MORE モアのレビュー・感想・評価
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【”悲劇在っての快楽・・。”愚かしき男女が、美しいイタリアの島の中でヘロインに嵌って行く姿を描いた作品。内容的には肯定出来ないがミムジー・ファーマーの蠱惑的な魅力に溢れた作品でもある。】
ー 私は、年代的にヒッピー族や、過剰なる薬物摂取により亡くなられたミュージシャンや俳優さんの名は知ってはいるが、同時体験はしていない。 だが、学生時代にインド、ネパールなどを放浪していた時期に、薬物を購入した事がある。但し、先輩に言われていたように"ハシシ(大麻)までで、ヘロイン、コカイン、LSDには絶対に手を出すな!"と言われていたためである。 ハシシを吸引した際に、私は、何ら体調に変わりなく”偽物か・・。”と思ったが、同行していた友人は見事にバッド・トリップしてしまい、大変だった。 それ以来、違法薬物には一切手を出していないが、酒は毎日飲んでいる。(煙草は一切吸わないし、酒は昼日中は休日を含め、一切飲まない。所謂アルコール依存症になる方々の様な連続飲酒は絶対にしない。) 産業医からは”いい加減にして下さい!”とγ―GTPの値から言われているが・・。 過度の酒の摂取は、法的に大丈夫なのだろうか・・。- ■ドイツ人青年・ステファンは、ヒッチハイクでパリにやって来る。 ある晩、パーティで見かけた魅力的なアメリカ人女性・エステル(ミムジー・ファーマー)に一目惚れする。 イタリアのイビサ島で再会した2人は愛しあうが、エステルが隠し持っていたヘロインが二人の運命を変えていく。 ◆感想 ・バイ・セクシュアルでもある、エステルを演じたミムジー・ファーマーの蠱惑的な姿が印象的な作品である。 ー 端正な顔立ちながら、元ナチスのウォルフが持つ、大量なヘロインに耽溺して行く姿。資料には、実際に役者たちは薬物を使用しながら演技をしていたとあるが、ホントかな!- ・エステルに惹かれたステファンが、ドンドンヘロインに耽溺していく様。エステルもそれを止めようとはしない。彼女自身も禁断症状が出ているのである。 ・そして、ヘロインに呑み込まれたステファンの最期。 <偉そうなことは言えないが、倫理的な問題を扱いつつも何故か、魅入られる作品である。それはミムジー・ファーマーの蠱惑的な姿によるものだと思われる。 そして、今作は薬物依存の齎す現実を、淡々と映し出しているのである。 今作は、”麻薬撲滅キャンペーン”に使用するには芸術性が高すぎるが、記憶に残る作品である事は間違いない作品である。>
麻薬中毒者の破滅物語
ミムジー・ファーマーを前面に出した宣伝素材の通り、彼女を観るだけの映画という印象を受けたが、麻薬(ヘロイン)中毒映画という内容は面白くなかった。 麻薬中毒になって破滅的なドラマを見ても、他人事にしか思えない。 ミムジー・ファーマーと彼女の虜になった男、この2人の全裸シーンなども描かれているがイヤらしさは皆無。 微妙…(^^; 確かに、金髪ショートヘアのミムジー・ファーマーは、それなりに綺麗。 彼女の魅力をもっと引き出す物語にできなかったのだろうか……惜しい。
フライヤーのミムジーのビジュアルに惹かれて鑑賞。 イビザ島で快楽に...
フライヤーのミムジーのビジュアルに惹かれて鑑賞。 イビザ島で快楽に溺れる生活にひたすら憧れる。ステファンの転げ落ちる人生とエステルの美しさが儚い。
薬物中毒の怖さを実感
50周年記念リバイバル上映にて鑑賞。地中海の楽園イビサ島を舞台に麻薬中毒者の末路を描いた青春ドラマ。薬物中毒の怖さを改めて実感することが出来る貴重な作品であり、同時に主演女優ミムジー・ファーマーの不思議な魅力にグイグイ引き込まれた。ミムジー・ファーマーはまさに男を狂わせる危険な魅力に満ち溢れた伝説の女優である。 2022-111
小悪魔的ミムジー・ファーマーが美しかった
ドイツ人のステファンはヒッチハイクでパリにやって来た。ある夜、パーティで見かけたエステルに一目ぼれし、彼女に誘われるがままイビサ島にやって来た。海の近くの自然の中、自由で麻薬とセックス三昧の幸せな日々を過ごす2人だったが、エステルが盗んできたヘロインをステファンも使ううちにヘロイン中毒になり死んでしまう、という話。
ステファンは可哀想じゃなく、幸せに死んでいったように感じた。介護が必要になり、自分で食べれなくなってまで長く生きているより、太く短い快楽の人生も悪くはないかも。
エステル役のミムジー・ファーマーは本作でも美しかった。
カルトムービーそのもの。
ミムジー・ファーマーの名前だけは記憶していて、始めて鑑賞した。彼女の魅力だけで持っている作品だ。その魅力も1時間も続かない。後は退屈極まりない映画。映画好きにとっては、一度観ておけば良しの映画だ。
ファムファタール
