ワン カリフォルニア デイのレビュー・感想・評価
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ライフスタイルを作らねば!
カルチャーやレジャーの基準値というイメージがカリフォルニアにはある。
温暖な気候、青い海と空、そして西海岸という極めつけなキーワードが、いつの時代でも僕らを心地よくさせてくれる。
健全な憧れの地、かつての開拓者達がこぞって馬車を牽きつつ向かった先、それが西側だ。
GO WEST!
この方角に不思議な魅力を感じるのはなぜなんだろう?・・・そんな思いを抱きつつ「ワン・カリフォルニア・デイ:One California Day」を観た。
オープニングを飾るスティール・ギターのインスト。
名の知れないインディーズ音源ばかりで効果を狙った音楽構成は、何かが始まりそうな昂揚感を誘う。
ノース~セントラル~サウスと太平洋に沿って続くカリフォルニア州の町々に生息するサーファーという生き物、彼らの生態を捉えた研究意識豊かな映像という例えが相応しい。
日本ではまずあり得ない程のビッグ・ウェーブに挑むサーファー達、そんな彼らの何気ない日常にスポットを当てることで、真のライフスタイルというものを考えさせられた。
以前あるテレビ番組で、湘南のサーファーとハワイのサーファーとを比較対照するという場面を偶然観たことを思い出した。
彼らの違いはこのような言葉で締めくくられた。
「サーフィンとはレジャーか?人生か?」
明らかに湘南の夏を楽しんでいた日本のサーファーはこう言った・・・単なるレジャーですね。
5~6mはあるだろう大波に半ば命を預かるかのごとく挑むハワイのサーファーにとっては・・・サーフィンこそIt's my life!
この決定的違いがスポーツとして挑むサーフィンの温度差だ。
この差はカリフォルニアのものと比較してもさほど変わらない。
あの映像に写し出される波は只者じゃない美しさと危険が伴っている。
そこに向かってパドリングしていく彼らの勇気と決断、そしてライディングする際に達するであろうエクスタシーは、実際に劇場で確認するしか手立てはない。
パイプラインの描く孤は水中カメラを構えるクルーらを越えていく。
そしてボードの行く末はスープとなった波に崩れ、あるいはひと山越え次の波待ち状態を追従する。
サーフィンは予定調和とは行かない自然との戯れに面白さがある。
そんな波を一つ一つクリアしていく彼等、本当に素晴らしい才能だと実感させられる。
ライディング・ハイを見事な映像により擬似的に感覚で捉えられる。
その反面、実は彼らが陸に上がっている日々にこそ、この映画のテーマが横たわっている。
いかなる生活を営み、それをサーフィンに昇華させているのか?
ある者は、海岸のゴミ拾いを徹底的に行う。
ある者は、農夫として牛や馬を追う。
ある者は、かつての偉大なサーファー達の教えに従う。
過去と堅実への敬意、そして原則を尊ぶ。
ここに登場するサーファー達はすべて、伝統と未来を各々のやり方で証明しているのだ。
ロングボードを磨くシェイパー達にさえ、職人としての誇りと荘厳さに満ちた輝きを知ることができる。
歴史を学び、ルールを知り、次の波を待つ。
こんなにシンプルで、こんなに自然なやり方。
ライフスタイルを作るというのは、真摯に学び行動し、そして何かを敬うことなんだろう。
ひとつ難点を言うならば・・・この映画は「1957年から現在に至る時代背景を意識した作り」のようだが、いまひとつその歴史の流れと他の文化との関連性が希薄だった点だ。
1957年といえば、まさにエルヴィス・プレスリーが「監獄ロック」などのヒットを飛ばし絶好調な頃。
サーファーの日常を描くのであれば、その周辺にあった若者文化との接点や洞察がもう少しあっても良かった気がする。
当時の若者ならサーファーであれ誰であれ、ロックンロールに酔狂する姿が浮かぶはずだから。
音楽とサーフィンの歴史的関係やファッションにも行き届いた映像作りが、一層効果を倍増させたかもしれない。
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