忘れられた人々のレビュー・感想・評価
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忘れられた人々=私たちがみなくなった人々
戦争が忘れられない50年代の人々の現実。スラム街に生きる子どもは教育もまともに受けられず、親からの愛はもらえないし、そもそも親がいないことだってある。だから幼くして働きに出なくてはいけないし、家事労働もしなくてはいけない。不良になることだってある。けれど彼らは可哀想なだけではない。盲目の老人や足がない男を襲って、金銭や荷物を強奪することだってあるのだから。弱き者がさらに弱き者に酷い仕打ちを与える。単純に愛と信頼は存在しない。普遍的な悪の事象だ。
盲目の老人は目が見えないが、現実がよく見えているし、ペドロは〈事件〉を見たが見ないふりをしたから、幻想/夢が見える。母や所長、ハイボはペドロのことをちゃんと見ていない。だからペドロが悪を取り払い善良になる物語と思える。
しかし上述の図式はあまりにも単純だ。老人に悪人の要素はあるし、ペドロが悪から逃れる行動は、彼をどんどん悪に染めていく。母やハイボに更生/更正の余地はない。単純な図式に当てはめようとすればするほど、本作をちゃんと見ていないことを宣告されているようだ。
誰しもに悪の要素がある。陳腐な相対主義に還元されそうで危ういが、ゴミ山に打ち捨てられることで徹底される。まず残酷さをみよ、と。
倫理不在の世界
ルイス・ブニュエルの『忘れられた人々』は、単なる貧困映画でも、道徳劇でもありません。1950年の作品でありながら、現代を予言するような鋭さを持つ、“倫理不在の世界”そのものを描いた作品だと感じました。ブルーレイでの鑑賞でしたが、買ってよかったと思えるほど、救いのない世界と乾いた残酷さが強烈に焼きつきました。
物語の中心にいるのはペドロですが、純粋な主人公というより、群像劇の核のような存在です。彼は唯一更生の可能性を持った少年ですが、周囲の人間関係や偶然、そして社会そのものによって、その可能性を押しつぶされていきます。何度も善に向かおうとするものの、必ず“別の力”によって引き戻される姿には、個人の意志ではどうにもならない倫理の不在がはっきり表れていました。
ハイボは一見すると悪役ですが、単なる悪人ではありません。彼自身も、おそらく子どもの頃は普通に生きようとしていたであろう存在で、それが環境によってねじれ、倫理の降りてこないまま成長した“結果”のように見えました。ひどいことばかりする人物でありながら、完全な悪とも言えない、救いのない複雑さを持っています。
盲目の大道芸人カルメロも、弱者でありながら善人とは言えません。少女へのセクハラや孤児を奴隷のように扱う姿は、弱者=善人という幻想を否定していました。牛乳配達の少女がペドロの遺体を捨ててしまう行動も、倫理より生存を優先しないと生きられない世界の冷酷さを象徴していると思います。
この映画には、観客の“逃げ道”を封じるようなセリフが2つあります。
ひとつは、学校の院長が言う「貧困が原因だ」という言葉です。普通なら観客が思いそうな善良な正解ですが、これはむしろ観客がそう考えて逃げることを封じるための偽の答えだと感じました。貧困が原因と言ってしまえば理解した気になる。しかしブニュエルは、そうした“社会派映画的な安心感”を先に潰しています。
もうひとつは、カルメロが最後に言う「もう生まれる前に殺しておけばよかった」という極端な言葉です。これも、観客がハイボの死を“ざまあみろ”と感じたくなるところを、先にキャラクターに言わせて否定する構造になっています。弱者であるはずのカルメロが差別的で暴力的な憎悪を吐くことで、観客の中の報復感情すらも無効化してしまう。これはブニュエルならではの、観客への徹底的な拒絶であり、逃げ場をなくすための仕掛けだと思いました。
つまりこの映画は、
・貧困のせいでもない
・因果応報でもない
・誰かが完全に悪いわけでもない
・弱者が正しいわけでもない
・道徳的優越感に逃げることも許さない
という、すべての説明を否定する映画です。
