劇場公開日 2025年6月6日

ボイジャーのレビュー・感想・評価

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4.0“our” が言えなかった男の悲劇 ハードボイルド•テクノクラートの行き着く先

2025年6月18日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

我々ヒトの学名は「ホモ・サピエンス」なのですが、人間をどう定義するかについてはこれまでいろいろと試みられてきたみたいです。

ホモ・サピエンス 英智人 (by リンネ)
ホモ・フェノメノン 現象人 (by カント)
ホモ・ヌーメノン 本体人 (by カント)
ホモ・ファーベル 工作人 (by ベルクソン)
ホモ・ルーデンス 遊戯人 (by ホイジンガ)
ホモ・パティエンス 苦悩人 (by フランクル)

とまあ、人間を人間たらしめているのは何であるかについて、上記 by の後ろに記した偉い先生方がいろいろと考察されているようです。と、いきなり衒学的な振る舞いに出て申し訳ありません。ただのネット検索からの引用で引用した本人も何のことやらさっぱりわかりません。ただ、ホモ•ルーデンスというのはその昔、学生時代に、遊ぶことで人間は進化したのだという人間観が面白くて少しだけかじったことがあります(苦悩することが人間の本質だ、なんてのよりは面白そうですよね)。

で、本題。この映画の原作になってる小説は "Homo Faber” といってスイスのマックス•フリッシュという作家が書いたものらしいです(邦訳は出てないでしょうね、たぶん。映画通りの筋書きだとすると、小説で読むと偶然に次ぐ偶然の連続でなんじゃこりゃとなりそう)。で、上記のホモ・ファーベルに話が戻るわけです。フランスの哲学者アンリ•ベルクソンは人間を「道具を作り、それを活用する」存在として捉え、創造的な活動こそ人間の本質だとしたそうです。ここでいよいよサム•シェパード演じる この物語の主人公ウォルター•フェイバー(フェイバーは上記のファーベルの英語読みでしょうね、たぶん)の登場です。彼は50代の独身男でユネスコの技術員として世界各地を旅して回っています(なんか土木系の技術者のようで世界各地のダム建設に係わってるような感じ)。趣味は動画撮影。時代設定は1950年代後半ですが、恐らくは当時の最新機であろうカメラを携え、折にふれ、フィルムを回しています。彼の信奉するものは科学技術で、芸術や人文科学系の話には興味を示しません。文字通りのホモ・ファーベルで近代合理主義の権化といった感じです。この主人公がやたらとカッコいいんです。’50年代が舞台ですので男性は帽子をかぶっていることが多いのですが、それがよく似合ってます。冷静沈着、クールでハードボイルド風。本作での最初の旅は南米ベネズエラへ飛ぶのですが、飛行機のエンジントラブルで砂漠に不時着。ちょっとした冒険活劇になっていて、私立探偵フィリップ・マーロウがインディアナ•ジョーンズの真似事をしているような風情がありました。

でも、メインはラブ•ストーリー。彼はニューヨークからパリに向かうのに大西洋航路の客船を利用するのですが、そこでこの物語のファム•ファタルとも言うべきエリザベス(演: ジュリー•デルピー)と出会います。ファム•ファタルというには少し若いでしょうか。はたちぐらいですね。やがて二人は恋に落ち、物語の舞台はフランスからイタリアへ、そして、ギリシャへ……

主人公のウォルター•フェイバーはやはり科学技術の人だったようで、人の気持ちに寄り添うのは苦手で若い頃にある人との会話で our と言うべきところで your と言ってしまうんです。それが巡り巡って……

フォルカー•シュレンドルフ監督に関しては「ご高名はかねてから伺っております」レベルで本作が初見でした。本作は1991年の作品ですが、全篇にわたって「好ましい古めかしさ」ようなものが溢れている感じで好印象を持ちました。

最後に蛇足。ホモ・……で人間を定義するというのは居酒屋での酒の肴になりそうなぐらいには面白いと思いましたのでひとつ作ってみました。

ホモ・ギャンブラー 賭博人 (by Freddie)

幸い私はギャンブル全般は卒業してまったくしませんが、たとえそうであっても人生って賭けの連続だと思いませんか。そもそも進化の過程で、樹上生活していたサルが地上に降り立ち、直立歩行に至るまでだけでも、賭けの連続だったような……

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Freddie3v

4.5世界は操作できない

2025年6月11日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

フォルカー・シュレンドルフは「ブリキの太鼓」くらいしか鑑賞したことがありませんが、その1本が私の中に強烈な印象を残していて、その監督の幻の名作という触れ込みでしたのに加え、主演が昔から好きな、ジュリー・デルビーと今は亡きサムシェパードの二人なので、これはもう見る以外にはなかろうということで、劇場に足を運びました。