ジェーン・バーキンより前にショートカットの美しいファムファタールが居たとは全く知らなかった。とても美しい。しかし、妖艶ではなく太陽光のように明るく陰湿さが全くない健康的とも言える美しさだ。作品の内容は破滅するジャンキーを描いているのだが、彼女は破滅などせずに太陽と共に生き続けるような雰囲気を漂わせる不可思議な存在である。男があまりにも近付き過ぎたために、その太陽の光と熱で消滅してしまったのだと私の中で解釈している。明るく乾いた良い作品だ。
これが男殺しのマルガリータってやつかw……ミムジー・ファーマーの魅力横溢のドラッグ・ムーヴィー
シネマカリテの「ミムジー・ファーマー特集」にて視聴。
僕のなかでは、ミムジー・ファーマーといえば『4匹の蠅』(1971)と『炎のいけにえ』(1975)で主演してたジャッロ・クイーンって印象しかなかったけど、世の中的にはこちらなのね。
というか、これと『渚の果てにこの愛を』(1970)で盛名を馳せた結果として、70年代のジャッロ主演乱れうちが始まったということか。
パンフを見たら、ミムジー自身が当時を述懐して曰く、本作が大反響を得たのちオファーが次々と舞い込むようになったのだが、「驚いたことに、それほどいい作品にも、それほどいい監督にも、それほどいい役にも巡り合いませんでした」ですって(笑)。アルジェントやフルチの立場まるでねーな、おい!www
で、こちらはバーベット・シュローダー監督のデビュー作。
実は、この監督の「第二作」を、僕は去年の誕生日あたりに、新宿Kcinemaの「奇想天外映画祭」で観ている。
ちょうど一年経って、また誕生日の翌日にシュローダーの映画を観ているのは、不思議な巡りあわせとしかいいようがない。
その第二作『ラ・ヴァレ』は、ピンク・フロイドが音楽担当で、ネストール・アルメンドロスがカメラマンという座組も同じ、前作につづく「ドラッグ/ヒッピー映画」だ。
パブア・ニューギニアで、若く美しいセレブの外交官夫人がヒッピーに感化されて、一緒に「ザナドゥ」を求めて島の奥地に着の身着のままで向かった結果、うっかり高山病と気温の低下でもろとも全滅するという、ちょっと正気を疑うようなノータリンジャンキー版「八甲田山死の行軍」映画だった。
本作『MORE』は、「ドラッグ/ヒッピー」「楽園の島」「自然との交歓」といった要素は第二作と通底するが、こちらで巻き込まれるのは男のほうで、ヒロインのほうが巻き込む側である。
大筋としては、葉っぱをやってるうちはいいが、ヘロインに手を出したら人生終わるよ、というヒッピー特有の線引きと道徳観に貫かれた、ドラッグ版『酒とバラの日々』みたいな内容。
ヒロインのエステルが、薄幸そうだったり、野性的だったり、ピュアそうだったりするわりに、物語としてはファム・ファタルの機能を果たす、という部分に新しさがある。
正直な感想をいえば、青春映画としてはややかったるい感じ。
主人公のステファンが、とにかくずうずうくて押し付けがましいろくでなしのDV野郎で、ぜんぜん共感できない。よって、どうしても醒めた客観的視点でしか鑑賞できない。エステルのほうも、さんざん振り回したうえにトンズラとは、なかなかフトいアマである。
個人的には、ドラッグをやる人間に対して敵意も偏見もない代わりに、ドラッグに憧れる気持ちややりたい気持ちも皆無なので、バカがバカやって身を持ち崩して本当にこいつらバカだろう、くらいの感想しかない。
『ラ・ヴァレ』の主人公たちには、まだヒッピーとしての理想があったし、夢があった。それは非現実的で死と隣り合わせのものだったけれど、少なくとも彼らには、運動に敗れてマージナルへと行きつき、やがて滅びゆく者特有の輝きがあった。
『MORE』の二人にはそれがない。ただひたすら無軌道に振る舞い、クスリに逃避し、楽園の島で原始的な生活を送っているだけの、頭の弱いアダムとイヴだ。命の危険と隣り合わせといっても、マフィアからヘロイン盗んだんだから、まあ自業自得だよねって話。彼らには、変えたい何かもなければ、渇望も理想も焦燥もない。
それもそれでひとつのヒッピーの生き方なのだろうが、そういう人間に僕は肩入れできないので、ドラマとしては、いささか乗り切れなかった印象は否めない。
ただ、個々のシーンとしては、はっとさせられるようなショットがたくさんあって、さすがはネストール・アルメンドロスだと思わされたし、ああ、これって要は「フランスに飛び火したアメリカン・ニューシネマなんだな」と得心がいった。
冒頭からして、画面中央にピタリと太陽を据えて、直視しつづけるような映像がまず素晴らしい。
なんだか、目をそむけたくなるような(実際にはこんなふうに太陽は見られないから)気分に襲われながらも、危ない何かに魅入られ、虜にされるような不思議な感覚。
「太陽」は、ステファンが求めたヒッピー的な「自由」と「解放」の中核に他ならない。
ラストで、野垂れ死んだステファンを見下ろすように、太陽はこうこうと照り付ける。
監督とカメラマンは、明らかに彼を、太陽に近づかんとして蝋の羽を溶かし地に堕ちたイカロスと重ね合わせている。
エステルの登場シーンも鮮烈だ。
あのマルガリータをつくる彼女の、うごめく舌! 舌! 舌!
