さよなら。いつかわかることのレビュー・感想・評価
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こういうのが映画だよね。
邦画が洋画よりつまらないのはお金のかけ方が違うから、とは昔からよく聞く話だが、そういう人にはこの映画を見て欲しい。予算の問題ではない。この映画に出てくる父親、長女、次女のように、自然に演じられる役者が日本にいるだろうか。まるでドキュメントのように撮る監督がいるだろうか。ラストの海辺のシーンでは泣きました。多くの人に見てもらいたい、とてもいい映画。
悲しみの作法
妻グレイスの戦死を知り、激しく動揺しその死を受け入れられないスタンリー。ドーンとハイディというふたりの娘には母の死を知らせず、思い立ったように車での旅に出る。
スタンリーの揺らぐ心と、冷静な目で父を見つめるハイディ、無邪気さでこの映画の救いとなりうるドーン。
三人のキャラクターが層のようになっていて、この映画の厚み・深みを構成しているようだ。
娘たちがピアスを開ける場面が象徴的だったけど、旅を通して、妻・母の死を受け入れるための段階を、ひとつずつ踏んでいたように見えた。
語りえぬものには沈黙
2007年アメリカ映画。85分。死を扱った作品ながらも、どこか心に爽やかさが残ったちょっと不思議な作品。これは、イラク戦争の死によって取り残された家族の物語でございます。
内容は、イラク戦争で妻を失った夫と二人の娘のロードムービー。妻の死を受け入れることができず、娘に知らせることもできない夫であり父親が、そのまますべてを投げ出して、娘と旅に出ます。
旅に出たことに明快な理由などなく、主人公は娘を連れてただただ延々と伸びるアメリカの路を進み、そして茫洋な海に辿りつく。喪失というものを、とてもうまく表現していて、夫や思春期にある娘の心情に(自分なりに)入っていけました。
これは反戦映画ではなく、たまたまアメリカという国に生活する一家族が抱えた悲しみを綴った抒情物語です。戦争について外野からあれこれ騒いでも、こういった家族を観ると、そうすることが邪に思えたりもする。というのも、何が正しくて間違っていたという問いなど、この家族には無意味なのです。受け入れることが一番大変なんだなと思いました。
静かな気持になれる作品です。
家族の死を受け入れるのには、もっとちゃんとした「寄り道」が必要では?
<ストーリー>
スタンレーはホームセンターのマネージャー。彼の妻、グレイスは軍曹としてイラクに駐留している。男である自分が本国に残り、妻が戦場にいることに、ある種の罪悪感のようなものを感じている彼は、兵士の妻を支援する会に参加をしてみるが、余計に居心地の悪さを感じる。彼らには12歳のハイディと、8歳のドーンという娘がいる。娘とうまく接することが出来ないスタンレーは、ただ頭ごなしに叱ることしか出来ない。
そんなある日、妻の戦死の知らせが入り、娘にどう伝えるべきかわからないスタンレーは、末娘ドーンの望みだったフロリダにある遊園地、"魔法の庭"に出掛けることを突然決めてしまう。
<個人的戯言>
個人的に見逃せない、「近しい人の死を乗り越える」がテーマの作品。最初の、主人公の心の動揺から来る「突然の旅」への出発はわからないでもないですが、その「旅」の間の「死を受け入れる」までの過程が、あまりにも少な過ぎるエピソードで、その少ないエピソードも活かし切れてない状態です。おまけにいよいよ告白の時、何と台詞は途中から聞こえなくなり、情緒的音楽に取って変わられる始末。様々な丁寧な「寄り道」を経て、「目的」の場所に辿り着くのでなければ、何のために「旅」に出たのかわかりません。
とにかく「旅」の途中のエピソードが少な過ぎます。しかもわずかにあるエピソードも、ただ告白するのを引き延ばすための行為にしか思えません。主人公の心の動きは止まったままで、娘たちの「旅」の間の「成長」と、それにより一時の楽しみより、大事なことがあることに気付いていていき、それを受けて告白をすることを決めるのですが、その「成長」を表すエピソードが、「母親の死」を乗り越えるのに充分なものとは思えません。所謂単に大人になろうとしている程度のものです。また対比となるべき、"魔法の庭"でのひとときも、もっととびきり楽しげな雰囲気が出てないと、コントラストとしての存在意義がありません。
思い付きでの「旅」を経て、やがて辿り着かなければならない「目的地」がこの程度なら、遠出をする必要はなく、日常の生活の中でも充分だったと思います。そういう意味で、出してきたキーとなるアイテムがほとんど無意味に思えます。
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