父親の死別・離婚などの場合は、空想的な父像を抱えながら、依存や過剰な自立傾向が観察されることが多いらしいのですが、サビーナが、父親と同じくらいの年齢のウオルターに恋愛感情を抱いたり、ウオルターに制止されながらも、一人でヒッチハイクすると強く主張するのは、多分この過剰な自立心を投影しようとしているのでしょう。その後のもろもろの展開は、ギリシャ神話を連想させるもので、その始まりの舞台が美しいギリシャだったというのも象徴的な展開だったように思います。

原作小説『ホモ・ファーベル(Homo Faber)』は残念ながら未読ですが、AIによると「作る人」という意味で、哲学者ベルグソンが機械的・実用的な知性の象徴として使用したことで知られる言葉だそうです。著者マックス・フリッシュは、技術と進歩が人間を幸福に導くという幻想に疑問を投げかけ、物語を通して、ウォルターの「世界を操作できる」という信念が崩壊していく姿を描いているようです。

映画でもこの物語のアウトラインはそのまま生かされているようなので、「世界を操作できない」どころか、まさにAI・分断・格差拡大により人類が破滅の瀬戸際に立たされているようにも思える今の世界に、十分通じる視点をもっているように思いました。

主演二人の繊細な演技や、美しさ、そして監督の、光や風を使い、セリフで多くを語らせない演出が、とても良かったです。久しぶりに中身のある作品をみたような気がします。

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pen

3.5神話の世界🌀現実世界

2025年6月9日
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鑑賞方法:映画館

怖い

知的

驚く

とても早起きして色々と用事済ませてから見に行ったせいか、この映画を三分割すると第一パートは完全に寝入っていて見てません。後悔してます。第二パート以降から見た上での中途半端な感想文です。

20代前半の女子大生エリザベスが、親ほど年が違う男性を好きになる。個人的には有り得ない。だから男性の願望の話なんだろう、「ブリキの太鼓」の監督がこういう映画作るのか~、不思議で不安だなあと思いながら見てました。エリザベスは、イタリアのアリーチェ・ロルバケル監督の映画「墓泥棒・・・キメラ」で、主人公(ジョシュ・オコナー)が時折ふわ~っと思い出す、亡き婚約者の雰囲気を彷彿とさせ、まるで黄泉の国から来た精霊のようだった。横を向いた女神の彫刻のよう。男もだんだんと素敵で頼もしく見えてくる。それはないだろう、がそれはある、になってから、これは性別逆転のオイディプスの話なのかも知れないと思い始めた。

エリザベスの母は考古学者で、その母の影響もあるのだろう、美術史、文学の素養と好奇心をたっぷりもったエリザベスは、蛇に噛まれた驚きで倒れて岩に頭をぶつけて意識を失う。その間にいろいろなことが明らかになる。

主人公の服はアルマーニによる。美しく着こなしていて確かに素敵だった。ピアノやサックスによる音楽も美しかった。オーバーツーリズム以前のルーブル美術館、イタリア、ギリシャの様子を見ることができた。最後、エリザベスの母と主人公の間で交わされる会話が針のように痛く、何十年も前の事柄が、ついこの間のこととして眼前に現れることを追体験した。

おまけ
ぼーっと映画館を出たら、大事な物を忘れたことに気がつき映画館に駈け戻り、財布含めて全て戻った。日本の安全と有り難さに改めて感謝!

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talisman

3.5地獄のエンドレスボイジャー。

2025年6月6日
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鑑賞方法:映画館

この有名監督「ブリキの太鼓」しか見てない。
あとデルピー好きなんで見に来ました。
ボイジャーは旅人、旅みたいな意味だけど主人公仕事柄(ダム建築?)移動多い。前半は冒険活劇かと思うほどの順目のボイジャーだが、後半は恋愛物に豹変、、あ、ネタばれになるからこの先書けないけどエンディングもなるほど膝ポンで主人公エンドレス地獄旅という訳か、、、、、関係ないけどさ、サムシェパードが船で私の好きな酒を飲んでボトルで遊んでるのが小さくツボった。

学生の頃見たブリキもトラウマ級の映画だった。
ガキだったから高尚なテーマはわからなかったけど、海岸の馬の首や、その後母がキッチンで生魚を貪り食うシーンは忘れられない。今回も前半ジャングルで再開した友人の描写がエグいね。

「汚れた血」からのファンであるデルピーの良さは一般的な美人とちょっとちがう引きの美学。奥まった目と白い肌、、なんかね吸い込まれちゃうのよ。フランス生まれだけどなんか北欧ぽいよね。
シトロエンDSとおそろの服も良かったなぁ。

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masayasama