必死剣鳥刺しのレビュー・感想・評価
全52件中、41~52件目を表示
息絶えてなお…
試写会にハズレ…その時にストーリーをチェックしていたので
だいたい分かってるはずだったけど…
必死剣というのがどのような剣なのか確認したかった。
最近、吉川さん活躍されてますよねぇ…(^^♪
彼の別家としての言い分は下々の者にしてみると
本当にバカな藩主に意見してくれて頼もしいお人で
尊敬に値する人物だよね。
だから…女狂いの腑抜けな藩主にとっては疎ましい人物でしかない。
何とも理不尽だよね。
藩主がバカだとそこに働く人々の苦労は耐えない。
農民よりはマシだとは思うけどね。
妾の言いなりな藩主。その女のワガママ贅沢の為に
年貢米が増やされ…抗議したら打ち首なんて((+_+))
しかし…その妾を殺した兼見三左ェ門に同僚の武士たちから
賞賛の声は聞けない。
やはり藩主に逆らえない体質ゆえか…
妾を殺したからって、藩主の目が覚めて民百姓のことを考え
賢い人間になったかといえば…そうでもないし。
兼見三左ェ門のやった行為は報われるのか?
関めぐみの目がギョロっとしてるので
強欲な女のイメージにピッタリ。
魔女みたいでした。
で…トヨエツの相手の池脇さんですが…
もういい年のハズだけど何せ童顔なので
まるでロリみたいで…ちょっと二人のラブシーンは…犯罪みたいでした。
しかもトヨエツ…結構裸のシーン有ったけど…
何とも弛んだお腹でガッカリ(T_T)
映画に入る前に鍛えないのかな?
それもリアリティってことなのか?
この時代…(まぁ今もだけど)やはり男ありきですよね。
女の意見や自立などまるで考えられてない。
女はどこかに嫁ぐしかないのね。
だとしたら藩主の妾になった彼女は大出世したってことか…(^_^;)
で、自分の意見を言うとでしゃばり過ぎと殺される訳か…
今の方がまだマシ?
最後が強烈
藤沢周平の作品はほとんど鑑賞しています。花のあとよりロマンス度はすくないのですが池脇さんとの恋が救いになっています。政治に口を出す側室を豊川さんが殺めるシーンからはじまり、岸部さんの一言で、切腹はまぬがれ、幽閉ののち、お殿様付きの役どころもらうのですが、政敵を殺す為にもちいられたみたいです。結局最後は命を落とすのですが、必死剣鳥刺しの意味が最後で分り納得でした。
太秦じゃなかったことがいちばんのショック
東映の映画なのに、山形庄内の映画村で撮影とエンドロールにあった。なぜ、太秦じゃないんだろう。
写真のような精密画を得意とするイラストレータが話していたけれど、本物をみたままに描いてはダメなんだそう。人の目には、少し手を加えないと本物のようにみえないという。この職人技、時代劇にも大切なんじゃない。
おバカな監督が史実に基づいて合戦をCGで再現しましたなんて、得意げにいっていたけれど、それ問題外でしょう。時代劇は一定のルールを踏まえたうえで、エンターティメントに仕上げるのが職人技。CGで忠実に仕上げたなんて自慢したって、主人公がどこにいるかもわかならい。そりゃ実際の合戦はそうでしょう。でも映画では主人公がどこにいるかわかるような創意工夫、エンターティメント性がない、ぼんくら映画では、とってもじゃないが楽しめない。
その技を持っているのが太秦なのに、それに東映が配給なのになんで太秦で撮影しないんだろう。
で、映画の方は生きる支えを失くして死を覚悟して「連子」を殺害して、里尾と生きることを決めて生にこだわり始めたとたんに決戦を強いられる。
藤沢修平の小説のままなんだろうか。「連子」を殺す才覚がありながら、ぼんくら当主に相対する別家の帯屋隼人正に立ち向うのは、どうも納得がいかなかった。
人間の強さと弱さが現代人の心にも突き刺さる
セットはもちろん、所作や小道具にも気が配られた、久々の本格的な時代劇。カメラワークと効果音にもそつがない。閉門のための青竹は月日がたち薄茶となり、作物の茂る畑にはにわか雨が降り、やがて火鉢のいる寒い夜を迎える。さらにカメラは三左エ門に密かに恋心をよせる里尾の心情をとらえ、現代とは違う時間の流れを巧みに汲み取ってみせる。
現在と、過去の回想を交互に差し替えながら核心に迫る手法をとるが、度重なる回想シーンがほかの作品でよくあるようにうざったくない。ひとつは、男と女の機微を徐々にたぎらせていく様子を浮き彫りにし、いまひとつは、なぜ寛大な処分が下されたのか、最終的にその謎の核心を衝撃的に晒す効果に繋がる。
もうひとつ効果的な演出が、ラストの死闘における峰打ちだ。罪のない同胞を切ることにためらいを持つ三左エ門は刃を返す。だが、多勢に無勢、傷つくうちに刃は表に返され、柄を強く握りなおす瀕死の男となる。これは、連子を刺したときとは違い、生きる目的を持った男の心情の現れであり、同時に半死の状態ゆえ繰り出される秘剣“鳥刺し”に最高の出番を与える。
