ファクトリー・ガールのレビュー・感想・評価
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世の中の価値観を変えたいのよ
映画「ファクトリー・ガール」(ジョージ・ヒッケンルーパー監督)から。
ドラマの主人公は、タイトルにもあるように
「アンディ・ウォーホルが立ち上げたスタジオ・ファクトリー」で
人生が変わった女性、イーディ・セジウィックなのだが・・。
今回の気になる一言は、映画の冒頭の何気ない会話に隠された
「ポップ・アートの旗手アンディ・ウォーホル」評であった。
ある男性が呟く「彼は、凡才の奇人だとさ」
ある女性が答える「世の中の価値観を変えたいのよ、
そういう人は、苦労するものだわ」
そうか、彼の活動の目指すところは、既成概念を振り払い、
世の中の価値観を変えようとしていたのか・・とメモをした。
その欲望が、彼の奇怪な行動となって、
スタジオ・ファクトリーに反映されていた、と言ってもいい。
主人公の女性も「名家の令嬢」という価値観を捨て、
ドラッグに蝕まれた末、わずか28年でその生涯を閉じたのだから、
アンディ・ウォーホルの狙いに、ハマってしまったことになる。
しかし「世の中の価値観を変えたい」という行動は、
私にもちょっとだけだが、理解できる気がしていた。
「メール」全盛の時代だからこそ、あえて「手紙」を出し続け、
また「世の中の価値観を変えたい」と思っているから。
奇怪と見られるほどの行動力は、きっと、この一言にある。
アート系が誘う罠。
観終えて、なんとも切ない気持になる作品…だけど、
いわゆる「アート」系。なんて呼ばれる世界には、
こんな逸話がいくつもあったんじゃないのかしら~。
ドラッグ、セックス、すべてが空虚で自堕落な世界。。。
でもそういうところから、生まれる「アート」には
なぜか人々を惹きつける魔力があって、やっぱり皆と
おんなじことをやってたんじゃ芸術は生まれないのさ。
と、アンディ・ウォーホル自身に言わせているよう^^;
ここに描かれるイーディ・セジウィックという女性は、
名門家の令嬢でありながら、彼の「ファクトリー」の
ミューズとなり、モデルとして圧倒的な人気を博すの
だけれど、彼女自身に確固たる個性?のようなものが
まるで無いため、ウォーホルに見捨てられて以降は、
見るも無残な姿で落魄れていってしまう。。。
もしも彼女が自分自身を「私は時代のミューズだ」と
自信を持って認めることができたなら、他の生き方も、
ウォーホルではない誰か。との共存も出来たと思う。。
ボブ・ディランが恋人として現われて以降、彼女が
変わるチャンスを与えられたものの、肝心なところで、
お嬢様らしい優柔不断が異を招き、足を踏み外す。。。
べつにディランといて幸せになれたかどうかは疑問?
だけれど、ウォーホルよりは人間的だったと思うなぁ。
(彼をヘイデン・クリステンセンが演じたのにビックリ!)
しかしあくまで、ロック・スターだと表記されてます^^;
(彼が演じることをディランが固く否定したんですって)
彼女と関わった人が皆、彼女に魅了される。
確かにそれだけ美しい女性だった(シエナ・ミラー大熱演)
と分かるし、現代でも持て囃されただろうな~なんて
思うのだけれど、そんな華やかさ、ポップなファッション
からはほど遠い哀しさと切なさが強調された作品でした。
(健康第一!早寝早起き・一日三食・適度な運動は大切よ。)
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