
そういうことらしい。
えっ!うーん、なんだかこれ、泣けてくる、胸に迫るエピソードではないか。
僕はその場面に想像を巡らせ、少し言葉を失ったのだ。
つまり
「BREAK DANCE」とは ―
乱闘の取っ組み合いを止めて、引き離して=《BREAK》をして、敵味方がセパレートに離れて踊るという「思想」だったのだ。
憎しみと敵対を、ダンサー同士のリスペクトが凌駕していく勝負。
いいなあ。ホント、これ本当にいいよね。
本作のドキュメンタリーの頂点は、各国から集まった代表チームがドイツに集結しての決勝シーンだ。
チームごとの予選のあと、勝ち残った上位の4チームが、そう!かつての裏通りでの対決を再現して、向かい合わせでの得意技の応酬だ。
交互に繰り出す攻めと守り、そして挑発と いなし。
ステージ上には、バックストリートでのダンス合戦を再現し、ストリートダンスの原点を魅せる。
ダンスだけで闘うこの「バトル・オブ・イヤー2005」に、観客も、その家族も燃えるのだ。
エンドタイトルで語る福祉士の言葉が、若者たちに寄り添っていて、またそれが良かったと思う。
「競技」は「遊び」でなきゃぁね!
ブレイキンしかり。
ゲームやスケートボード しかり。
戦争の世の中に、
こんなに平和で熱い闘いが、
世界の頂点でついに脚光を浴びていることが、僕は嬉しくてたまらない。
人間、頑張れ。人の世に光あれと、うれし泣きに泣きたい気分だ。
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追記
そしてこれは、僕はたびたびあちこちに書いている願望なのだが
「ピストル競技」は五輪から外して廃止しようではないか。
クレー射撃や槍投げは、「食糧を得るための狩猟行為」をその歴史的な起源としているのだが、ピストルは違う。ピストルだけはぜんぜん違うのだ。
人間を標的にして、人命を威嚇し、人間を殺傷することだけが目的の銃器だ。
警察官と軍人だけがこの競技に参加する。
なぜ世界はこの違和感に気づかない?
百歩譲っても、ピストルは恥ずべき競技として、非公開で行うべきではないか。
オリンピック憲章にそぐわない。
君たちはブレイキンを見て、反省して、その命の思想に驚けよ!