細かな演出の積み重ねが、武士道、藩政における個人、そして男と女の情愛までも描き、不条理ながらも一心に生きる人間の強さと弱さは、現代人の我々にも深く心に迫るものがある。
暇を出され、この屋敷、この男の傍を離れたくないという里尾の心情にはグッとくる。
池脇千鶴の泣きに泣かされた。
p.s. 勘定方の役で鯉昇師匠が登場。これがなかなかに巧い。しかも連子に責められる悲惨な役どころなのだが、師匠のお顔を拝見した途端、笑いがこみ上げてくるのを堪えるのは至難の業でござった。
池脇千鶴に拍手
冒頭、いきなり主君がぞっこんの側室を殺害する場面から始まり、次の展開を期待しましたが・・・・
豊川悦司はいつも通り、無口でシリアスな雰囲気だけの役。もはや、はまり役というよりこれしか出来ないのかな?と思ってしまいます。
タイトルにある「必死剣鳥刺し」も、終わってみれば何が奥義なの?とつっこみたくなる「技」であり、肩透かし気分満載なのです。
クライマックスの殺陣はなかなか見ごたえありましたが。
それでも平均点を差し上げる理由が池脇千鶴です。地味な顔立ちでこれまで何が良いのか分からなかったのですが、本作では彼女だけが救いとなっています。節々の感情表現も上手で、朴訥な(というより感情表現できない?)主役よりも惹きつけられました。
これで上映時間が80分くらいだったら完成度が上がったのではないでしょうか。日常生活の描写に時間を割き過ぎです。
殺陣のシーンにうっとり
豊川悦司と吉川晃司という2大好物が出てて、それだけでうっとり。ストーリーはなんか男に都合がいいような気もしたが、殺陣のシーンは文句なくカッコよかった。
女に惚けるムラジュンのバカ殿ぶりに爆笑してしまった。
ラストの立ち回りばかりでなく、想いを寄せる里尾の情感描写が細やかで素敵でした。
藤沢周平原作の剣客シリーズは、東北の庄内地方を舞台に、いつも運命に翻弄される主人公の剣客とその剣客が繰り出す奥義の剣をテーマに描かれています。
本作は、これまで映画化されてきた剣客シリーズのなかでも、一番不条理な結末に心を動かされ、そして予想だにしない奥義の出現シーンとその内容に脅かされました。
まさ触れ込みにあるとおり最後の15分の決闘シーンは圧巻で、時代劇作品の歴史に残る名作として語り継がれることでしょう。
特筆すべきは、寡黙な主人公兼見三左エ門を演じた豊川悦司の普段見慣れた時代劇への感覚を飛び越えた気迫ある演技です。台詞の数が少ないだけに、余計に強く感じさせられました。
それと同時に印象的だったのは、左エ門の姪でありながら密かに想いを寄せる里尾の存在。いじらしいほど感情を押し殺しながら三左工門の世話に喜々とする表情に、どことなく落語の人情噺を連想しました。落語好きな平山監督だけに、里尾の所作や表情の細やかな演出の付け方は絶妙です。その演出に答えて愛らしい表情を見せる池脇千鶴の演技が見事に填っていました。
思いが叶って三左エ門と一夜を共にした朝に見せる里尾の幸せそうな表情。それだけにラストに知人宅に預けられたまま三左エ門を待ち続ける里尾の姿に哀れみを感じさせられました。
原作は、“隠し剣″シリーズとして知られる藤沢の連作剣士小説の一編。舞台は東北・海坂藩です。豊川演じる中級武士の三左エ門が、失政の元凶となっていた藩主の側室をいきなり刺殺する場面から始まります。
もとより極刑は覚悟で刃傷でした。しかしそれに対する処分はなぜか1年の閉門。里尾の献身に支えられ生きる力を取り戻していきます。
ここでストーリーは、小刻みにカットバックされて、死別した妻のめいや里尾への思いを絡めて描かれます。けれども、寡黙な三左エ門は、過去の回想でも胸の内をほとんど観客にも語らろうとしません。
主演の豊川ですら「側室を殺す理由を始め、ひっかかる部分はあった。」とインタビューで語っています。しかしよく考えてみれば、「そもそも人間ってそんなに知的に自分を理解しているものでもない」と豊川も思い直して最終的には『わからなくてもいいんじゃないか』って演じきったそうです。
1年の閉門の閉門の後に三左エ門へ届いたのは、近習頭への異例の抜擢。しかし、取り立てた藩主は、三左エ門の顔を見たくないというのです。ここまで三左エ門の処分について何もネタバレされなったので、ますます何故だろうと疑問が深まりました。
それは中老・津田民部によって明かされました。
三左エ門が「烏刺し」という必勝の技の使い手であったことから、藩主家と対立しているご別家の帯屋隼人正との対決のために助命したというのでしたでした。帯屋は直心流の達人であり、藩内に三左エ門の他には敵うものがいなかったのです。
