「才能と愛情の狭間で」炎の人ゴッホ TATOOTATさんの映画レビュー(感想・評価)
才能と愛情の狭間で
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炎の人ゴッホ
その通りであった。狂おしいまでの愛、その愛の矛先は
神に始まり女性を経て、絵、友、そして弟、その家族。
思うに、ゴッホは
愛情が深過ぎたのではないか?
友や女性には真っ向からぶつかり
腹の底から思いの丈をぶち撒ける。
愛を伝える時。喧嘩をする時。
異常と言われるような環境で絵を描き続け
「俺は太陽を描くなら光や熱まで描く」
「農家を描くなら体に染み込んだ体臭まで描く」
絵では到底、表現出来ない
突き詰めれば、どうしたってぶち当たってしまう壁。
世の断りを、まるでそんなものは存在せんとばかりに
"絵"を"五感"で表現しようとした。
だからこそ、もがき、狂い、憂い、情熱を持って
最後まで人生を表現した。
孤独である事を「罰だ」と言ったのは
その狂気染みた"愛"故に人を遠ざけてしまうから。
そして、そんな自分を傷付けた。
それでも最後まで献身的に支えてくれた弟と
その妻が居てくれて本当に良かったと思う。
才能を遺憾なく発揮するには愛情。
逆もまた然り。
愛情がないと才能を存分に活かせない。
では、その狭間で燻るものは
孤独、或いは憂い、はたまた怒り
ゴッホにとって、それは孤独。
故に"愛"を求め"才"に恵まれ"絵"を生む。
最後には
「もう何も見えない。出口が分からない」と
そんな"絵"から、まるで突き放されたような皮肉過ぎる
最後ではあったが
それも巡り巡って弟と、その妻のおかげでゴッホの絵は
現代に存在している。
そこに、まるでゴッホが今も生きているかのように。
この映画を通じて知った
偉大過ぎる男の、まるで太陽のような男の生き様に
まだ芽のままの私は、いつか太陽の方を向いて花開く
向日葵を夢見て生きる糧になった。
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