主人公が一撃で陥落する瞬間を、これだけ電撃的に表現できた映画もそうそうないだろう。
あのグラスの縁を舐め回す舌は、エステルというキャラの無防備性、少女性、肉体性、エロティシズム、淫靡さのすべてを担って、ステファン(と観客)の心を根こそぎ絡めとってしまう。
ヘロイン中毒になって海辺で前後不覚になっているエステルを、ステファンが担ぎ上げて運ぶシーンの危なっかしさも妙に印象に残る。本当に気を喪っている人間をお姫様だっこすると、こうなるんだなと思わされる、やけにリアルでインパクトのある描写だ。
同時に、エステルという女性の蠱惑的で危うい無防備さ、目を放すと自壊しかねないヤバさ、コントロールしようとしても手から零れ落ちていく身勝手さを「視覚化」した表現だともいえる。
ラリッたステファンとエステルが風車を攻撃するシーンは、当然ながら『ドン・キホーテ』を元ネタとしている。ふたりにドン・キホーテのような高邁な騎士道精神はないにしても、ふたりが「自由」という幻想を追求するなかで、何か大きなものに挑んで、敗れて、自滅してゆく様子をなぞらえたシーンとしては、なかなかうまくいっていると思う。
最後にミムジー・ファーマーの魅力について。
パンフでは女性評論家の方が、彼女の眼差しについて言及している。曰く、「瞳孔が開いているような、どこかあらぬ方向の一点を見据えているような感じがする目だ。まなざしに狂気が宿っているようで怖いのである」。たしかにそういう面もあるのだろう。
だが、男としての僕からすると、若干的外れなような気もする。
ミムジーの目は、いじめられっ子の目だ。
きつくて、意志的な眼差しでありながら、どこか嗜虐心をそそる。漠然とした「怯え」が漂う。
なんだか「力で屈服させてほしがっている」とゴミ男の誤解を誘うような目だ。
これが男を惑わせるのだ。
『MORE』で成功を収めたミムジーの元に、大量のオファーを送ってきた監督たちの大半が、ジャッロやホラーの監督だったのも当然といえば当然だろう。ミムジーは、「ヒロインをいじめたい」彼らの琴線に触れたのである。
それと、この人の目鼻立ちって、けっこうシルヴィア・クリステルに似ていると思う。
要するに、エロい。
ジェーン・バーキンの身体に、蠱惑的なエロい顔のパーツがはめ込んである感じ。
このアンバランスが、やけにそそるのだ。
そういえば、本作にはソフトコアまがいの同性愛シーンや、大自然を背景としたセックスシーンなどがふんだんに出てくるが、これって、次作『ラ・ヴァレ』における「外交官夫人がヒッピーに感化される」というそっくりの流れも含めて、74年公開の『エマニエル夫人』に先鞭をつけたケースと言えそうな気もする。まあだからどうだってわけでもないのだが(笑)。
解放〜破滅〜真の解放
1969年作品。
日本公開50周年記念のリバイバル上映。
地中海の島でセックスとドラッグと
ピンク・フロイド。
主人公の男性は最終的にオーバードーズで命を落としますが彼は本当に不幸だったのか?
20年以上デフレが続く日本。
先進国で唯一賃金が下がり続ける日本。
10代〜30代の死因の一位が自殺の日本。
人生100年?想像もしたくない。
セックスや食事を満喫出来るうちに死にたい。
明るい未来が見えづらいこの場所で
映画や音楽は大切な解毒剤。
自由を謳歌し破滅するステファンとエステル。
自分にとって二人は
ある意味とても羨ましく映りました。
ピンクフロイド目当てで見るとガッカリするしかない
ピンクフロイドが音楽を担当ということで観たが全く肩透かし 彼らの音楽はほんの少し、ごくわずか しかも短い 彼らのクレジットで箔をつけているだけだ ピンクフロイド自体この映画を観て参画すらしてないのは明らかだ 本作を観て欲求不満になったなら ECHOES全編をあの波の内側からの映像に被せるクリスタルボイジャーを観て口直しした方が良いだろう 映画の内容は果てしなくつまらない 1969年のヨーロッパにおけるヒッピーの有り様と共に、麻薬体験の紹介でしかない ただ当時、パリでのヒッピー達の実相、特にヨーロッパのヒッピーの聖地とされたイビサ島の様子を映像に捉えている そのことだけが本作の意義でしかない
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