全てを悟った三左エ門は、里尾と一夜を交えた朝に、里尾を知人宅に向かうように言いつけます。そこで自分を信じて待てと。最後の15分の殺陣のシーンも良かったけれど、この二人が名残を惜しみつつ別れるところも人情細やかな描写で、なかなかよかったです。
ところでこのとき津田が三左エ門に烏刺しの別名、『必死剣』の意味を問いただします。三左エ門が答えて語るには、この剣を使うときは、重大な危機を迎えたときで、既に拙者は死んでいることでしょう。死して生きる剣だから「必死剣」という名前をつけたといいます。これはこの奥義がいつ繰り出すのか重要なヒント。烏刺しの描写は、平山監督と殺陣指導の久世浩が試行錯誤を重ねて考えたそうです。どこでどう登場するかは見てのお楽しみ(^。^)
見事、帯屋を討ち果たして、里尾の元に駆けつけるのかと思いきや、ここからが最終盤15分の壮絶な立ち回りの始まりでした。そして寡黙だった三左エ門の感情が爆発します。組織の不条理の直面したとき、主君のため剣を抜くが、恩わぬ策略を知り、その剣、形相は激変していくのでした。政道と己の生を必死に問いつづけつつ、迷いながらも襲ってくる剣を必死に払いのけ、仕方なく真剣であがらい始めます。
豊川はその時の心境を「三左エ門は自分の意思でほとんど感情を出さない。でも、立ち回りではその本質をのぞかせたかった」。といいます。そして「普段、何も言わない人が痛いって言うと、本当に痛そう。しかも、心も痛い、苦しい。そのニュアンスは絶対出したかった」 といいますが、本当の悲痛な三左エ門の心の痛みが伝わってくる立ち回りでした。
原作では「巨躯」と形容される主人公。約5キロ体重を増やして撮影に臨んだそうです。思い描いたのは「軟らかい岩」のようなイメージだったとか。「大きくて重量感があって動かなそう。でも、意外と色々な形に彫っていける」。
もう一つ、「東大出身の相撲取りのようなイメージ」もあったそうです。唐突なようだが、説明を聞けば納得できます。「すごく頭は切れるけれど、決して表に出さない。剣の達人も、むしろそう見えないものだったり、愛を語らない人ほど愛情が深かったりする。」豊川は三左エ門に関しては、そういう考え方で役作りをしたそうです。
普段時代劇を見ない方にも、きっと納得してもらえる傑作ですので、ぜひお勧めしたいと思います。
豊川悦司が役にはまっていた
時代劇によくある勧善懲悪に比べとっても切ない内容。人間の死がまた次の事件を生み最後まで流れるように続く。藩の城内で繰り広げられる人間の葛藤と不条理。主人公兼見三ェ門の姿は武士の孤独で運命に翻弄されつつ武士の生きざまを表していた。最後の殺陣は鮮烈な印象。
豊川悦司は哀愁を感じさせ役にはまっていた。
淡々としていると緩いは違う
藤沢周平原作の時代劇映画だが前半が死ぬほどつまらない主人公の日常を描いているつもりだろうが、緩急がまったくなく参った。映画全体が緩緩緩緩急というような展開なのだ。
最後の殺陣は悪くないし、役者はがんばっているが救えていない。ただし豊川悦司に池脇千鶴は似合わない。
一人の武士が貫こうとしたもの。
特に好きな俳優さんが出演しているわけでもなく、そんなに期待もせず見てきました。
武士であっても、今でいうサラリーマンだ。
上司の命令には逆らえない。
死ぬことさえ許されない。
そんな男が感じる、運命の不条理、裏切り、策略。
口下手で、不器用な男の行動。
気高さを感じた。
ラストまでの「静」の部分は、長くも感じたが、退屈はしなかった。
最後の15分間の「動」には、目が釘付けになった。
この時代劇は、殺陣が生きている。
失血して、顔色が悪くなっていく様や、血しぶきが飛ぶ様子がリアル。
武士とは・・・ こうありたいと思う自分の姿を実行するのだ。
それにしても、連子を刺すのではなく、殿を刺せばよかったのに?!
いくらなんでも、できないか。
「鳥刺し」というネーミングに、少々不満ありだったけれど、見ているうちに納得。
太刀のシーンはこだわりが感じられました。
第1回シアタースタッフ映画祭の期待作10選の中に選ばれて上映されたのがこの作品で久しぶりに時代劇を観ました。江戸時代の人々の生き様や男と女のこの時代の恋愛(この時代の初心な感じを出した池脇千鶴と豊川悦司の演技は良かったです)などゆったりとした流れの進み方で最後に
戦うシーンがあるのですが刀で切られるところや血の出かたはすごいリアルでこだわりがみられました!切った刀に残ってる血などはこだわってるなぁ~と感じました。
江戸の世の事が良く出てる作品だと思います。
全52件中、41~52件目を表示