「志の輔師匠のエスプリが詰まっていて一見の価値がありますよ~」歓喜の歌 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
志の輔師匠のエスプリが詰まっていて一見の価値がありますよ~
まずは松岡錠司監督の実力を感じた作品でした。
松岡監督は、前作『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』を見たとき、喜怒哀楽のメリハリと暖かみにすごく共感したものです。
それがほぼ同じテイストで、『歓喜の歌』でも描かれているのが驚きでした。『歓喜の歌』は志の輔師匠の代表作で、予告編でびっくりしたのは全く落語のとうりの台詞で映画も進行しているのです。落語を聞いている方なら、『歓喜の歌』のなかで何となく台詞回しが落語的な言い回しだなと感じるところがあるでしょうが、ものの見事に『東京タワー」で見せた松岡監督のテイストに仕上げているのが、この人の実力なんだと確信しました。まぁ、リリー・フランクさんまで、ちょい役で出演しているくらいですから、二つの作品の繋がりは深いです。
『東京タワー』で感激された方は、ぜひこの作品もお薦めですね。
松岡監督のテイストとはどういうものでしょうか。
笑いを取るシーンでは、オーバーアクション気味のコミカルさを演じさせつつ、ドタバタにならない程度にまとめ、同じ役者にも次のシーンではシリアスな面も演じさせているのです。松岡監督は喜劇をベースに、人間の持ついろんな面を引き出して描くのにたけた監督であると思います。まさに志の輔師匠のネタを地でいく方なんですね。原作との相性がピッタリの人でした。
その点は、「しゃべれども しゃべれども」の平山秀幸監督はシャイな人で、自然な立ち振る舞いで笑いを取る人でしょう。逆に『THE 有頂天ホテル』での三谷幸喜監督は、冒頭からラストまで、エネルギッシュなハイテンションで駆け抜けていくタイプであると思います。
志の輔師匠の原作の面白さは、どれも凡人を超越し与太に近い主人公たちが、とんでもないクライシスとぶつかったとき、意外な方法と人情の機微で、それを乗り越えていくというお話しが多いのです。新作落語ではありますが、古典落語の研鑽のなかでそのエッセンスの結晶ものというべきでしょう。
ですから、各シーンごとにネタがちりばめられていて、そこだけでも面白いのに、それが枕となり、緻密に繋がってラストの落ちに繋がっています。
ラストの巨大なオチとは、なんとランチュウという高級な金魚の運命にありました。エンディングの最後まで見ないと、このオチは見れません(^^ゞ
てっきり死んだと思いこまされていた、金魚がこんなオチを迎えたなんて、パイレーツ・オブ・カリビアンのあのおまけラストよりも笑えましたよ。
この作品の見事なところは、原作と同様に当初は一見バラバラに見え、唐突に登場してくる人物たちが、実は、ストーリーに何らかの形で関わっていて、物語の展開とともに、まるでパズルが組みあがっていくように、その関わりが明らかになっていくところです。 例えば。安田成美扮する片方のコーラスグループのリーダーが、介護の仕事で定期訪問している先の「老婦人」のシーンなど見落としてしまいがちですが、後半である「重要な役割」を持って描かれます。
また文化会館への単なる出前持ちだった中華の女将の存在が、どうしようもない無責任な主人公の飯塚主任の心を変えさせる「些細なきっかけ」をもたらします。
その転換の仕方が、何とも「いい話」に仕上がっているのです。
「いい話」といえば、他にもあります。
要するに、この話は無責任な文化会館の職員により、ダブルブッキングされた二つのママさんコーラスグループをどう収拾させるかという話なんです。コーラスグループは、シンボリックに片方はハイソな奥様方のグループと、一方は先に申し込んでいたワーキングプァな主婦層として描かれています。
市長の奥様も参加しているハイソな奥様方のグループの方が、後からの申し込みにも関わらず、政治力まで使って優位に立つ分けなんです。当然鼻持ちならぬマダム像が浮かんできそうです。ところがどっこいハイソな奥様方のグループも、病院慰問をつづけいるという人間味を見せてくれるシーンもありました。片方のコーラスグループのリーダーの娘さんが不治の病にあったとき、慰問にためにハイソな奥様方が心を込めて歌ったことが、娘の死を乗り越える救いになっていたことを挿入しています。
この複線は、ラストの感動へ向けてボディーブローのように効いてゆきました。
最後に、なんといっても飯塚主任役を演じた小林薫の好演がダントツでした。植木等が降臨したごとく、無責任な職員ぶりを自然体で演じていました。
ちなみにこんな無責任な自治体職員は本当にいるのかと驚きでしょうけれど、わが街流山市でも、今の市長に代わる前まではごろごろしていたようです。
そういう点では、自治体サービスに何が求められているのかが、よくわかる映画でしょう。クビをかけて選択した飯塚主任のダブルブッキング解決策は、市長も議会も無視したとんでもない選択ではありましたが、誰のための市政かという原点を見たとき、「人情のある街作り」がとても大事なことなんだと小地蔵は思います。
多少、タイムリミットの緊迫感や緊張感が感じにくい面もありましたが、許容内と思います。
それより、飯塚主任にとってのクライシスは、単なる仕事上のミスだけに止まりません。
自分と娘の誕生日と祝いの準備、離婚の危機、飲み屋の付けの追い込みとその代償としての金魚の盗難計画の実行などなど次々に襲いかかる受難を同時進行で描くことで、ぐいぐいと画面に引きつけられていきました。
飯塚主任にとって、もうどうにもならない事態がラストでいっぺんに片付いていく様は、一見の価値がありますよ~