最終的に残るのは、“倫理が降りてこない世界”そのものです。ブニュエルは政治的な構造や社会制度をあえて描かず、宗教も含めた倫理基盤が機能していない世界で、人間がどう振る舞うかだけを剥き出しにしています。その意味で、これはメキシコの貧困問題ではなく、文明の裏側で常に起こりうる“人間の素の状態”を描いた映画だと感じました。
現代のアメリカやヨーロッパ、そして日本ですら倫理観が崩れてきているように見える中、この映画が75年前なのに“未来の映画”のように感じられたのも印象的でした。ブニュエルが切り取った世界は、もはやスラムの特殊事例ではなく、先進国にも近づきつつある普遍的な問題に見えます。
救いがなく、誰も善でも悪でもない世界を描いた映画ですが、だからこそ異様なリアリティを持ち、いま見てもなお強烈でした。
鑑賞方法: Blu-ray
評価: 94点
忘れられた作品
ルイスブニュエルのメキシコ時代の作品です。
若い時に見ました。なかなか昔は上映する事が希少でした。
どこで見たんだろ。映画館ではなく名作の上映会だと思う。
初期作品はダリと一緒に活動して前衛的な作品があり衝撃的でした。
晩年のフランス時代の作品はかなり上映されてました。リアルタイムで見た作品もあります。この作品を見たくてやっと見た時は強烈で、すぐ私の映画ベスト10に入りました。
それから三十年以上見てない。
メキシコの行政が犯罪抑止が目的で作らせた映画だった筈ですが、普通の人が見て犯罪をやめようと思うか疑問です。毒が強い。残酷だけどヒューマニズムに溢れています。甘々のヒューマニズムではありません。
私は溝口健二監督作品も好きですがヒューマニズムに満ちています。共通性を感じます。教養のレベルが常人と違います。
スペインの巨匠、ルイス・ブニュエル監督のメキシコ時代の代表作
首都メキシコシティの片隅にたむろする不良少年たち。感化院を抜け出したリーダー格のハイボが合流して以来、彼らの素行はいっそう目に余るものに。
母からの愛を得られず鬱屈した日々を送る年少のペドロはハイボを兄のように慕うが、親しかったフリアンを彼に殺され、荒んだ生き方に疑問を懐き始める。
ハイボは一言でいえば手の付けられないワル。
相手が身障者だろうとお構いなしに暴行して金品を略奪、密告された仕返しにフリアンを襲って死なせても自分の保身しか頭になく、仲間の家族でも女とあらば手当たり次第に言い寄る。さらには弟分のペドロを陥れても平然としている正真正銘のサイコパス。
ブニュエルが本作を撮った1950年代、彼の母国はフランコ独裁政権の只中。
メキシコ革命で打倒されたディアス政権を懐かしむ盲目のカルメロ老人は当初は常識人のように振る舞うが、次第に陰湿な本性を表し、ハイボが警官に射殺されるのを見届け(といっても見えないんだけど)「生まれる前に殺せ!」と喚く。
彼に限らず、死んだフリアンを除けばほとんど善人が存在しない世界で連鎖的に転落していく若者たち。
一方で判事や感下院の校長ら公的立場の人たちは良識的。若者の更生に手を差し伸べようとするなど、社会矛盾の告発性は高くない。ブニュエルにはメキシコの体制が本国に比べ(少なくとも)まだましな国に見えたのだろう。
社会主義リアリズム映画と評される本作だが、むしろピカレスク・ムービー。
『アンダルシアの犬』(1929)のように不条理な作風で知られるブニュエル監督の作品に対し、一部サイトで寓意や隠喩を模索するべきではないと唱える向きもあるが、更生しようとしてハイボに殺された揚げ句、ゴミ溜めに棄てられたペドロの最期には、スペイン内戦で命を落とした共和国派の悲劇性が重なる。
タイトルの『忘れられた人々(Los Olvidados)』とは、一体誰を指しているのだろうか。
京都文化博物館の企画「メキシコ映画の大回顧」で今回拝見した際、本編以外にもペドロの更生を予感させる別バージョンのエンディングが併せて上映。感想は人それぞれだが、容赦のない本編のバッドエンドの方が映画の完成度では優るように自分は思う。
ハイボを演じたエステラ・インダはなかなかの美少年。俳優としての他の実績は不明だが、堂々と悪党を演じ切った彼の存在感にも注目。
因果応報的に死んでいくハイボへも憐憫を感じさせるラストの余韻に一役買っている。
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