「(撮るのは)「お前じやないだろ!」の空気感」あんにょん由美香 松井の天井直撃ホームランさんの映画レビュー(感想・評価)
(撮るのは)「お前じやないだろ!」の空気感
劇場内超満員で、補助椅子も設置しての上映。
館内の客層は若い人が大半を占め、その中でも女性客が目立つ。
この中でデビュー当時の林由美香を知っている人は、おそらく殆ど居ないだろうと思う。
作品を観た事は無いのだけれど、監督松江哲明の名前と顔は以前から知っていた。『童貞。をプロデュース』を始めとする諸作品のドキュメンタリーで注目を集めていたし、本人自身かなりの出たがりと思え、様々なイベントやトークショーに出演していたので、何回かをそれらの際に見聞きしている。
元AV女優で、ピンク映画に大量に出演していた林由美香が亡くなったのは知っていた。
死後その存在が広く知られる様になり、多くのメディアに取り上げられる様になった。
何だか早くも神格化される位の存在になっていくにつれて、奇妙な思いにとらわれる。
まるで死んだ瞬間から作品が高騰し始める画家の様に…。
白状すると、彼女が主演したAVはデビュー作を始めとして数作品を観ている。
パッケージ写真を見れば解るが、男から見て「可愛らしいから」が単純な理由からだったのだが…。
もう1つ白状すると、それらのAVでは、本来の“抜く”とゆう目的は果たせなかった…。結局数作品観たがやはり同じ…何故だったのだろう?その辺りの記憶は曖昧だ。
彼女が活躍し始めた当時は、AV業界も色々と過度期に差し掛かった時期だったのじゃないだろうか?
当時はイメージ映像が主流の美少女AV女優と、様々な過激パフォーマンスで容姿よりも企画や淫乱さを売りにするAV女優との両極が当たり前の時期だったのだが、林由美香は美少女路線でありながら、過激な事も平気でこなす“元祖”と言って良いのだろうか。
猛烈な勢いで主演作品を撮りながらも、次々に新しい美少女AV女優のデビューの中で、次第に埋もれて行く。そしていつしか活躍の場はAVからピンク映画へ…。
「ああ、頑張っているんだな…」その程度の思いしか無かった。
テレビの出現で観客を減らした日活が、起死回生の策として起こしたロマンポルノ映画は、AVの発展によりズルズルと終焉を迎える。多くのロマンポルノ女優さん達は女優業を断念された事だと思う。
AV女優の旬は短い。殆どの女優さんは1年以内に居なくなるのは当たり前の世界。その中でも僅か数人がその後も活躍している。その1番の成功例が飯島愛であり、彼女の成功に憧れてデビューするAV女優は多い。昨今ではAV女優になる為のステップとして、一旦グラビアアイドルを通過する美少女アイドルも当たり前になって来た。
林由美香がAV業界からピンク映画に活躍の場を移行したのは必然的だったのだろうか?
ロマンポルノ出現以前から脈々と続いていたのが《ピンク》映画です。
“ロマンポルノ”と“ピンク”の違いって何だろう?
単純には日活には常設館があり、作品の規模や撮影期間がピンク映画よりも大きい。対してピンク映画は撮影期間数日。予算も少なく、公開されるかも解らない。反面自由に撮りたい作品が撮れる。だから、最近公開される娯楽映画の監督にピンク映画出身が多い…そんなイメージが在る。その辺りは詳しい人の著作やブログ等を参考にして貰いたいのですが…。
そうそう林由美香だ。
飯島愛がデビューした時期に林由美香はピンク映画に活躍の場を移した。
まるで新しい美少女AV女優達に押し出される様に…。異論は在るのでしょうが、これはあくまでも素人意見です。彼女をよく知る人達からすれば「決してそうじゃない!」って叫びたいところでしょうが。
本作品はその中で、1本の韓国で撮られた“Vシネマ”から彼女を読み取ろうとする。
発端は…。
彼女と関わりが深かった関係者とのインタビューを通して、《林由美香》とは何者だったのか?と問いながら、彼女が主演したVシネマとゆう名の韓国初?の《AV》作品を考察する。
言ってみればこれは、新藤兼人が生前の田中絹代を筆頭とする映画人にインタビューをして、日本の偉大な映画監督溝口健二を考察した『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』を模倣している様に思えた。果たして本人がそれを意識していたかどうかは、本人のみぞ知るのだが…。
しかし、これを完成に導くのはとても難しい。
インタビューだけで構成して行くのだから、どこかに“終着点”が必要になって来る。
新藤兼人はそれに対して、自分の師匠にあたる溝口と田中絹代との関係を知る強みから“ある一言”に終着点を求め、映画を完成させている。
監督松江哲明が見つけた終着点は、彼女が残した韓国作品のある1部分にその終着点を探し出す。
結果として日韓の文化の違いと共に、彼女と関わった男達の画面には描かれていない“確執”が炙り出されて来る事となった。
現実に彼女の《裏の裏》を知る者に取って、彼女の存在は決して消えてはいない。
一方監督松江哲明にとって彼女は《撮れなかった女神》である。
その辺りの、撮る側と撮られる側の間には大きな溝が伺われる。
曰わく「(彼女を撮るのは)お前じゃないだろう!」との空気。
だからこそ今回の上映前に、林由美香及び関連特集上映の際に在った色々な出来事が、彼女関連の作品上映には今後も付き纏って行く可能性が強い。
映画の終着点は不思議な魅力に溢れている。
理想と現実を量りに掛けて夢を諦めた男。
日韓の文化の違いも在るが、彼女の作品に出た為に、以後チャンスすら貰えずにいた男等々。
最後に全員で…ちょっとウルウルとしてしまった(笑)
実にうまい具合に終着点を見つけた松江監督。映画公開前から評判になるだけの事は確かに在る気がします。
但し、本来の林由美香本人を考察する目的は、最終的に彼女が主演した作品の考察で終わった事が、少し残念な気もどこかに在るのも事実。
最後のセリフに関しても、裏で何か在ったのか?と思わせる位の弱腰で、明らかに逃げに入っているのがドキュメンタリーとしてはいただけない。
林由美香も飯島愛も亡くなった。
数多くデビューしたAV女優も、引退後のその後や転落した末路が時々報道される。
最近では彼女達をバラエティー等のテレビ番組で見る事も多くなった。
でもその中で林由美香の様に、死後になってまで関連書籍・映像が次々と話題になる女優が今後果たしてどれだけ存在するのだろう?
北野武の映画のセリフでは無いけれど、「まだまだ始まったばかり」なのだから。
(2009年7月19日ポレポレ東中野)