「異色のバディ・ムービー」マイキー&ニッキー Chemyさんの映画レビュー(感想・評価)
異色のバディ・ムービー
親友の定義って何だろう?兄弟ならば血が繋がっていること(そうではない場合もたまにある)。夫婦ならば籍を入れていること(そうでない場合もたまにある)。恋人ならばエッチしちゃったかどうか(そうでない場合も沢山ある)。じゃあ友達は・・・?プライベートで遊びに行く仲かどうか?では親友は・・・?
マイキーとニッキーは、以下の理由によって親友と言って良い。
①ニッキーが助けを求めるとマイキーはすぐに飛んでくる。
②ニッキーの胃が痛むとマイキーは胃壁を守るミルクを、店主をぶん殴ってでも手に入れる。
③ニッキーはマイキーに自分の情婦を抱かせようとする。
④ニッキーは他の誰も知らないマイキーと弟との秘密を知っている。
マイキーは、ヘマをして組織から命を狙われる羽目になったニッキーを逃亡させようと努力するのだが、当のニッキーが様々な我儘を言ったり子供じみた行動を起こすため、中々思い通りに事が運ばない。カサヴェテス演じるニッキーのトラブルメーカーぶりはどうだろう?怯えて疑心暗鬼になってマイキーの言うことを信用しなかったり、思いつきで突然行き先を変更したり(映画館へ行くはずが何故か母親の墓参りをしに墓地へ行くことに)、一刻も早く逃げなければならないのに女の家へ押しかけマイキーの前で女を抱こうとしたり。我儘を言うニッキーをなだめたりすかしたりとその度に振り回されるマイキーは大変だ。だがマイキーは親友の命を救おうと必死だ。何と美しい友情か・・・。
いや、本当にそうだろうか・・・?実はマイキーはボスの雇った殺し屋にニッキーの居場所を逐一連絡していたのだ。ニッキーが計画通りに動いてくれないのでマイキーのイライラは募るばかりだ。では、この2人は親友ではなかったのだろうか?マイキーは心からニッキーを愛しているはずだ。マイキーのニッキーに対する想いは『オセロー』のイアゴーに似ている。我儘でどうしようもないのに誰からも愛され女にモテるニッキーへの憧れと、自分が側にいなければ何ひとつまともにできないニッキーへの父性愛にも似た庇護欲。それとは逆に自分に対する我儘ぶりと、常に自分を見下しているニッキーへ対する妬みや嫉み・・・。長年蓄積した複雑な想いがマイキーを裏切りへと導いたのだ。それでも始めのうちはマイキーもあわよくばニッキーを逃がしてやろうと思っていたに違いない、ニッキーに父の形見の腕時計を壊されるまでは。ここでついにマイキーの堪忍袋の緒が切れる。だがそれは大事な時計を壊されたという事実ではなく、自分が心から大切にしている物をニッキーが解ってくれていなかったということへの絶望だ。ニッキーのことを一番解っているは自分なのに、ニッキーは自分のことを解っていてはくれなかったのだ。裏切ったのはマイキーではなくニッキーなのだ。
ではニッキーのマイキーに対する想いはどうだろうか。ニッキーがマイキーに対して傍若無人に振る舞うのは、こんな自分だからいつかマイキーに捨てられるという恐怖があるからだと思う。フォンダ演じるマイキーはいつも冷静で温厚(たまにキレるが)、ニッキーとは違いボスから信頼されており家庭も良好だ。ダメな自分はいつでもマイキーの足手まといになっている。いつマイキーに愛想を尽かされるかと、内心ビクビクしているのだ。ニッキーがマイキーに対して上から目線なのは虚勢を張っているから。我儘を言って振り回すのは、本当に自分を受け入れてくれているのか試すためだ。ニッキーは好きな子をいじめる子供のように憶病で不器用な男なのだ。
見た目も性格も正反対の2人。マイキーの抱える憎しみは愛情の裏返し。2人は紛ごうことない親友同士だ。ただ最終的にマイキーのニッキーへ対する想いが強すぎて、哀しい結末を呼んでしまっただけだ。
親友に定義はない。ただ互いに想う気持ちのバランスのとり方による。一方の気持ちが一方より強くても弱くても親友にはなれない。自分が親友だと思っていても相手もそう思っているとは限らない。マイキーとニッキーのようにならないために、親友の本音は聞いておいた方が良い・・・いや、やっぱり知らない方が幸せもしれない・・・(笑)。