「「映画における文学のリアル」」ランジェ公爵夫人 Chemyさんの映画レビュー(感想・評価)
「映画における文学のリアル」
ヌーヴェル・ヴァーグの巨匠リヴェット監督が、かつて『美しき諍い女』で「映画における絵画のリアル」を追及したとしたら、本作では「映画における文学のリアル」を追及したに違いない。当然のことながら映画は動画と音で視覚と聴覚に訴えるものだが、既に作れている場面を受動的に観るのではなく、あたかも小説(文字)を読み、読者が想像によって場面を再現することを映画で試したような印象だ。時折インサートされる字幕によるト書きといい、不必要な音楽を排除した点といい、スリリングでドラマティックなバルザック文学の奥行きをストレートに表現したかったに違いない。ここに登場する俳優たちは、我々が想像を膨らますためのガイドとなり、一見何を考えているのか表情からは読み取れないランジェ公爵夫人と、終始不機嫌でしかつめらしいモンリヴォー将軍の内面を必死に探ることになる。このことと、序盤の夫人が将軍にしかける恋の駆け引き(夫人からの一方的なお遊び)から、中盤以降、一転して夫人が将軍に捧げる激烈な愛情(これまた一方的な)と、一気に悲劇に転がる終盤という、捻じれる恋愛模様を描くストーリーとが相まって、観ていてとても疲れる(笑)。しかしこれはリヴェット監督の狙い通り、重厚な長編文学を「読む」際の疲労感と同じものだ。華やかな社交界に生きる公爵夫人にとっての恋愛価値観は、恋愛を力でねじ伏せようとする無骨な将軍の登場で180度変わってしまう。激しい恋愛感情をコントロールできなくなった公爵夫人と、意固地なプライドによってそれを受け入れない将軍。愛し合っているのは解っているのに、2人の感情は最後まで一方通行のままだ。それぞれの行き場のない感情に、もどかしさを通り越して憤りを覚えた。表面的には優雅で静かな作品だが、巨匠の放つ文芸ロマンスは、足もとからジワジワ焼かれるような痛みを伴う。