「いろんな要素をてんこ盛りにした結果、何を伝えようとしてる映画なのか、わからない作品になってしまいました。主演監督の暴走は誰にも止められません。」ガマの油 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
いろんな要素をてんこ盛りにした結果、何を伝えようとしてる映画なのか、わからない作品になってしまいました。主演監督の暴走は誰にも止められません。
『人生は二度死ぬ』と主人公の矢沢拓郎に語らせる本作は、息子の死をどう乗り越えていくかということをテーマにした、癒し系の作品であるはずでした。
一度目の死とは、額面通りの死んだとき。そして二度目の死とは、死んだことすら遺された人たちの記憶から忘れられること。だから本作のラストでは、ずっと忘れないように思い出にとどめておこうと主人公に語らせる感動作を、役所広司監督は狙っていたようなのです。
だがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~!
それをシンプルに描けばいいものを、いろんな要素をてんこ盛りにした結果、何を伝えようとしてる映画なのか、わからない作品になってしまいました。
特に冒頭から1時間は、観客を置き去りにしたまま、ぶった切りで場面転換していくので、今のシーンはどういう意味があるのか掴めないまま、次の場面を見せられるということの繰り返しだったのです。
1時間ぐらい経過したところで突如登場するガマの油売りは、時空を超えての登場ということなのですが、どう超えたのか説明なし、しかもメインストーリーに全く絡まなく、狂言回しみたいな唐突さだったのです。結局なぜガマの油売りが登場するのか理解できたのは、ラストになってやっとという感じでした(^^ゞ
それに加えて、1時間30分経過したところで、筑波山の山の中に迷い込んだ拓郎が熊に襲われるシーンが出てきます。その熊はモロにかぶり物で、笑えない(^^ゞそんな熊に追われるところは、ドリフターズのコント並のベタなもの。ため息が出るほどシラけました。
さすがに拓郎の演技自体は、名優役所広司が演じているだけに、悪いわけがありません。 けれども自分の芝居を見せるためのシーンを追加していった結果、脈絡のないものになっていったものと推察します。普通ならその辺を監督がセーブするのですが、悪いことに役所自身が監督をしているため、誰もヘンだぞと意見したり止める勇気を持てなかったのでしょう。10年前に松本幸四郎さんが主役の作品に関わったことがありますが、そのときでも幸四郎さんの意向にはなかなか口が挟めなかったのです。大物俳優が主演するだけでも現場が支配されるのに、まして監督まで担当されては絶対的な権限を持ってしまいます。イーストウッドの場合は、それがいい方に出ているのですが、この作品では張り切りすぎて、主演監督の暴走になってしまいました。
それでも矢沢拓郎というキャラは、愛すべき存在。1日数億円も損したり稼いだりする切った張ったのトレーダーをやってて、その都度喜怒哀楽を隠そうとしないところが人間味を感じさせる濃いキャラの持ち主です。
そして年の割には、パソコンを何台も屈指して投資分析するというIT時代を先取りしていました。ただパソコンのモニターの反対側には、縁日によく見かける銀玉鉄砲と的となる景品が並べてあり、「100発百中」という書き置きが貼り付けてありました。拓郎は、大損したときのストレス発散用に的当てで自信を鼓舞していたのです。ITとレトロな的当ての組み合わせがなかなかユニークですね。
そんな拓郎に寄り添っていたのが、一人息子の拓也でした。若手俳優でもっとも華がある瑛太を起用しているのですが、登場早々に自動車事故に遭い、植物人間になって、やがて死んでしまいます。ほとんど芝居らしい芝居を見せることもなく殺してしまうのは、何とも贅沢な瑛太の使い方だなと思いました。 それと息子というよりも拓郎の部下に見えたのは気のせいでしょうか?
一人息子が植物人間になっているのに、拓郎は顔色一つ変えません。あれほど投資では喜怒哀楽を示すのに、息子に関しては鉄面皮だったのです。
そして拓也の恋人の光から拓也の携帯に電話がかかったとき、息子の事故のことを隠して、本人になりすましてしまい、拓也が死んだ後まで光との会話を楽しむ始末だったのです。それが現実逃避であることは、拓郎にもわかっていたのですが、どうにも息子の死を息子の恋人に伝える勇気が出てこなかったのです。それを伝えることは息子の死を認めること意味していたのでした。
明らかに拓也の声ではないのに、拓郎を拓也と信じ込んで電話し続ける光の対応は、普通ならあり得ないことです。でも違和感を感じさせなかったのは、光を演じる沖縄出身の二階堂ふみの元気キャピキャピの演技に救われているところが大きいと思います。
けれどもその後は光のことなんかどっかに置いてしまって、拓也の散骨をどうするかの方に話の流れが変わってしまいます。そこで先ほどの熊との遭遇で谷に落ちてしまった拓郎は、一旦死んでしまい。拓也と再会するのです。拓也に背負われてファンタジックな空間を歩むところはなかなかよくて、このシーンがエンディングで充分でした。
しかし役所監督は、ここでハタと思い出します、光をだましたまんまで終わってはいけないと。そこで急遽拓郎を生き返らせて、残り30分を横須賀に舞台を移し、光と拓郎の和解編が追加された格好になっています。そこで一杯一杯で、拓郎の少年時代に遭遇したガマの油売りとのエピソードは、大幅に割愛せざるを得なくなったのではないでしょうか。
結局拓郎が拓也の死をどう乗り越えたのかは、わからずじまい、『おくりびと』のような感動を期待して試写会に臨んだものの、全くの期待はずれに終わり、むしろ腹立たしい思いに駆られました。