劇場公開日 2001年3月23日

「トリアーの態度表明」イディオッツ 因果さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0トリアーの態度表明

2023年10月22日
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今までラース・フォン・トリアーを誤認していた気がする。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』や『ハウス・ジャック・ビルド』だけを観ているとトリアーは単なる上質な露悪コメディ作家という印象しか受けないが、本作を通じて、彼が露悪のさらにその先、つまり露悪が無効になる虚無の地平へと視線を注いでいることがわかった。

本作では「市井の人々の欺瞞を暴く」という名目で知的障害者のフリをする健常者集団の姿が描かれる。高級レストランで、社会見学で、不動産の内見で、彼らは不意に暴れ出す。するとやにわに空間に緊張が走る。まるで電撃を浴びたように硬直する人々。それこそが、一見して正常そうに見える社会に開いた穴なのだ、とでも言わんばかりに暴れ続ける男女。

突飛な方法で社会を挑発し続ける彼らだったが、徐々にメタとベタの境界が揺らいでいく。知的障害者の真似をするうちに狂気の自家中毒に陥った男女は空虚な狂騒に溺れていく。「全員でセックスをしよう」とリーダーが提案したあの瞬間に組織の崩壊は既に決していた。もはや「欺瞞を暴く」という名目すら見失った乱交パーティーが彼らにもらたしたものはどこまでも中身のない空虚感だった。

トリアーという作家は一見して単なる露悪にしかなりえない表現を敢えて貫徹することで、その先にある虚無を描き出そうとしているのではないかと思う。もっといえば虚無を描き出すことにどのような意味があるのか、という点にまで射程を広げているような気がする。

以上から本作はトリアーの映画に対するアティテュードの恥ずかしいくらい明け透けな表明として解釈できる。トリアーは今まであんまり好きではなかったのだが、本作を観てもう少し深掘りしてみようと思えた。

因果