暴力波止場のレビュー・感想・評価
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自分の弱さを克服できたとき。
わあ、結末が凄くて呆気に取られて唸ってしまった。 1957年の映画
トミー・テーラー(シドニー・ポアチエ)を殺したチャリー(ジャック・ウォーデン)と互角に戦って、その体(明確でないが、一時的に気を失っているのかも)を引っ張って、警部のところに連れていく(と思う)。この展開は想像もできないくらい頼もしく感じるシーンだ。エクセル(ジョン・カサヴェテス)の変化にど肝を抜かれた。これが、エンディング。
ところで、初めの方のシーンでエクセルが家に電話をする。ニューヨークからインディアナ州のゲーリーに長距離電話をかけていて、なんだか父親より母親の方と話したいようだ。母親は息子を心配しているようで、『私は息子に何をしたんだろう』と自分を責めているようだ。
その後、エクセルはチャーリーとかの紹介だと言って、波止場で仕事をとるが、この紹介したというチャーリーはエクセルを全く知らないようだ。それに、1957年ごろだから、字が読めて、書けるということは大事なようで人事係の前で、書類に書き込む。 問題意識の強い私は疑問ばかり頭に残り、進むのが大変だった。
仕事を取ったが、紹介したという男チャーリーはボスになり、時給1.75セントのところ、50セントをピンハネしているようで、エクセルの手取りは時給1ドル50セントということになる。このボス、チャーリーは他の縄張り(セクション?)のボス、トミーが気に入らないようだ。また、トミーはかなり賢く、言葉も巧みに使えるしこの二人の人間性の違いは明確だ。チャーリーはトミーに『あんたみたいのが働けるわけないいだろう』と差別発言をする。トニーは『あんた見たいの』とはどういう意味か聞くと『かしこいやつさ』と言ってごまかすが、実際は『頭のいい黒人』と察する。当時はハイハイということを聞いて『指示待ち症候群』のような黒人は利用できるが、『黒人で賢い』と問題だということだ。
エクセルの秘密を抱えた、おどおどした、気の弱そうな性格の中に何が潜んでいるのかと思っていたが、トミーに自分の本当の姓名から始まり、少しずつ心を開いていって、二人は友達になる。エクセルはゲイかなと思ったが、そのうちに自信がなく女性にも満足に口もきけない人だとわかった。デートの誘い方まで、トミーが面倒をみてあげているからね。
トミーとエクセルは波止場を離れて飲みにいくが、ここでエクセルは自分のことをもっと話し始める。エクセルはなんでもできる兄のアンディーを一番愛していたと。その兄が交通事故で亡くなり、運転していた方のエクセルは怪我一つなく生き残ったと。父親はその時、『お前がアンディを殺した。』と言って、殴ったと。この言葉は何よりもきつかったと。父親の言葉にショックを受けて、思わず、私はビデオを止めた。
きつい言葉。こうやって、親が子供をダメにする言葉は吐くとエクセルのように一生引きずってしまう。子は問題点にぶつかっていけず、いつも逃げてしまう。
トミーにとって、チャーリーはなんともない存在であるが、エクセルの人生にはいつも『チャーリーというタイプの存在』がいると。エクセルはいつもどこにいてもいじめられる存在だということ。そして、いじめに立ち向かえないということ。ここでそれを助けてくれるのはトミーだ。
しかし、トミーとチャーリーが一騎打ちをして、トミーが殺されたとき、誰一人、 『チャーリーが殺した』と彼の名前をいうものはなかった。これはチャーリーとトミーとの公平な戦いだったと思っているし、クビになったり、チャーリーに虐められたくないから、何も見なかったと現場にいた労働者は一斉に答えた。エクセルも何も言わなかった。トミーはエクセルを庇ってチャーリーとの一騎打ちになった。でもトミーはチャーリーの心底を知っていた。チャーリーはトミーを『黒人、黒人』といって、わざと煽った。これは、チャーリーはひ弱なエクセルでなく、トミーに対しての戦いだった。チャーリーの上をいっていて、信頼をあつめていて、正当な考えを持つ、黒人のトミーに差別心があって受け入れられてない。
トミーが殺された後、エクセルは伴侶、ルーシー(ルービー・ディー)を訪れた。『トミーを殺した犯人を知っていて、なぜ警察に言わないのか』とルーシーにののしられる。『トミーの友達ではない』と否定される。エクセルは子供を抱えたルーシーの今後を心配して金を渡すが『仕事を探す』と言って拒まれる。エクセルは両親と話、誤解を解いて、故郷に逃げるつもりでいたが逃げるのは卑怯だと言われる。親密になり始めた女性エレン(キャサリン・マガイヤ)にも何が起きたか説明しろと言われ殴られる。
父親からも、逃げて、立ち向かえなかった、軍隊でも、問題があり逃げてしまった。親友トミーが殺されたことにも立ち向かい真実を言えず、悪をのさばらせるのかと思っていたが、違った。迫力のあるシーンで、エクセルが異常に逞しく思えた。強烈なシーン。
悩んで、悩み抜いて精神的に患ったりしてしまうこともあるだろう。自ずと『自分を守るため』全てを避けて通ることもあるだろう。この映画のエクセルは、『エクセルの逃げ』という負の連鎖に堂々と立ち向かって切った。『あっぱれ』
蛇足:私感
リリースは1957年で『パリの旅愁(1961年)』と同監督マーティン・リットの作品だが、英雄スタンリー・クレーマー監督の「手錠のままの脱獄(1958) The defiant Ones 」の先駆けなんだよね。当時だとはいえ、リベラルな大都市、ニューヨークで起こりそうで、調べて見ないとわからない。もしかして、監督は人間平等に対する意識が高く映画でより偏見のない社会を作ることを主張しているのではないか?それに、波止場の搾取、賄賂などについても労働組合の必要性、トミーの伴侶ルーシーの『働く』という女性の地位の向上、ルーシーとヘレンの会話でもわかるが、プエルトリコの失業者、住居問題の向上、など、社会の課題を作品に取り入れている。これは監督の『人間と社会の理想の一歩』を描いたのではないか?
主人公役のジョン・カサヴェテス、魅力的な男を演じている。彼が、『インデペンダント フィルム』の元祖だそうだ。
映画編集問題に気づいた。
エクセルがトミーを誘い、トミーはコートを持ってくると言ってとりに行くが、二人が外に出たシーンではトミーはコートを持っていず手ぶら。ー変なの!!
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