私の20世紀のレビュー・感想・評価
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変革は浮かない顔で
チャーミングで風変わりな『心と体と』が気に入ったので、寡作で名前も覚えにくいイルディコー・エニェディ監督の他の作品を検索したところ、わずかに本作だけがフィルモグラフィに記録されていた。偶然にも、とある映画専門チャンネルで最近になって放映されていたため、早速録画して視聴。
物語は、1880年、エジソンによる電気の発明セレモニーから始まり、同じくエジソンの電信技術の開発イベントで幕を閉じる。メインとなるのは、リリーとドーラという孤児で双子の姉妹の数奇な人生であり、エジソンはこの二人の主人公たちに全く絡むことはない。
電気は暗闇を照らし、電信技術は世界を狭くした。が、リリーは革命運動に身を投じ、ドーラは男たちを手玉にとってしたたかに生きているため、光の差さないところ、人と過度につながらないところを生きている。
文明がどんなに進もうと、人は動物を軽んじ、男は女を軽んじる。リリーとドーラに偶然出会う紳士も、二人の違いに気付くことなくそれぞれを求め、二人の人間性などお構いなしである。
冒頭と終末に登場するエジソンが、世紀の大発明の瞬間に変わることなく浮かない顔をしているのは、さもありなんというところか。私たちの20世紀は、本当に輝かしい進歩の歴史を刻んだのだろうか、とでも言わんばかりに。
美しいモノクロの映像
美しいモノクロの映像や背景の時代設定もあり期待は否が応でも膨らみます。でも単調な展開に途中ダレます。残念ながら...で、最終的に何を言いたかったの?世界観や空気感は良いとしてその先は?何もないままに、まさかのチャンチャン。爆裂弾はお手玉じゃないんだから投げなければならない必然性や投げられなかった葛藤を少しは描いて欲しいと思います。登場人物の内面をスルーする事で映像美に完璧さを持たせたいとするならば単なるイメージビテオかな
不思議な映画
『私の20世紀』の舞台である1900年頃といえば、1901年第一回ノーベル賞、1902年日英同盟条約、1903年Y.M.C.A.結成、1904年日露戦争…と、第一次世界大戦前夜の世界情勢で、モノクロの画面には、その頃の空気感が漂う。
男女平等とは程遠い社会。そんな時代に孤児となった(訳は語られない)双子の姉妹は、生き別れ、それぞれ大人の女性に。
運命の再会は一人の男性を巡り、二人の来し方、行く末の違いを浮き彫りにしていく。
当時は自然科学、社会科学の分野で発明が相次ぎ、その代表として、エジソンの電球と電信が描かれている。
男女が動物園を訪れると、オリの中のチンパンジーが語り始める。
「俺は人間の面白い表情をもっと近くで見てみたいと思ってこのザマさ」
「何事も好奇心はほどほどにということだ」
なんとも、シュールで不思議な映画だ。
時間が行ったり来たり、空間は更に世界規模で行ったり来たり。
モノクロで音楽はクラシック、そして構成が自由自在なので、途中ついウトウトする場面もあり、『つまりいったい何が言いたいのか』と心の中でつぶやきながらも、その予測が難しい次の場面をついつい観続けてしまう。まるで狐につままれたように…
1980年後半に作られた映画とは思えない、20世紀初頭の空気感にノスタルジーを誘われる。
世紀の発明に浮かれ、男性が女性を支配している20世紀初め。
でも、20世紀後半で何かが変わっているのだろうか。
発明で世界は豊かになったか?男性と女性の関係は平等になったか?社会は平和になったか?
そう突きつけられると、1984年アフリカ飢餓、1986年チェルノブイリ事故、NY株暴落、1987年ソ連ペレストロイカ等々、公開直前の世界情勢に観る者はがく然としたのではないか。
『20世紀の私』の私とは、観る者一人一人の事であり、今ならさしずめ『21世紀のあなた(貴方・貴女)』という事かもしれない。
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