イディオッツのレビュー・感想・評価
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映画としてはおもしろいとは思わないが
知的障害者のフリをするコミュニティの中に集まる人達は現状の家族や職場を逃れたくて、現実逃避している人達ばかりで、そんな彼らが人の偽善をあばくとか言って知的障害者のマネをしているのだから、ものすごく不快だし、観るのがしんどい映画なのだが
多分主題は主人公のカレンが何故このコミューンに惹かれて彼女がコミューンの他の人間と何が違うのかとゆうことだと思う。
奇跡の海、ダンサー・イン・ザ ・ダークの2作は
軽度の知的障害や発達障害を持ったような女性に苦難を与え、そこに神聖さを見出している映画だと思うが
イディオッツは障害や女性の神聖視することやそこに無垢さを見いだすことを突き詰めていった総括の様な作品になっているのかなと。(公開日はダンサー…の方が後だけど制作はイディオッツの前なので)
映画としては面白くはないけど
前2作に対する、フォントリアー自らの問い詰めとゆうか批評みたいな目線があると思うと興味深い作品になっている気がする。
配信で鑑賞
トリアーの態度表明
今までラース・フォン・トリアーを誤認していた気がする。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』や『ハウス・ジャック・ビルド』だけを観ているとトリアーは単なる上質な露悪コメディ作家という印象しか受けないが、本作を通じて、彼が露悪のさらにその先、つまり露悪が無効になる虚無の地平へと視線を注いでいることがわかった。
本作では「市井の人々の欺瞞を暴く」という名目で知的障害者のフリをする健常者集団の姿が描かれる。高級レストランで、社会見学で、不動産の内見で、彼らは不意に暴れ出す。するとやにわに空間に緊張が走る。まるで電撃を浴びたように硬直する人々。それこそが、一見して正常そうに見える社会に開いた穴なのだ、とでも言わんばかりに暴れ続ける男女。
突飛な方法で社会を挑発し続ける彼らだったが、徐々にメタとベタの境界が揺らいでいく。知的障害者の真似をするうちに狂気の自家中毒に陥った男女は空虚な狂騒に溺れていく。「全員でセックスをしよう」とリーダーが提案したあの瞬間に組織の崩壊は既に決していた。もはや「欺瞞を暴く」という名目すら見失った乱交パーティーが彼らにもらたしたものはどこまでも中身のない空虚感だった。
トリアーという作家は一見して単なる露悪にしかなりえない表現を敢えて貫徹することで、その先にある虚無を描き出そうとしているのではないかと思う。もっといえば虚無を描き出すことにどのような意味があるのか、という点にまで射程を広げているような気がする。
以上から本作はトリアーの映画に対するアティテュードの恥ずかしいくらい明け透けな表明として解釈できる。トリアーは今まであんまり好きではなかったのだが、本作を観てもう少し深掘りしてみようと思えた。
それでも美しい瞬間が確かにあった。
歪んだ形で出会ってしまったのかもしれない
悲しみの淵でしか落ち合えなかったのかもしれない
それでもコミュニティを作り出し、
そこでならうまく生きていけると
そこでなら少なくとも幸せだと感じる瞬間はあったはずだ。
いくら道徳的に誤っているとはいえども、
それでもイディオッツたちがこうして出会えて良かったなと
そう思える瞬間が確かにあって、
そういう顔をしている彼らが確かに存在したのである
人が何に救済を求めるかは自由だ
なんじゃこりゃ
面白いかどうかではなく、純粋にこれは映画なのかという戸惑いを受けてしまった。ミニマリズムを徹底していることもあり今でいうモキュメンタリーに近いものを感じたけど、ほんとによくわからなかった。理解を超越している。
そして全てが明らかになった後の結末で僕はこの女はおかしいと思ってしまったのだけれど、そうやってひとと違う視点から人間を捉える能力がTrier監督が天才だとか変態だとか言われる所以なのだろう。
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